明日なんて来るな

神無月

明日なんて来るな

人は皆演じている

いつだって他人には良い面だけを知っていて欲しい


「宿題教えてくれてありがとう!お兄ちゃん天才だよ!絶対いいお医者さんになれるよ!」

小5の妹、命(みこと)が目を輝かせて発する褒め言葉を俺ー古永命助(ふるながめいすけ)ーはどこか他人事のようにして聞いていた

学習椅子に背筋を伸ばして座り、シャーペンを手に命に計算ドリルを手渡す

「大げさだっつの、宿題はもういいのか?」

「うん!分からなかったとこ、分かったから!また教えてね~」

言葉と同時に計算ドリルが手から離れていく

俺の答えも聞かないうちに命は小走りで部屋のドアを開けた

「急いでんのか?」

「宿題終わったからゲームするの!中高生になったら忙しそうだし今のうちにやれるだけやっとこーって感じ?」

命の発言は悪意など微塵もない

むしろ中学受験もないのに意識高いな!と褒めたいレベルだ

それなのに俺の心にもやがかかった

「そうか、マジ忙しくてヤベーから楽しんでこいよ」

命に悟られないように口角を上げる

表情に笑みを貼り付け、優しい声音を選んで引き出す

命は頷いて部屋を出ていった


バタン


ドアが閉まる音を聞いて肩から力を抜いた

学習椅子の背もたれに体を預け、シャーペンを机の上に放り投げた

「はあーーー」

ーゲームなんてお気楽だな、俺は勉強しなきゃいけねーっつうのに、と心の中で舌打ちをして長いため息をつく

貼り付けた笑みをそっと外してヘッドホンをつける

現実とはかけ離れた楽しげな音楽の中を漂いながら思う


ー疲れたな・・・


俺の家は俗に言う医者家系だ

両親は共に古永病院を運営している

長男の俺はもちろん病院を継ぐことが義務づけられている

命は良かった

幼いうちに数の世界に興味を持ち、将来は数学に関わる仕事に付きたいと言っている

それを両親は承諾し、中学受験はなしになった

いやー

中学受験を俺が失敗したからかもしれない

当時はショックだったがまだ医者の道を諦める必要はないと言われ、高校は県内有数のトップ校に合格できた

でもー

最近はよくわからなくなっている

ー俺は本当に医者になりたいのか?

もう高校2年生

そろそろ進路を確定する時が近づいている

文系の教科は高得点だが理系の教科はボロボロ・・・

医者になれないことは明らかだった

元々なりたいなんて一度も思ったことはない

でも他に目指すものもない

ーダリ〜な

ヘッドホンを外して音楽の波から己を遮断する

時計の針だけがチッ、チッと無音の室内に存在を示していた

どうせ将来の道は両親に決められてしまう

俺はただこの部屋の家具のように何も発さず敷かれたレールの上を走ればいい

夢なんて見つからない

時間を忘れて打ち込めるほどの趣味もない

それでいいんだ

人間の一生なんて・・・

何かを成し遂げられるやつなんてこの世には一握りなんだから

そう思い込んでいた、あの日までは



    *


帰りの電車

握り寿司のように押し込まれた人混みの中

俺はぼうっと窓の外の景色を見ていた

「命助、今帰り?明日英語の小テストだぜ、めんどくせーよなー」

不意に声がして目だけを後ろに向ける

そこには俺とは違うー純粋な笑みを浮かべたクラスメイトがいた

名前は日倉駿太(ひぐらしゅんた)

席も最寄りの駅も近いためよく話しかけてくる

「ああ、小テストか・・・」

そういえばすっかり忘れていた

ー本当に面倒くさい・・・

喉元まで出かけた本音を飲み込む

「まあ、赤点さえ取らなきゃいいんだ。楽勝だろ?」

俺が冗談めかして言うと日倉は

「いいよなーお前はよゆーで満点なんだろ!」

と、当然のように言った

「あ、そーいやオレ文系行くつもりだったけど理系にしたぜ!」

「そうか」

日倉の声が段々と遠くなっていく

心にまたもやがかかった気がして、気付かないふりをするため日倉の瞳の奥をしっかりと見つめてやる

「頑張れよ」

俺が精一杯の嘘を吐き出したところで日倉の最寄り駅についた

「おう、ありがとな!明日も頑張ろーぜ!」

電車を降りる直前日倉が手を振った

俺はうなずくだけで振り返さなかった

扉の閉まる音がしてー電車は走り出す

ー明日か、くだらねー

制服のポケットからスマホを取り出しツイッターを開く

画面をスクロールしていくとある広告が目に入ってくる

{自分の思いを世界に!あなたも小説を書いてみませんか?}

俺は一瞬指を止めたが、すぐにスマホをしまった

最寄り駅に止まった電車を降り、帰路を辿る

家につきー俺は両親の雷を食らった

隠していた数学のテストを見つけられたのだ

「こんな点数では医者になれないぞ!」

「誰がなるかよ、俺がいつなりたいっつった!?」

「命助!あんた、正気!?」

両親に負けじと怒鳴り返す

俺はキレていた

命の頼み、日倉の笑顔、英語の小テスト、両親の怒号

全てが癇に障る

「俺は医者にはなれねーんだよ!俺に期待すんな!中学受験を失敗した程度の人間だ、毎回いい点数なんてとれはしねーんだよ!わかったらー諦めろ」

ぐるぐると渦めく不満が心の底を覆っていって―ハッとする

両親の後ろー妹が不安そうにドアの陰から顔をのぞかせていた

ー命に見られた

今まで優秀な兄を演じてきた、どんなに苦しくても弱さを見せないようにー

もちろん両親にもだ

なのに・・・

もう取り返しはつかない

俺は犯行を明るみに出されてしまった犯人のように立ち尽くしていた

一番出したくなかった本音

今更笑顔を貼り付けることも表情や声音を選択することもできない

演技をやめた俺は疲れ切っていた

無言で3人の前を通り過ぎて乱暴にドアを閉める

ー俺に期待するな

ー頼むから


バタン!!!!!!


閉められたドアの残音だけが酷く気持ち悪いほど俺の耳に響いた


                          ーあ

           ー英語の小テストの勉強やってねーな

机に突っ伏したまま思い出す

                    ーどうでもいいか

そのまま意識を失う

夢なんて見なかった


              *


「ふう、」

英語の小テストが終わった放課後

陸上の長距離を完走し、俺はタオルで汗をふいた

自己タイムが大幅に遅れた

いつもより息もペースも乱れた

ー最悪だ

頭がガンガンと鳴り、気分が悪い

痛みをごまかすためスポーツドリンクを一気に飲み干した

太陽の光がギラギラとグラウンドの地面を突き刺す

一度潤したはずの喉はすぐに乾いてくる

一滴の水分さえ入ってはいないペットボトルを握り潰した

毎日、毎日、明日はやって来る

あと何回部活に行かなきゃならない?

あと何日で受験を迎えなきゃならない?

考えるだけでめまいがしてくる

「夏休み、海行くんだ〜!」

「いいな〜楽しそう!」

「おれン家は沖縄に旅行しにいくぜ!」

「夏はねえ、勉強頑張って成績上げる!」

部活の奴らの会話が耳鳴りに聞こえて、俺は顔を下げた

ーどいつもこいつも・・・・・

          {明日}

それの何が特別なんだ

くだらない日常が永遠と続くだけだろ

ああ、クソ・・・・全部投げ出してぇ・・・

全身から溢れ出す負の感情を抑える術を俺は知らない

「明日なんて来るな・・・・」

呟いた俺の言葉が誰かの耳に届くことはなかった



家の一人部屋

俺はヘッドホンをつけてスマホをいじっていた

何か音楽でも聞くか、と何気なく探しているといつか見た小説の広告が目に止まった

ー小説家・・・

俺の幼い頃からの夢だ

過去、「医者は時に人を救えないことがあるけど小説なら救える!

文章を通じて生きる希望を与えたい!」と・・・

机の引き出しを開ける

中にはたくさんの鉛筆とカラーペンとー作文用紙

昔、執筆した作品の数々

懐かしさについ、手を伸ばしそうになって踏みとどまる

でも・・・結局ダメだった

思い出から逃げ出したくて引き出しを閉める

諦めたんだ、俺はこのとき、初めてー



英語の小テストはギリギリ赤点を回避した

ひとまずホッとする

「命助!見てくれ!オレ満点!」

日倉が満点の答案を見せてきた時には声を出せなかった

「オレ、理系にするっつたろ?んでどっちにしろ英語は使うからコツコツ勉強してたんだ、行きたい大学できてよ」

「それで、満点取れるもんなのか?」

馬鹿にするような、信じられないと言うような口調になったが気にしている余裕はなかった

「やりたいこと見つかったから突っ走るだけなんだ!好きなことはためらわずにやりてーじゃん?自分の人生だし・・・つか、やりてー事見つからなくても毎日を全力で過ごすだけだし!」

日倉が濁りのない透き通った目で俺を見る

「やりたい事・・」

脳内にあの作文用紙が浮かび上がった

「誰に反対されようがオレはやるんだ,オレのやりたいことを」

俺は何故かこみ上げるものを感じて唇を噛み締めた

ーなんだよ・・・

こんな下らねえセリフで・・・

こいつの一言で・・・

ーなんでこんなに胸が軽くなる?

笑えてくる 

俺の悩みはそれほど軽いものだったのか?

「今日は先に帰るぜ」  

英語の小テストを丁寧に四つ折りにして歩き出す

「・・・明日も頑張ろうな」 

教室を出る直前しっかり顔を日倉に向ける

「おう!明日が楽しみでたまんねーぜ!」

ー馬鹿なやつ・・・

大きく手を揺らすやつに手を振り返してドアをゆっくりと閉めた


家につくと俺は両親に宣言した

「俺、小説家になるから」

2人の反応を無視して自分の部屋に入る寸前

「お兄ちゃん!」

命が気まずそうに俺に声をかけた

「応援っ、してるから!」

「・・・ありがとな」

不思議と笑顔を貼り付ける必要はなかった

優しい声音を引き出さずとも命には言える

演技をやめたあとの清々しい本音だ

ドアを閉めてもヘッドホンをしても何も失うものはない

スマホの小説広告をクリックして詳細を眺める

引き出しを開け作文用紙を取り出した

どの位時間が経ったか分からない

ただシャーペンを夢中に走らせてる間だけは額を流れる汗も喉が乾くのも気にならなかった

  

人は皆乾いている

潤すものは水か、心か、それともー

          

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

明日なんて来るな 神無月 @2kuusou2

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ