第十六話 みさきけ


 奉司には両親が居ない。離婚後父とは連絡が取れず、母は実の妹である叔母に奉司たちを預けて二度と迎えに来ることはなかった。どちらもどこかで生きているのかもしれないが、もう自分たちのことは忘れて別の家庭を作っていると思っていい――思ったほうが、奉司にとっては楽だった。


 他に身元を引き受けてくれる親戚もおらず、奉司たちきょうだいはそのまま叔母が預かることになった。奉司の叔母は小さなスナックを経営していて、昔は有名な歓楽街でホステスをやっていたらしい。いろいろな人生を見聞きしていたこともあって、不憫な身の上となってしまった甥姪にとても手厚くしてくれたのだという。


 今住んでいるアパートも叔母が用意してくれたものだ。昔は叔母とその娘の二人で住んでいたそうで、そこから移り住んでからも借りっぱなしにしていたのを奉司たちに譲った形だ。「厄介払いできてよかった」なんて皮肉な言い方をしていたけれど、それも叔母なりの照れ隠しだったのだろうと奉司は語った。


「住む場所も生活費も叔母さんのおかげでなんとかできてる。進学のことだって、ほんとは高校に行かないで働くつもりだったんだ。でも自分は高校に通わなかったことを後悔してるからって学費を出してくれた。オレは少しでも負担を減らしたくて、近くで補助金も出る七宝高を受験したんだ」


 ぼくは自分の言ったことを後悔した。もっと上を目指せた、なんて相手の事情も知らずに勝手なことを口にしてしまった。


「気にすんな。オレだってお前のことを全然知らない。どっちが先にそういうこと言ってたとしても、お互い様だ」


 奉司は話を続ける。自分が修学旅行に行かなかったのは金銭面で負担を掛けたくなかったからだった。既に振り込まれていた旅費は学校に頼み込んで差し止めてもらっている。その額も含めて成人後に働いて必ず全額返す心積もりだ。


 叔母の中では今頃自分は修学旅行で出掛けていることになっている。だから叔母の代理として叔母の娘――和花のどかがまだ幼い弟妹の面倒を見に来ていた。


 中学生の和花は従兄である奉司のことを本当の兄のように慕っている。台所で並んで家事をしている姿を見ていてもよく伝わってきた。それだけ奉司も兄として家族に尽くしてきたということなのだろう。


 和花が口裏を合わせることで叔母は奉司が修学旅行に行っていないことを知らない。そのため学校から家に連絡が来てしまうとその事実がばれ、余計な心配をかけてしまう。


「オレがあの行方とかいう教師に握られてる秘密ってのは、そういうことなんだ」


 奉司の秘密。特殊な家庭事情と、叔母への感謝ゆえの嘘。


「家のことを知ってんのは学校では一年のときの担任と今の担任だけのはずなんだ。でもどこから聞いたか知らねえが、行方センセーはそれをダシに参加を求めてきやがった。軽い冗談のつもりだったとしても、オレはあいつを信用できねー」


 奉司の言うことには筋が通っていた。弟妹のいる前で嘘がつけるとも思えない。他に秘密を隠しているようにも見えない――少なくとも、犯罪者と繋がっているようなことは決してない。


 行方先生のやり方も、本当に正しいのだろうか。奉司の秘密を握っているのなら、彼が犯罪に加担するような生い立ちではないと分かりそうなものなのに。


「千明」


 奉司はあらたまってぼくのほうに膝を向ける。


「秘密を握られてるのはオレだけじゃないんだろ。夕奈もオタクがどうこう言ってたし、お前だって人に知られたくないことがあるんだよな。だけどオレは――」


 言葉を選ぶ。散らばった意図を、繋ぎ合わせるように。


「オレは、玲生の抱えてるものを知りたい。あいつがああなっちまった理由は、行方センセーに握られてる秘密と関係あると思うから」

「玲生のこと、昔から知ってるの?」

「ああ。あいつとは親が離婚する前にいた小学校で一緒だった。そのときはまだ、あんな暗くて無口なやつじゃなかった」


 奇妙な縁だ――奉司は過去の玲生を知っていて、それが今の彼とまるで違うことを知っている。奉司が修学旅行の居残り組になっていなければ、過去との違いを知るすべはなかっただろう。


「こんなことお前に言える義理がねえのは分かってる。他人が隠してる秘密を暴くような真似がどんなに卑劣なのかもよーく知ってる。だけど、だけどよ……今のあいつは、もうどうにかなっちまいそうなんじゃねえかって、今日見て思ったんだ」


 奉司は畳の上に手をつき、頭を下げる。


「頼む、千明。あいつの――玲生の秘密を暴くために、力を貸してくれ」


 見ていられない。最初に抱いたのはそんな気持ちだった。


「やめなよ、奉司。妹たちが見てる」

「いいんだこのくらい。かっこわりいとこなんていくらでも見せてやるよ」

「そういう話じゃないだろ」

「オレは本気なんだ」

「……分かったから、頭上げなよ」


 これじゃまるでぼくのほうが悪者みたいだ。だけど奉司はそんなこと、計算すらもしていないのだろう。


 流れ的にぼくも秘密を明かしたほうがいいのだろうか、とさえ思う。奉司の家庭事情と比べれば、ぼくの事情なんて大したことじゃない。むしろ比べてしまうことが失礼というか、同じ感覚であらたまって話してしまうと良くない気がした。


「君に言われる前から気になってたんだ。どうして担当学年の違う行方先生が、居残りメンバーの秘密を知っているのか。本人に直接尋ねられればいいけど、どうせはぐらかされるだろうなってのが見え見えだし」


 そこまでする理由――犯罪に関わる『間違った若者』の炙り出し――をぼくは既に聞かされているけれど、それはまだ奉司には話せない。


「だけどひとつだけ、行方先生から訊き出す方法があるんだ。今日のセッションと同じことをすればいい」

「同じこと……?」

七人全員の秘密を皆で共有するんだ・・・・・・・・・・・・・・・・


 そんなのできるわけ、と奉司は言いかけて口をつぐむ。それが正しい反応だろう。


 第一セッションで示された最適解のように、メンバー全員が最初の時点で秘匿HOを公開していれば答えには即辿り着ける。これは勝利条件を満たすと同時に一部が敗北を受け入れる・・・・・・・・からこそ起こる結果だ。


「ぼくらに怖いものがなくなれば、向こうも洗いざらい話さざるを得ない。ぼくが最終的に望むのはそういう状況だ」

「その過程で玲生の秘密も分かる、ってことかよ」

「そういうこと」


 机上の空論なのは否定しない。それどころか身の程を知らない青写真と言われても仕方ない。残り二日の間に期待する成果を挙げられるなんて、大言壮語もいいところだ。


 奉司の拳は震えていた。ぼくに対して呆れるのを通り越して怒りを感じていても不思議ではないだろう。ぼくは彼の心配する玲生の秘密すら踏み台にしようというのだから。


 畳に押しつけられていた拳が離れ、ぼくの二の腕を掴んだ。きりきりと強い握力がぼくから振り払うという選択肢を奪っていく。目を閉じ、殴られる覚悟を決める――


「お前……すげーよ!」


 おそるおそる開いた目の前で、奉司は少年のように表情を輝かせていた。


「玲生だけじゃなく他のやつらのことまで考えてたんだな! オレなんて自分のことで精一杯だったってのに……すげーよ千明!」


 二の腕を握る力が痛いくらいに強まっていく。そこまで興奮するようなことだっただろうか。ぼくは今日の結果から思いついたことを、半分出任せで言っただけなのに。


 まずい、本当に痛くて声も出ない。彼にそんなつもりがなくても、これはさすがに――


「ちょっと従兄さんなにやってるの」


 和花が助け船を出してくれた。それでようやく気がついたのか、奉司はぱっと手を離す。


「わ、わりい千明! そこまできつく掴むつもりは」


 また土下座して謝りそうになる奉司を止める。なんだか大型犬を宥めているような気分だ。


「ぼくは大丈夫。いちいち大袈裟にしなくていいよ」

「もう従兄さんったら。女の子の身体は大事にしなさいよね」

「おう…………女の子?」


 奉司の表情が硬直する。対する和花はきょとんとしている。


「女の子って、千明は男だろ? 話し方もだし、制服もほら、男子の」


 言葉を唐突に切って、奉司はぼくの観察を始める。学校での休憩時間にした以上に、今度は顔だけでなく全身の輪郭まで、しげしげと見つめて回る。


 その間、およそ一分程度。


 ようやっと、奉司は結論を出した。


「…………マジで?」

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