第四話 もはや目で喋れ


 七人全員の個人面談が終わり、各自に小冊子が手渡された。中身はいわゆるガイドブックで、マーダーミステリー初心者のためにひと通りのルールが記載されていた。


「マーダーミステリーなんて初めて聞いたって奴もいるだろうから、今回はなるべく感覚的にプレイしやすいようにルールを簡略化してある。シナリオも当然オリジナルだ」


 行方先生はさらっと言ったけれど、元からある汎用的なルールを簡略化したうえにシナリオを独自で作ったとなればその労力は相当なはずだ。それも今日だけでなく明日明後日も用意されているというのだから、ただのお遊びの範疇を超えている。


 おまけにガイドブックの内容はすっと頭に入るように整えられていた。一度読み通して暗記できる分量ではないけれど、どんなゲームであるかを理解するには充分だった。


 マーダーミステリーは、その名に含まれる通りミステリーが主軸となる会話型のパーティーゲームだ。参加者それぞれに与えられた設定があり、作中で果たさなければならない目的も異なってくる。故に役割を演じ、時には他の参加者を欺き、勝利条件の達成を目指す。


 個別に秘匿事項が設けられる以上、他のプレイヤーを頼る余裕はほとんどない。ルールに関することでも他人に訊けば、そこから目的を推測される事態になりかねない。


 加えてゲームクリア後の評価は毎回個別になされることが明記されている。感覚としてはテストを受けているのと相違ない。ただ課題プリントをやるほうが気楽なくらいだ。既に何人かはそのことに気づき、ため息をついている人までいた。


「先生、質問いいですか」


 最初に手を挙げたのは雄星だった。自己紹介のときといい積極性で彼に勝る人はいない。


「なんだ」

「ここの勝利条件というのは、個々で決められている使命を指すんですよね」

「そうだ。さっきの面談で渡したハンドアウトに記載してあるもののことだな」


 僕は自分の手元に視線を移す。ハンドアウトは市販のトランプくらいのカードで、与えられたキャラクター設定とその使命などが書かれている。小冊子と同じく手の込んだ作りだ。


「でもルールを読んだ限りだとシナリオは参加メンバー全員がひとつの目的に向かって協力するつくりになっていますよね。その目的と使命が矛盾していた場合はどちらを優先すればいいんですか」

「その場合は使命を優先すればいい。たとえばプレイヤーの中から真犯人を捜すシナリオの場合、犯人役は犯人として指名されないことが勝利条件だ。全体の目的と矛盾しないように言うなら、他のプレイヤーに濡れ衣を着せるのが個人の勝利条件ってところだろうな」

「村人と人狼みたいなものですね」

「人狼ゲームのたとえで分かるなら問題ない」


 知名度でいえば人狼ゲームはマーダーミステリーよりも有名だろうか。小冊子を熟読していた奉司もその言葉には反応した。


「人狼が村人やその他役職を騙るのと同じように、犯人側のプレイヤーは犯人を特定するように動いていい。人狼ゲームとの違いを挙げるなら、占い師や騎士などの役職がない代わりに村人の行動がより幅広いことだな。必ずしも敵陣営を暴かなくていいし、逆にそれが個人の勝利条件になる場合もある。まぁ、説明よりもやってみたほうが早いだろう」

「でしょうね……」


 亜月は小冊子を見つめてうんうんと唸っていた。理解に苦労する気持ちは分かるけれど、少し意外な光景だった。


「あと始める前に言っておくが、質問は今の漣みたいに全員の前でしてくれてもいいし、他の連中に聞かれてまずいようなら一旦外に出て訊いてくれてもいい。言うまでもないが盗み聞きなんかは反則だからな」


 あくまで公平に。先程の面談での言葉を思い出す。


 そうしなければ意味がない。行方先生が目的にしているのは『間違った若者』の特定だ。一見複雑に見えるゲームの構造は標的を炙り出すための仕組みでしかない。だからこそ、健全なルール上でのやり取りである必要がある。


 ぼくはそれを最大限に利用して、皆が隠している秘密を暴く。いや、自分から明かしてもいいと思えるほどの親愛を得なければならないのだ。


 秘密を言いふらさない誠実な人間であることを、証明する。


 それがぼくの、現実における『使命』だ。


「センセ、ひめりからもしつもーん」


 間の抜けた声とともにひめりが挙手する。


「勝ったら何か景品もらえたりしますかぁ?」

「実にお前さんらしい質問だな」


 行方先生は指の腹で眼鏡の位置を整える。


「そうだな……ゲーム内で勝利条件を満たしたプレイヤーには一律で評価点をやるが、特に良い行動をとったやつはさらに加点してやろう。最終的に一番評価点が高かったやつは……担任に口添えしといてやるよ。お留守番している間ずっとお利口だった、ってな」

「景品は? 現物は?」

「ねぇよそんなもん。甘ったれんな」

「ぶー」


 ひめりは不服そうに腕をばたつかせる。成績に入る評価点だけでは満たされないらしい。


 対照的だったのが亜月の態度だ。担任に口添えしてもらえるというのが魅力的に映ったのか、やや浮足立って見える。これまでの印象に反して感情が表に出るタイプのようだ。


「行方先生。評価点と仰いましたが、それは減点されることもあるものですか?」


 見立て通り、亜月は評価を気にしているようだった。行方先生も察しはついていたのか、事もなげに答える。


「減点はしない。ルールを著しく破る行為とか、余程のことがなければな。あとは普段の学校生活と同じ、素行が悪ければ生活態度でマイナスする」

「なるほど。わかりました」


 亜月はちらりと奉司のほうを見る。本当に、何を考えているのか分かりやすい人だ。


 個人面談から帰ってきてからというものの、教室内の生徒は例外なく真剣に取り組む姿勢を見せていた。まったく参加意欲のなさそうだった玲生ですら小冊子を開いて黙読している。ぼくと同じような理由で、そうせざるを得なくなったのか。


 あくまで推測でしかなかったものが現実味を帯び始める。やはり行方先生は人数分の秘密を握っていて、消極的な生徒には半ば脅迫するような形でゲームに参加させようとしているのではないか。そうすることで容疑者をこの教室から逃さないようにしているのか。


 容疑者、なんて言葉は使いたくない。今ここに居るぼくを除いた六人の中に、犯罪行為に加担しているかもしれない生徒がいるなんて思いたくはないからだ。


 そんな感情を押し潰すかのように、行方先生がぼくの秘密を知っているという事実が重くのしかかってくる。彼にそれだけの能力があるのなら、他のメンバーの秘密を握っていたり、間違った方向へ進もうとしている生徒の存在を察知していたりすることにも説得力が出てくる。


 駄目だ、と声を出さずに口だけを動かす。


 いつ、どこで、どうやって秘密を掴んだのか、と疑問を挙げていけばきりがない。今は目下のゲームに集中するべきだ。彼が何者なのかはその後で問い詰めればいい。


 小冊子の内容に意識を移す。ゲームは一日につき一セッション。修学旅行は三泊四日で、今日は二日目だから計三セッションが行われる予定になっている。三綴り一組のキャンペーン形式で総合評価がつけられる、と考えるとなかなかに大掛かりだった。


 今日渡されたハンドアウトは一枚のみ。二日目と三日目はそれぞれ当日に配り直されるのだろう。それを差し引いても記載された情報はそう多くなく、シナリオの根幹に携わるような重要人物ではないことが予想された。公平にやるという行方先生の言を信じるのなら、特別優遇された配役でもないだろう。


 ゲームを有利に進めるには、他のプレイヤーの配役にあたりを付けていくことが必要だ。最初から犯人候補を絞ることはできなくとも、自分の目的と共存可能なハンドアウトを持つ人物を把握できれば、その人と協力しながら進行することができるだろう。


 教室を見回せば、皆硬い面持ちでマーダーミステリーの開始に備えている。他人の様子を窺っている者は一人もいない――


 いや、違った。一人だけ、ぼくの表情を観察している人がいる。


「どうしたよ、真面目くさって」


 伊丹夕奈。彼女は既に小冊子を閉じていた。


「ゲームなんだからさ、気楽にやろうよ。失うものなんてないんだし」

「時間は確実に失うって考え方もある。せっかくやるなら、より楽しくやれるようにベストを尽くすよ」

「ほんと真面目。まぁ、あんたのその意思は尊重しますけれども」


 夕奈の机上には先程までの課題プリントが裏返しで放置されている。筆記用具は不要になったのに、彼女の持ち物である灰色のペンケースもそのまま置いてある。


 その視線誘導をぼくは辿った。出しっぱなしの油性ペン。机から僅かにはみ出た、無地のプリント裏。その空白にくっきりと書かれた、太字の文字列。


『皆、弱み握られてるっぽいね』


 ぼくは他の誰にも気取られないよう、なるべく緩慢な動きで夕奈の顔を見る。彼女は何も言わない。ぼくが察するのをただ待っているかのように。


 そうだ。既にマーダーミステリーは始まっている。秘密という弱みを握られ、強制的に着かされたテーブルで、ぼくらは互いの顔色を窺いながら腹を探る。他者と協力しながら進行するなんてのも、自分の能力を高く見積もった理想論でしかないのではないか。


 今の何気ない会話ですら、情報を引き出すための罠かもしれない。油断していれば足元を掬われ、秘密を吐くのはぼくのほうかもしれないのだ。


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