保健室の病弱な幽霊1

  ※※※


 葛西中の七不思議、知ってる?

 そう。あるんだって、この学校。今どき珍しい──のかな。他の中学校を知らないから、なんとも言えないけど。バスケ部に入ってすぐ、先輩に教えてもらったんだ。

 えっと、ね。順番に言うと。

「プールに浮かぶ三十六本の手」

 真夜中のプールをのぞき込むと、いくつもの手が手まねきしている。

「開かずの旧図書室」

 旧図書室には幽霊が住んでいる。

「きれい好きな壁」

 校舎裏の壁に落書きをすると呪われる。

「音楽室のピアノ」

 夜中、ひとりでに鳴り出すピアノ。

「大イチョウの首なわ」

 自殺した生徒が首を吊った紐がぶら下がっている。

「人形が生える花壇」

 校門前の花壇には、いくつもの人形が埋められている。

 それから──「保健室の病弱な幽霊」

 これで七つ。ふふ。さすがに、トイレの花子さんはいないみたい。

 どれか知ってた? 

 ああ、開かずの旧図書室。有名だもんね。幽霊が住んでる、って。

 でも、今回聞いてほしいのはそれじゃないんだ。

 七つ目の不思議。保健室の幽霊について。

 うちの保健室、行ったことある?

 あそこ、一階の、ちょっと奥まったところにあるんだよね。教室からも離れてるからさ、夕方になると、ちょっと不気味で。

 先生はやさしいんだけどね。

 で──ごめん、話がそれちゃった。七不思議のほうね。

 バスケ部の先輩から聞いた話なんだけどね。

 みっつあるベッドのうち、一番奥のひとつは幽霊のものだから、使っちゃいけないんだって。

 うん。まあ、ベタな話だよね。

 むかし、心臓に持病があって、保健室登校してた女の子がいたんだって。

 その子はいつも、一番奥のベッドに横になりながら、勉強していたの。でもある日、発作が起きて──

 養護教諭の先生がいればよかったんだろうけど。

 その日、保健室の先生は、修学旅行の付き添いで出かけてたんだ。

 心臓病の発作って、すごく苦しいらしいよ。女の子は、だれにも気づかれないまま、苦しんで苦しんで、ベッドで亡くなった。

 だからね。

 一番奥のベッドで横になったらダメ。心臓を、止められてしまうから。

 それが、七不思議のひとつ。

 保健室の病弱な幽霊。


  ※※※


「あの、ちょっと待って。御子柴さん、もしかして、」

 わたしはつい、御子柴さんの話をさえぎってしまった。いやだって、この流れって。イヤな予感しかしない。

 御子柴さんが、きゅっと眉をよせた。

「うん。あたし、昨日は部活でバスケしてたんだけど、途中で妙に息苦しくなってきちゃって──ベッド、借りちゃってたんだ。一番奥の」

 やっぱり!

「頭痛でふらふらしてて、つい……」

 御子柴さんが、ひどく不安そうな顔で言う。

「ねえ、四ノ宮さん。どうかな。あたし、呪われたり、取り憑かれりしてない?」

 そんなことを言われても、わからない。見た目は、ふだんどおりに視えるけど……。

 いや。

 御子柴さんが、自分の首のあたりをなでた。そこに意識を集中して目を凝らすと、なんだかうすいモヤのようなものが視える。

 これは……。

「大丈夫かな?」

「どう──かな」

 背中に冷や汗をかきながら、わたしは目をそらした。

「……多分、大丈夫だと思う、よ?」

 もちろんウソだ。

 間違いない。このひと、憑かれてる。


「多分大丈夫じゃないわね、それ」

「わかってるよ」

 わたしは旧図書室の長机に、ばたんと倒れ込む。

 まめな万智が掃除をしているせいで、旧図書室の備品は、とてもきれいだ。

「あれってやっぱり、取り憑かれてるのかな」

「そうね。まあ、私が見たわけではないけど」

「保健室で、奥のベッドを使っちゃったから?」

「それはわからない」

 万智が、長机のうえにゴロンと転がった。スカートがまくれて、白い足が見えている。やりたい放題だ。

「でも、火のないところに煙は立たないわ。保健室に原因が『いる』のは、本当かもね。わたしも、あまり近づいたことがないし」

「…………。」

「心配?」

「別に、ただのクラスメイトだし」

 小学校のころから、幽霊に取り憑かれたひとなんてたくさん見てきた。

 わたしは幽霊を見ることができるけれど、触ったり、ましてや、やっつけるような真似はできない。

 だからいつも、見て見ないフリをしてきた。

 でも。

 御子柴さんの笑顔を思い出す。いい人、なんだろうな。ああやって、大勢の友だちに囲まれるくらいに。

 また明日、って。ぼっちのわたしにも、ふつうに話しかけてくれたし……。

 はあ。仕方がない、か。

「ねえ、万智」

「なに、しおん」

「……保健室、ついてきてくれる?」

 がばっと起き上がった万智が、にんまりと笑った。

「それでこそ、わたしのしおんよ」

 わたしは別に、万智のものじゃないけどね。


 御子柴さんのいうとおり、保健室はどこかほの暗い廊下の先にあった。

 ノックして、ドアを開ける。

「いらっしゃい」

 白衣を着た養護教諭の白石先生が、回転椅子に腰かけていた。

 白石先生は、まだ若い女性の先生だ。年が近いせいか、けっこう評判がいい。

「一年生かな。どうかした?」

「C組の四ノ宮です。えっと、その、ちょっと気分が悪くて。すこし、ベッドを借りたいんですかど」

 いくつかかんたんな問診をして、わたしはベッドを使う許可をもらった。

「落ち着いたら、お家に帰んなさいよ」

「はい」

 回転椅子をぐるりと回して、白石先生はパソコンに何かを打ち込みはじめた。

 さて。問題のベッドは、一番窓際のだっけ。

 みっつのベッドは、どれもうすいカーテンに隠されている。

 窓の外から、校庭で走っている生徒たちのかけ声が聞こえた。

 隣に立つ万智と目を合わせてから、そっと、カーテンに手をかける。

 息を吸って、はいて──一気に引いた。

 そこには。

 誰も、いなかった。

 真っ白なシーツの敷かれた、ベッドがあるだけだ。

(……あれ?)

 おかしいな。ここには、「病弱な幽霊」が寝ているはずなのに。

 自慢じゃないけれど、わたしの霊感は本物だ。

 そこに幽霊がいれば、「視えない」なんてことはない。

 つまり、この七不思議は──ガセネタ?

 そりゃ、葛西小の七不思議も、五つはニセモノだったけど(残りふたつは、ま、そういうことだ)。

 でも、それじゃあ、あの御子柴さんの首に取り憑いているものは、いったい、なに?

「横になってみる?」

 と、万智が意地悪な声でささやく。

「やめてよ」

「でも、悪いものは何もいないわ。ただのベッドよ、これ」

「万智も、そう思う?」

「ええ」

 どういうことだろう。御子柴さんは、たしかに取り憑かれているのに。

「はははっ。きみ、度胸があるねえ」

 白石先生が、からからと言った。

「あえて、お化けが出るってウワサのベッドを選ぶなんて」

「……お化け、出るんですか?」

「残念。ただのウワサだよ」

 口紅をぬった唇に笑みを浮かべて、白石先生が続けた。

「だって、その七不思議に登場する心臓病の女の子は、ちゃーんと、生きてるからね」

「え? そうなんですか?」

「そうだよ。きみが聞いたのは、こんな話でしょ?」

 そして白石先生は、わたしが御子柴さんから聞いたものとまったく同じ話をした。

「ベタなのはいいとして、ちょっとディティールが甘いね」

「ディティール?」

「細かい部分、という意味よ」

 万智がわたしに耳打ちする。

 白石先生は、子供みたいに、ぐるんと回転椅子を回した。

「実はね。養護教諭がいないと、保健室は開けられないんだ。だから、養護教諭が修学旅行に同行している場合、保健室には鍵がかかってる」

「そう──なんですか」

 七不思議によれば、女の子は、養護教諭の先生が修学旅行へ出かけていたために助からなかった。

 でも本当は、そんなことは、起きっこないんだ。あの話には、矛盾があった。

 だから──ディティールが甘い、か。

「だいいち、仮に私がその養護教諭の立場なら、心臓病の女の子から目を離したりしないな」

 なるほど……。

 じゃあ、これは一から十まで作り話なんだろうか?

 いや。さっき白石先生は、「心臓病の女の子は生きている」と言っていた。

「その話の本当のオチ、知りたい?」

「……はい」

 白石先生が、目を細めた。

「女の子は発作を起こしたけど、当時の養護教諭が呼んだ救急車のおかげで、一命をとりとめたんだ。その後、手術をして病気も治った」

「ずいぶん、くわしいんですね」

「当然。だって、私がその女の子だもん」

「──ええっ⁉︎」

「保健室の先生に助けられた女の子は、たくさん勉強して、自分も保健室の先生になったのでした。めでたしめでたし」

 ブイ、とピースサイン。

 わたしは、ぽかんとそれを見つめた。どうりでくわしいはずだ。自分の話なんだから。

「さあて。どうやらきみたちの目当ては、ベッドじゃなくて幽霊みたいだし。それなら、そろそろ帰りなさいね」

 ずずずい、っと。

 わたしは、保健室から追い出されてしまった。

 ……どういうこと?


 廊下を歩きながら、わたしは万智に話しかけた。

「わたしの勘違いだったのかな」

「勘違い?」

「だから、御子柴さんが取り憑かれてるっていうの」

「でも、視えたんでしょう?」

「それは、そうだけど」

 御子柴さん首にまとわりつく、白いモヤ。あれは、良くないものだと思ったのだけど──

 七不思議のひとつ。「保健室の病弱な幽霊」は、ニセモノだった。

 でも、実際に御子柴さんは取り憑かれている……。

「どういうことだろ」

「ふむ」

 万智が、透けている指先を、長い髪にくるくると巻きつけた。彼女が、考え事をしているときのクセだ。

 こういうときは、ジャマをしてはいけない。じっと待つべきだ。待てば海路の、というやつ。

「……しおん。その、御子柴さんって子について、知っていることを教えてくれる?」

「いいけど……たいしたこと、知らないよ?」

「それでいいわ」

 わたしは御子柴さんについて、知っていることをすべて万智に伝えた。お洒落でかわいくて、いつもキラキラしていること。女バス部に入っていて、運動神経がいいこと。この前、緑の絵の具を貸してあげたこと……。

 話を聞き終えた万智が、長い髪をパッとはらった。

「しおん。あなた、絵の具のチューブに名前を書いている?」

「は?」

 いきなりなんの話? ええと、絵の具のチューブに名前を書いているかどうかだって?

 いや、それは、まあ。

「書いてるけど。そういう決まりだから」

「オーケー。そういうことね」

 ひとりで納得した万智は、ずんずんと歩き(浮いてるけど)だした。

「ちょ、ちょっと待ってよ、万智」

「なに?」

「どこ行くの?」

 万智はちらりとだけ振り返って、ひと言だけ言った。

 ぞっとするほど冷たく、怒りさえ感じるような目で。

「校舎裏」

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