第19話 もう一度、手を取って

「残念だけど、この扉はダミーだ。ここは本当のエントランスではないからな。たまにお前のように逃げ出そうとする奴がいるから、この場所に誘導するような構造になっているんだ。よく出来ているだろう?」


そう言ってギディオンは笑う。

その瞬間、一見綺麗なエントランスからも、地下と同じ鉄錆の匂いが漂ってくるような気がした。


「……な、なんでこんなことするんですか」

「『なんで』? ……害虫を殺すのに理由が要るか?」


アルマは蒼白な顔でギディオンを見上げる。

その背後、円形の天井には色鮮やかなステンドグラスがあった。

中央に描かれているのは――天使だろうか。

片翼の天使の傍には無数の羽が散らばっている。まるで、もう片方の翼を誰かに毟り取られたかのようだ。だとすればきっと、あの天使は落下しているのだろう。


あの天使はアルマの行く末を示唆しているようだ。羽を毟るように、この男はアルマの命を散らす気だ。


(嫌っ……!)


アルマの恐怖と嫌悪に呼応して、ペンダントが再び強い光を放つ。


「!」


ギディオンは軽く目を見開いたが、冷静にそのペンダントを掴み、引きちぎった。刹那、ペンダントは光を失う。


「なっ……!」

「お前程度の魔女、脅威でも何でもない。ブラックフォード公爵家が何を生業にしてきたか、知らない訳じゃないだろう?」


そう言ってギディオンはペンダントを握り潰す。見せつけるように開いた手のひらからは、パラパラと琥珀色の破片が落ちていった。


(そんな……)


あのペンダントだけが頼みの綱だった。しかしそれを失った今、アルマには何の力もない。

絶望で力が抜けていく。アルマはその場にへたり込んだ。


「もう諦めるのか。……懸命だな。無駄な足掻きほど見苦しいものはないからな」


そう言うと、ギディオンは腰に提げていた剣をするりと抜いた。剣身は怯えたアルマの姿を映して鈍く光る。


「じゃあな、魔女」


そう言って剣を振り下ろす。

アルマは死を覚悟して強く目を瞑った。

そのとき。


――ガッシャーン!!


頭上で凄まじい音が響いてギディオンは手を止めた。

カラフルなステンドグラスの破片が雨のように降り注ぎ、きらきらと輝く。

そのステンドグラスを突き破って何かが降ってくる。あれは、白い馬……?


それを見たギディオンが「使い魔か」と忌々しげに吐き捨てる。

白馬の背に白い髪の青年の姿を見つけたとき、アルマは目を見開いた。


「エイベル!!」


白馬は見事な着地でエントランスに降り立つ。

その背から転がり降りた青年は二人の間に割って入り、アルマを庇うように抱きしめた。そしてギディオンに鋭い視線を向ける。


「幼い子にそんな物騒なものを向けて、どうするつもりですか!」


その瞬間、アルマの中で何かが弾けた。


(かっ……カッコイイ〜〜〜!!)


ときめきのあまりに先ほどまで感じていた恐怖心が吹き飛んだ。頬を染めてエイベルの勇姿を目に焼き付けた。

白い馬に真っ白な髪のエイベルの組み合わせ。まさに白馬の王子様だ。


(そういえばエイベルは馬術の天才だったわね。小さい頃からよく大会で優勝していたもの)


アルマは馬を乗りこなす幼い頃のエイベルを思い出し、にやにやした。エイベルはいつでも格好良いが、昔から、馬に跨ると一段と格好良くなる。


「人の屋敷に無断で立ち入るとは。そちらこそわかっているんだろうな。レリュード公子」


その言葉でアルマは現実に引き戻される。


「緊急事態でしたから。……まさか、ブラックフォード公爵閣下ともあろう方が少女を拐かすなんて」

「何を根拠にそんなことを?」

「証人も居ます」

「……ふうん」


ギディオンは余裕たっぷりだ。たとえエイベルにこの事実を広められたとて、対抗出来るだけの手段を持っているのだろう。


「……ところで、その子は公子の知り合いか?」

「そんなにこの子に興味があるんです? やはりそういう趣味でもお持ちなんですか」


(そうよ! 言ってやりなさいエイベル!)


アルマはエイベルの腕の中で熱い声援を送った。


「私はただ、その子を夕食に招待しただけだ。道端に幼いレディーがたった一人で歩いていたから、迷子かと思って保護させてもらったんだ。紳士ならば気にかけて当然だろう」


(何言ってんのロリコン野郎!)


アルマはギディオンをぎろりと睨む。人を殺そうとしておいて白々しい。


エイベルとギディオンはいつまでも視線を交わしていたが、やがて、ギディオンはふっと笑った。


「わかりました。今日のところは目を瞑って差し上げます。どうぞお帰りください」


「お見送りしろ」と声をかけると使用人が姿を現し、二人の傍らに立った。


「行こう」


そう言ってエイベルはアルマの手を引く。しかし足に力が入らず立ち止まってしまう。

その様子に気付いたエイベルはアルマを抱き上げた。


「わっ……! えっ、何を……」

「じっとしてなきゃ落としちゃうよ」


アルマはこくこくと頷いた。しかし、すぐに足元に目が止まる。


「あ……」


ペンダントの宝石は粉々だ。ステンドグラスの破片と混じり合って拾い集めることもできそうにない。きっともう元には戻らない。


「ルマ?」

「……いえ。行きましょう」


今はこの場を離れるのが先だ。

エイベルが使用人の後に付いて歩き出すと、シュガーも勝手に後を着いてくる。一行はギディオンの脇を通り過ぎた。


エントランスを離れる前に、アルマは背後を振り返る。するとギディオンの黒い瞳と目が合ってしまう。

ぎょっとしてエイベルに強く抱きつくと、エイベルはアルマの背をポンポンと優しく叩いてくれた。



その後、一行は無事に屋敷の外に出ることができた。立派な構えの門をくぐると、見覚えのある馬車が止まっていた。


「あれ、この馬車って……」

「お嬢ちゃん! 無事だったかい!」

「おじさん?」


そこには、少し前に別れたはずの御者の男が立っていた。男はアルマの姿を確認するなり、地面に両膝を付いて大粒の涙を流した。


「よかった……本当によかったぁぁぁ」

「え? どうして泣いてるんです」

「この人が教えてくれたんだ。ルマが不審な男に連れ去られたと」


そう言いながらエイベルはアルマを地面に下ろす。そして、これまでの経緯を教えてくれた。



アルマが外へ出ていったことを知った後、聞き込みの結果、アルマと思しき少女が馬車に乗るところを見たという情報を得た。

そのためエイベルは、アルマは馬車でミルネール侯爵邸へ向かったのだろうと踏んだのだが、ミルネール侯爵邸には帰っていないようだった。

さらに、レリュード侯爵邸からミルネール侯爵邸へのルートを辿って情報収集をしても、アルマに関する有力な情報は得られなかった。


その時点で行き詰まっていたのだが、そこに件の御者が現れた。


『この紋、その馬車に付いてるものと同じだろう?』


男はそう言って、金貨の入った巾着を見せてきた。そこに描かれているのは、レリュード侯爵家を象徴するフクロウの紋。確かに、エイベルが乗ってきた馬車に付いているものと同じだ。


『どうしてうちの紋が入ったものを持っている?』

『これをくれた女の子が危険なんだ!』

『……わかった。詳しく話を聞こう』


こうして彼の証言を元に、ルマが攫われたという地点まで辿り着いた。しかし、その誘拐犯の正体までは掴めずにいた。


『何か、犯人の特徴は覚えてないのか?』

『いやあ、遠くから見てたもんで、顔まではよく見えなかったんだ。身なりのいい男だったとしか……』

『覚えてなくても思い出せ』

『そんな無茶な』


そこに、どこからともなく白馬が現れた。白馬はエイベルの顔を見ると、乗れと言わんばかりにその場に座った。


『何か知っているのか?』


そう尋ねると、白馬はブルル、と鳴いて返事をした。

エイベルは半信半疑だったが、アルマが誘拐されたと知った今、ここでじっとしている訳にはいかない。半ば自棄になってその背に跨ったところ、白馬はブラックフォード公爵邸に侵入し、迷路のような屋敷内を道など無視して縦横無尽に駆けていった。


『ここって、かの有名なブラックフォード公爵の邸宅だろ? 何もなかったら大問題だぞ。信じていいんだよな……?』


手綱を握ったまま不安げに問いかけるエイベルに、白馬はブルル! と元気よく返事をした。もうなるようになれという気持ちで馬に掴まっていたところ――


その先に、本当に彼女が居たのだ。



「それにしても、とんでもない暴れ馬だったよ。乗りこなせるのは俺くらいのものじゃないの」

「確かにそうかも……」

「それにしても、不思議な馬だな。何か魔法でも使ったみたいにルマを探し出せたんだから」

「この子、私の知り合いなんです。ありがとう。シュガー」


そう伝えるとシュガーはアルマの頬をぺろりと舐めた。アルマはくすくすと笑う。


「それからおじさんも、ありがとうございました」

「お嬢ちゃんが元気でよかったよおおおお!」


男はまだ涙を流し続けている。二人は苦笑いを返した。

やがて白馬はどこかに消え、御者の男も泣きながら帰っていった。

そして、その場にはアルマとエイベルの二人だけになる。


少し離れた場所にはレリュード侯爵家の馬車が止まっている。

その場所までエスコートしようと、エイベルは何の気なしに手を差し出すが、アルマはその手をただじっと見ていた。


「……ルマ?」

「あの、エイベル様。今日はごめんなさい。変な事言って」

「俺も悪かった。キツいこと言って。……許してくれる?」

「はい」


アルマは差し出された手を取る。仲直りは拍子抜けするほどにあっさりとしていた。

まだ二人には距離感を測りかねているようなぎこちなさがあったが、目が合うと照れたように笑った。


「帰ろう。うちへ」

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