第18話 袋小路
「ん……」
アルマは薄く瞼を開く。
目の前にはテーブルがある。背中には背もたれの感触がする。椅子に座っているようだ。
……さっきまで何をしていたのだろうか。
確かレイラと会って、エイベルの本心を知って、そして……。
『出ていって』
エイベルの冷たい顔と声が鮮明に蘇り、胸に鋭い痛みが走る。
つぅ、と涙が頬を伝っていった。
「うっ……」
「起きました?」
「!」
声が聞こえて、アルマは弾かれたように顔を上げる。
テーブルを挟んだ向かいには黒髪の男が座っていた。街の外れで声をかけてきたあの紳士だ。
「あ、貴方……どうして」
「失礼。少し貴女とお話をしたかったんです。ご理解頂けますか?」
アルマは疑うような目を向けた。
(なにそれ。新手のナンパ? いくら私が可愛いって言ったって、今は子供よ? この誘拐犯、まさか……ロリコン……!?)
アルマは涙をごしごしと拭うと改めて周囲を見渡した。どうやらここはダイニングルームのようだ。部屋のあちこちには豪奢な調度品が置かれている。
そのうちに給仕の男達が現れ、次々と料理が運ばれてくる。
次第に豪華になっていくテーブルを前に、アルマは困惑を隠しきれなかった。
「まずはディナーでも楽しみましょう」
そう言って、男は優雅な所作でワインに口を付ける。アルマは何にも手をつけることなく、男を注視していた。
「……貴方は誰なんですか」
「私はギディオン・ブラックフォードと申します」
(ブラックフォード……!)
ブラックフォード公爵家と言えば、百年前の〈魔女狩り〉で功を立て、公爵位を賜った一族だ。
ヴィアリー公爵家と並び称される名門中の名門であり、その現当主こそがギディオン・ブラックフォードである。
年齢は二十代後半だろうか。漆黒の髪と、それと同じ黒い瞳が特徴的だ。顔立ちや挙措からは品の良さが感じられるが、黒い瞳からは感情が読み取りにくく、どこか不気味さがあった。
「こちらこそ名前を伺っても? レディー」
「……怪しい人には名前を教えるなってママに言われました」
「そうですか。いいお母様をお持ちなのですね」
この場合の『ママ』は実母ではなくロシュのことだ。この間街に出かける前にしつこく言われたのだ。
ギディオンはアルマの反応を特に気にした様子もなく、カラトリーを手に取ると、上品な所作でディナーを始めた。
攫った子供の前で澄ました顔で食事をするなんて、およそ普通の神経とは思えない。
「レディーもどうぞ召し上がってください」
「……結構です」
「毒なんて入ってませんよ」
わざわざそんなことを言うのも怪しい。
「……それで、私に何の用ですか」
「〈魔女〉の貴女に用があって」
「その魔女っていうのは何なんですか。私は普通の女の子です。今、傷心中で忙しいんです。構わないでください」
「またまた。貴女からは魔力の痕跡を感じます。誤魔化しても無駄ですよ」
(魔力の痕跡……?)
「それに、そのペンダントが何よりの証拠です。それを持っている時点で自分は魔女だと宣言しているようなものですよ」
「えっ……? これは普通のペンダントですよ」
「まあ、当然シラを切りますよね。魔女ならば」
ギディオンは意味深な視線を向けると真っ赤なワインを飲み干す。空になったワイングラス越しの少女は顔を強張らせていた。まるで、この狭いグラスの中に閉じ込められたみたいだ。
アルマは戸惑いを隠せぬままギディオンに視線を返した。
(この人、本気で私を魔女だと思ってるの?)
そんなはずはない。父も母も普通の人間だ。どちらも名家の出で、身元もはっきりしている。
(このペンダントのせいで何か思い違いをされてるのかしら……)
とにかく今はここを出ることが最優先だ。
アルマは真っ直ぐにギディオンを見据えた。
「……貴方の目的は何ですか」
「少し手を貸してほしいんです。探している人がいて。……ヨアンを知っていますか」
「ヨアン?」
アルマはきょとんとした顔をする。それを見たギディオンは「なんだ知らないのか」と呟く。
「魔女は他の魔女の魔力を感知できるはず。あいつは今、この近くにいるはずです。……魔力を感じませんか?」
「? ? ?」
アルマはアホみたいな顔で見つめ返した。
いきなりそんな専門的な話をされても困る。
霊感も音感もリズム感もないアルマに感知できるものなどない。
「本当にわからないんですか? よっぽどポンコツな魔女なんですね」
何故かギディオンは感心した様子でアルマを見ている。アルマは無性にイラっとした。立派なレディーに対して失礼極まりない。
「ブラックフォード公爵閣下ともあろうお方が、先ほどから紳士さのかけらもないですね。その上幼女を誘拐するだなんて、これが知られれば、当主自ら一族の名を貶めることになりますよ」
嫌味をたっぷり込めてそう言うと、何故かギディオンは微笑んだ。
ギディオンは妙に上品な笑顔を浮かべたまま、再び手を動かす。余程柔らかい肉なのか、ナイフを通すと紙を切るように易々と断ち切られ、ステーキは綺麗に切り分けられた。
フォークを突き立てると中から血のような肉汁が流れ出す。それを見つめる黒い瞳はぞっとするほどに冷めきっていた。
「私の心配をしてくださるんですか。お優しいですね。……大丈夫ですよ。公になることは絶対にありませんから」
やがて、カチャリ、とカトラリーを置く音が響く。
ギディオンはそれまで品良く微笑んでいたが、繕うことすら飽きたかのように、その顔からは一切の表情が掻き消える。
その瞬間、アルマは背筋が凍った。
「少しは使えるかと思ったが、役に立たないならもういい。……お前達」
先ほどとは打って変わって冷たい口調でそう言うと、近くにいた二人の給仕がアルマの背後に立つ。
「!? 何を……」
「魔女はこの世から消え去るべきだ。……本当に穢らわしい」
ギディオンは憎悪の篭った声でそう吐き捨てると、椅子の上で怯えるアルマに視線を送った。
「ソレを始末しろ」
「はい」
二人はアルマを椅子から引きずり下ろす。
「ちょっ、ちょっと! 嫌だ!」
給仕の男達は淡々とダイニングルームの外へアルマを連れていく。扉が閉まる直前、アルマは一度だけ振り返った。
こちらを見送るギディオンの顔はぞっとするほど冷たかった。
「放して! 放してったら!」
必死の抵抗も虚しく、アルマはどこまでも引っ張られていく。男達はいくつも分かれ道のある複雑な通路を進んでいくと、やがて地下へと入っていった。
屋敷内はどこも手入れが行き届いていて美しかったのに、階段を下るにつれて雰囲気が一変する。
階段を降りきると同時に感じた鉄錆の匂いと澱んだ空気に、アルマは吐き気を催した。
奥まで続く細長い通路の左右には、ずらりと鉄格子が並んでいた。中はどれも空っぽだったが、壁や床には赤黒い染みや爪で引っ掻いたような跡が残っていた。
(何ここ……)
何も知らなければ猛獣でも閉じ込めていたのかと考えただろう。だが、先ほどのギディオンの言葉から察するに、ここにいたのは恐らく……。
(魔女、でしょうね)
男達は長い通路を通り過ぎ、突き当たりの部屋まで来ると足を止めた。
その中は、一脚の椅子だけが置かれた殺風景な部屋だった。しかし、その椅子と床にはどれだけ洗っても洗い流せぬほどの血の跡が残っている。
それは、ブラックフォード公爵家が積み上げた負の歴史を物語っているようだった。
「座れ」
それまで黙っていた男がそう命令する。
金属製のその椅子には、両手両足にあたる部分に拘束具が付けられている。一目見ただけで嫌な予感に襲われる。
「嫌っ……」
男は無理やりアルマを椅子に乗せようとする。アルマは必死に抵抗し、男の腕にしがみ付いた。
(初めて腕にくっつく相手はエイベルがよかったのにーー!!)
エイベルとイチャイチャできない悲しみと怒りがパワーに変わる。火事場の馬鹿力というやつだろうか。あまりにしぶとい抵抗に男は手間取った。
それを見ていたもう一人の男はどこかから短剣を取り出した。
「魔力の少ない子供だろう。拘束せずとも問題ないはずだ。そのままやろう。押さえてろ」
「……ああ。わかった」
作戦を変えたのか、給仕はアルマを引き剥がすことをやめて、アルマの身体を固定した。
アルマは真っ青になった。
(やばい。本当に殺される!)
「待て。この宝石は初めに外しておくんじゃなかったか?」
「ああ、そうだった。俺は久々の『仕事』だから忘れてたよ」
そう言って、アルマを掴んでいた男はペンダントに手を伸ばす。
その瞬間、アルマはその手に思い切り噛み付いた。
「うわっ!」
驚いた男の手が緩む。その隙にアルマは腕を振りほどき、部屋を飛び出した。
……ロシュママの教えその二。変態に襲われたら殺す気で抵抗せよ。
「これは正当防衛よ!」
「……っ、待て!」
アルマは長い通路を一心に駆ける。しかし、子供の身体で大の大人から逃げ切れるはずもなく、ようやく階段の前に辿り着いたときに髪を掴まれた。
「キャッ!」
「……チッ。苦しまずに死なせてやるつもりだったのに」
短剣を持った男は苦々しげにそう言うと、躊躇なく短剣を振り下ろす。
(……嫌!!)
その瞬間、アルマの思いに答えるようにペンダントが強い光を放つ。そして男達の身体が吹き飛び、鉄格子に叩きつけられた。
「……うっ!」
「!」
また不思議な力が働いたようだ。だが、考えている暇はない。アルマは階段を駆け上って地下から抜け出した。
(早く屋敷から出なきゃ……)
続く廊下を、人の気配に注意しながら進んでいく。妙に入り組んだ構造だが、迷いながらも進むうちにエントランスまで辿り着いた。
「やっと出られる……」
アルマは扉へと駆け寄った。少しの安堵とともにドアノブに手をかける。……が、いつまで経っても開かない。
「あれ、何で?」
ガチャガチャと懸命に開けようとしていると、トン、と誰かが扉に手を付く。
その瞬間、息が止まった。
「逃げられると思ったか?」
「――!」
全身が粟立つ。
白い手袋から視線を移し、アルマはゆっくりと振り返る。
目が合った瞬間、アルマの瞳に怯えの色が色濃く浮かぶのを見て、ギディオンは唇の端を吊り上げた。
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