第16話 本心

エイベルはアルマが身につける制服に目を留めると、渋い顔になった。


「その格好は何? そもそも、客がいる応接室に勝手に入っちゃダメでしょ。お菓子まで食べて……」

「た、食べてないですよぉ……?」

「口に食べかす付いてるよ」

「えっ嘘!」

「嘘だけど」


慌てて口元を拭いかけたアルマははっとした。罠にかけられた。

ばつの悪そうな顔のアルマを見て、レイラが割って入る。


「彼女を責めないでください。私が勝手に食べさせたんですから」

「……まあ、貴女がそう言うのなら」


その瞬間、アルマの中でレイラの株が急上昇した。もはや女神に見えてきた。

そしてレイラは穏やかな顔のまま再び口を開いた。


「……ところで先ほど思い出したのですけれど、貴方にハンカチを貸したままでしたよね。本命だと思われたら不快なので返して頂けませんか?」

「あー、すみません。手違いで捨ててしまったのでお返しできません」

「あら、そうでしたか。貴方の手元にあるよりはずっとマシですね。安心いたしました」


二人の間には不穏な空気が流れている。


(アレッ。この二人、あんまり仲良さそうじゃない……?)


ただの協力関係というのは事実のようだ。

レイラはふっ、と皮肉めいた笑みを浮かべる。


「あんな風邪の引き方をするなんて、レリュード公子くらいですものね。何でしたっけ。水遊びをして身体を冷やしたのだったかしら?」

「水遊びではないですけど……」


エイベルが急に気まずそうな顔になる。

アルマは首を傾げた。


(何の話かしら?)


そこで話を切り上げると、レイラは立ち上がった。


「私はそろそろ失礼します。それでは、レリュード公子、ルマさん。……頑張ってくださいね」

「!」


レイラはアルマに意味深な視線を向けた。

きっと最後の言葉はアルマに向けられたものだ。……エイベルへの気持ちがバレている。

頬を赤くしたアルマに小さく笑い、レイラは侯爵邸を後にした。


レイラが帰ると、アルマとエイベルの二人きりになってしまう。

アルマは恐る恐る口を開いた。


「エイベル様、風邪を引いたんですか?」

「さっきの話? うん、池を泳ぎ回ったのが良くなかったみたいでね。あのときは一週間も風邪をこじらせたよ」

「池を泳ぐ? どうして?」

「ちょっと探しものをしてて……。……あ、いや、何でもない」


エイベルはさっと目を逸らす。


一週間? 池?

そのワードでハンカチを渡し損ねた日のことを思い出す。

ハンカチを渡そうとしたのは事故の日の一週間前だった。その日から一週間エイベルは風邪を引いたという。

それから、引き出しに仕舞われていた、池に捨てたはずのハンカチ。

その瞬間、点と点が繋がったような気がした。


(――まさか、私が池に捨てたハンカチを探して風邪を引いたの!?)


アルマびっくりして口元を覆った。

何せあれは本命ハンカチ。アルマのエイベルへの恋心の証なのだ。

それを拾うということは。その意味は。


(もしかして、エイベルも……)


まだ確信はない。だけど、期待することはやめられない。


――エイベルの本心が知りたい。


胸の高鳴りを感じながら、アルマは質問を重ねた。


「エイベル様はレイラ嬢と協力関係にあると聞きました。エイベル様への『見返り』って何だったんですか?」

「……そんなことも話したんだ」


エイベルは不意に、物憂げな表情を見せた。思い出したくないことを思い出しているような、そんな顔だった。

そうしてしばらく何事かを考え込んでいたが、やがて決心が付いたようにアルマを見た。


「……いいよ。教えてあげる。ヴィアリー公爵家は鉱山をいくつも所有してるんだ。だから、最近採掘された希少なストロベリールビーを俺が買えるように手配してもらったんだ」

「ストロベリールビー?」

「そう。……これだよ」


エイベルはポケットから小さな箱を取り出した。何故か箱は酷く損傷していたが、中から現れたのは、赤い宝石の嵌った指輪だった。

ストロベリールビーはエイベルの瞳のような色をしていた。


「どうして指輪なんて持ってるんですか?」

「プレゼントするつもりだったんだ」

「誰に?」

「……アルマに」


どくん、と心臓が鳴る。

掠れた声で「どうして?」と問いかける。


「もうお互い十九歳だろ。だからあげたかったんだ」


……それって、つまり。


そのとき、エイベルが見たことないほど真っ赤な顔になった。

刹那、全ては確信に変わった。


「本当はあの日、するつもりだったんだ。……プロポーズを」


その瞳は心の内を全てさらけ出すように熱を帯びている。

それ以上語らずとも、その顔を見ているだけで彼の気持ちがわかった。


(そうだったのね……。私達ずっと、おんなじ気持ちだったのね)


胸の奥がじんわりと熱くなる。言葉にならない思いが込み上げてきて、涙で視界が揺らいでいく。

アルマは潤んだ瞳でエイベルを強く見つめた。


エイベルは指輪をじっと眺めていたが、やがてパタン、と箱を閉じる。


「まあ、もう渡すことはできないんだけどね」


口に出した後で、その言葉の意味を噛み締めるように寂しげな顔をする。


「事故のせいで箱は傷付いたけど中は無事だったんだ。……だけどもう無意味なんだよ、こんなもの。ずっと思いを伝えられずにズルズルしてたらこんなことになるなんて。ほんと情けないよな」


エイベルは自嘲気味に笑う。その笑顔はあまりに痛々しかった。


「……聞いてくれてありがとう。こんな話誰にもできないからさ。ルマがいてくれて本当によかったよ」


エイベルの声は震えていた。

やがて、アルマの表情に気付いたエイベルが困ったように笑う。「どうして君が泣くの」と頭を優しく撫でた。


「だって……私……」

「耳まで真っ赤じゃないか。……ほんと、君は変な子だね」


金髪を梳くように撫でながら、エイベルは優しい顔をした。


この髪も、潤んだ菫色の瞳も、何もかもがアルマそっくり。だけど、この子はアルマなんかじゃない。

……いい加減、その事実を認めなくてはいけない。


アルマのことを忘れることなんてできない。きっと、永遠に。

だけど少なくとも今は、死にたいとは思わない。そう思えるようになったのは全部『ルマ』のおかげだ。


いつかは――いつになるのかはわからないけれど、この苦しみを乗り越えられる日がくるのかもしれない。この子が傍にいてくれるのならば。


(だからこれからはきちんと『ルマ』に向き合おう。アルマに似た子ではなく、全く別の、一人の人間として)


そう決心すると、ほんの少しだけ心が晴れるような思いがした。

……大丈夫。悲しみを抱えたままでも、進んでいくことはできる。


エイベルはアルマの涙を指先で掬うと、柔らかく微笑んだ。


一方、エイベルの微笑みを目の当たりにしたアルマの心臓はバクバクと激しく鳴っていた。込み上げる感情が体中を駆け巡り、体が熱くなっていく。


(……言いたい)


全てを言ってしまいたい。

エイベルへの気持ちも、何もかも全部。

その思いが膨れ上がり、抑えが効かなくなっていく。


「……ルマ?」


エイベルの気持ちを知った今、これ以上秘めておくことなどできない。

考えるよりも先に言葉が口をついて出た。


「聞いて。エイベル様……、ううん。エイベル」

「え?」

「私……」


胸元で両手を重ね、まっすぐにエイベルを見据える。そして、アルマは告げた。


「私、アルマなの。ルマなんかじゃないわ。事故の後小さくなって、この姿になったの」


そして思いの丈を全て乗せて、はにかむような笑顔を浮かべた。


「私もエイベルのことが大好き」


アルマはどきどきしながら返答を待った。

今の二人は両想いだ。

誤解も解けた今、二人を阻むものなどもう何もない。


(ハグとかされちゃう? それともキ……キス……とか?)


想像するだけでドキドキする。

アルマは期待の篭った眼差しをエイベルに向けた。


――そして、凍りついた。


「……何、言ってるの」


想像とは違って、エイベルの顔は見たことがないほどに冷ややかだった。


「そういう冗談、本当にタチが悪いよ。二度と言わないで」

「違うのエイベル。本当に……」


エイベルは冷え冷えとした視線を送った。

そこに浮かぶのは軽蔑……だろうか。

エイベルはアルマを見下ろす。そしてこう告げる。


「出ていって」

「……!」


泣き出しそうになったけれど、きっとそれすらエイベルを不快にさせるだけだ。アルマはぐっと唇を引き結んで必死に涙を堪えた。


「……わかりました」


絞り出すようにそう答えると、アルマは応接室を飛び出していった。

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