第15話 来訪者
庭園ではセオが花々よりも存在感を放ちながら作業をしている。その目元には黒いサングラスがかかっている。
セオは「毎日少しずつサングラスの暗さを明るくしていき、最終的には素顔に慣れてもらいます!」と自信満々に言っていたが、果たしてそれは上手くいくのだろうか。買い揃えた数十種類のサングラスも無駄にならないといいが。
汗が目に入ったのか、セオはサングラスを外して手の甲で拭う。そのとき、偶然近くを通りかかった数人の使用人がドミノ倒しに倒れていった。……まだまだ道のりは遠いみたいだ。
そんなセオの姿を遠巻きに眺めながら、アルマとエイベルの二人は庭園のガゼボで休んでいた。
アルマはちらりとエイベルに視線を向ける。
(エイベル、前より元気になったわね)
アルマの葬儀に現れたときは酷くやつれていたが、ずいぶん回復したようだ。
こうやって一緒に穏やかな時間を過ごすことができるなんて、少し前のアルマには想像もできなかった。
じっと見つめていると、視線に気付いたエイベルが振り向く。そして「ん?」と優しい目で問いかける。
この身体ではエイベルとの結婚など夢のまた夢だが、近頃ではそれでもいいか、という思いが芽生え始めていた。
(たとえ大人に戻れなくても、ずっとこんなふうにいられるなら、それも幸せかもしれないわね)
そのとき、遠くからロシュがやってきた。
エイベルはすぐに「小言を言いにここまで追いかけてきたのか?」とぼやく。
「違いますよ。エイベル様にお客様です。ヴィアリー公爵令嬢がいらしてます」
ヴィアリー公爵令嬢。
その言葉にアルマは弾かれたように顔を上げた。
(どうしてレイラ嬢がエイベルに会いに来るの?)
そう言えば、エイベルとレイラの間には婚約の噂が立っていた。その上、レイラのものと思われるハンカチをエイベルが持っていたのだ。
アルマは一気に深刻な顔になった。
(そういえば、二人の関係はよく知らないままなのよね)
「ああ、ヴィアリー嬢か」
そう呟くと、エイベルはすぐに席を立った。
「ちょっと行ってくる。……ルマ。大人しく待ってるんだよ」
エイベルそう言い残し、行ってしまった。
遠ざかる背を眺めるうちに、えも言われぬ不安がアルマを襲う。
アルマがこの屋敷に来てから、エイベルが自発的に屋敷外の人間と会う姿を見たことはなかった。それなのに、レイラの訪問はこんなにすんなりと受け入れるなんて。
(エイベル、まさか本当にレイラ嬢と結婚するつもりなの……?)
遠くでは、セオが作業の手を止めて空を見上げる。どこからか現れた分厚い雲が青空を覆い隠し、地上に暗い影を落としていった。
***
紅茶に口を付けていたレイラは、エイベルが応接室に入ってくるのを見て立ち上がった。
「お久しぶりですね、ヴィアリー嬢」
「ええ、レリュード公子こそ、……噂よりお元気そうで安心しました」
エイベルはレイラに座るよう促し、自らも向かいのソファーに座った。
「本日はどのような要件で?」
「公子のお見舞いと、……あの件を今後どうするか一度話しておこうと思いまして」
「……ああ、そうでしたね」
二人は意味深な視線を交わした。
「はぁ……」
自室に戻ってきたアルマは頭を抱えた。エイベルとレイラのことが気がかりで先ほどから何も手につかない。
意味もなく部屋の中を歩き回っていたとき、チェルシーが部屋を訪れた。
「ルマ様。ティータイムにしましょう。ルマ様の大好きな角砂糖もたくさん用意しましたよ」
茶器が乗ったキッチンワゴンを押してチェルシーが部屋に入ってくる。それを目にしたとき、アルマはかっと目を見開いた。
「そうよ。それよ!」
「へっ?」
「チェルシーさん、これ貰います」
アルマはキッチンワゴンを押しながら全力で廊下を駆けていった。
途中で使用人に頼んで侍女用の制服を調達すると、侍女に扮したアルマは応接室へと向かった。
(これでどこからどう見ても侍女でしょ)
このまま二人が結婚することになれば、今度こそ本当に死んでしまう。
アルマはエイベルの幸せを願ってはいるが、他の女との結婚を素直に祝福できるほど心の広い人間ではないのだ。
(絶対に二人の婚約を阻止してみせるわ!!)
アルマは応接室の前で立ち止まると、一旦カートを脇に置いて、扉に耳を付けた。
「くっ……何も聞こえないわね……」
使用人にも確認したので二人が会っているのはこの部屋で間違いないはずだ。しかし、話し声は一切聞こえてこない。
アルマは中を覗こうとドアノブに手をかける。と、同時に扉が開く。
「きゃっ!?」
アルマは扉に弾き飛ばされて尻餅をついた。
そろりと顔を上げるとグレーの瞳と目が合った。
「あら、貴女は……」
「あ……」
「可愛い侍女さんね。お名前は?」
そう言って綺麗に微笑んだのは、レイラ・ヴィアリーその人だった。
――数分後。
アルマとレイラは何故かソファーに横並びに座っていた。応接室には他に人はおらず、二人きりだ。
(エイベルったらどこ行ったの?)
本当は給仕を装って割り込み、この場をめちゃくちゃにしてやるつもりだったのに、計画は失敗だ。
そわそわしながらも、アルマはちらりと隣を見た。
レイラは艶々としたワインレッドの髪にグレーの瞳が印象的だ。座っているだけで目を引く優雅さがある。アルマとはタイプの違う美人だ。
(まだ十七歳なのよね。年下なのにこの洗練された品の良さ……社交界での評判は伊達じゃないようね)
男性ならば誰でも惹かれないはずがない。そう思わせるだけの説得力がある。
アルマの中で焦燥感と敵愾心が膨らんでいった。
「ルマさん。これはささやかなお土産なのだけれど、おひとついかが?」
差し出された皿に乗っていたのは、種類豊富なクッキーだった。アルマは警戒しながらもサブレディアマンを選び、口に運んだ。
その瞬間、一瞬で警戒心が解けた。
「おいしい〜!」
「ふふ。どうぞ沢山食べて」
「はい!」
アルマは心底幸せそうな顔でクッキーを齧った。……そして、我に返る。
(まずい。敵を前にして油断してしまったわ)
本来の目的を忘れてはいけない。それに、むしろエイベルがいない今がチャンスかもしれない。
アルマは心を決めてレイラを見据えた。
「レイラ嬢はエイベル様のことが好きなんですか?」
「え?」
「エイベル様にハンカチを渡しましたよね」
「……まあ、どうしてそれを知っているのかしら。確かにハンカチは差し上げたわ」
「!」
それは、つまり……。
さっと表情を曇らせたアルマを見て、レイラは何かを察したようにくすりと笑った。
「だけど、特別な意味はないのよ。あまりにもくしゃみをするものだから見るに堪えなくて」
「え?」
『くしゃみをしてたら気を遣って渡されただけだよ』と答えるエイベルの姿が脳裏に浮かぶ。
(じゃああれは言い訳じゃなくて、本当のことだったの?)
「それならどうして婚約するなんて噂が立ってるんですか? まさか、本当に……」
「それはあくまで噂。私のお父様がレリュード公子との婚約を狙っているのは事実だけど、私はそんな気はさらさらないの」
「どうして……?」
「実はね。……これは秘密にしておいて欲しいのだけれど、私にはお慕いしている方がいるの。その方と結婚出来るよう奔走している最中なのよ。さしずめ彼は協力者というところね」
そう言って、レイラは安心させるように笑う。アルマは気が抜けていくのを感じた。
「何なら今日だって、その協力していただく件について話すために来たのだから」
「でも、その……。エイベル様は好き好んで他人の恋のキューピットになるようなタイプには見えませんけど」
「それは一種の取引というか……。根回しに協力する見返りに、あるものを用意しろと頼まれてね」
「あるもの?」
「ルマ、何やってるの」
突然聞こえた声に、二人は振り向く。入口にはエイベルが立っていた。
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