かわれる

くにすらのに

かわれる

「あの、あかりさんですか?」


 あかりというのはあたしの仮名だ。漢字を決めるのも面倒臭くてひらがなで使っている仕事上の名前。

 最初は呼び慣れなくて違和感しかなかったのに、今では仕事モードに入れば自分はあかりだとしっかりと認識できる。


 学校で呼ばれた時にうっかり反応しないように自分の周りにいない名前を選択したのは我ながら頭が良いと思う。


 だから、この名前を呼んだ女性の声に振り返るべきかとても悩んだ。隣には誰もいない。確実にあたしをあかりと呼んでいる。


 仕事柄、あかりと呼ぶのは男しかいない。それもずっと年上の、下手したら父親くらいの年齢だ。たまに若い人もいるけど、それでも二十代後半でそれなりにお金を持っている。


 つまり、あたしの時間を買うには相応のお金がいるってわけ。いろんなオプションをNGにしてデートと食事だけにしてるから売り上げ自体は低い。それでもリピート率や評価は高いのがちょっとした自慢だったりする。


「あかりさん……ですよね。予約入れてるんですけど」


 間違いなくあたしに向けられた言葉だ。女の子に対して予約なんて言葉、普段は絶対に使わない。

 お店の中ならともかくここは駅前の待ち合わせスポット。もう確実に客だ。


「……はい。そうです」


 振り返ると、クラスで見たことのある顔がいた。本当に見たことのある程度。別のグループに所属してるから絡みはないし、出席番号も離れてるから実験の班分けで一緒になることもない。


 ただ同じクラスで授業を受けるだけの存在。たぶんろくに口を利くこともなく進級して、別のクラスになったらマジで絡みはゼロ。偶然同じクラスになったとしても特に泣くこともなくお別れすると思う。


「同じクラスの苗木なえぎ萌香もえかです」


「知ってる」


 名前くらいは知ってる。あと知ってる情報と言えば校則を律儀に守ったスカートを履いてることくらい。好きなものとか得意科目とか他はなんにもわからない。

 そんな苗木さんが普段から考えられないミニスカートを履いていて、さらにノースリーブというのはとても意外な印象を受ける。


 肌の露出は多いのにどこか清楚感というか遊んでる感じがしないのも不思議だ。たぶん、普段あたしの時間を買ってる男もこういう子が好みなんだろうなと思う。


「それで、あたしに何の用?」


「前に知らないおじさんと歩いてるところを目撃して、ずっと気になってった」


「なるほど。うちの高校バイト禁止だもんね。学校にバラされたくなければお金をよこせって?」


 大人しそうな顔をしてエグいことを考えると思ったのに苗木さんは首を横に振った。


「暑いからどこか入らない? あ、支払いは私がするから」


「え……あ、うん」


 お店の会計は客側がもつことになっている。連れていくのは高級なお店でもファストフードでも構わない。とにかく、女の子に一円も払わせないというのがルールの一つになっている。


 苗木さんはそのルールを律儀に守ってくれるみたいだ。私服がちょっと派手でも学校で見る姿から想像できる性格は変わらない。だから余計に今後の展開が不安になる。


 お金目的じゃなければあたしの退学とか? 別に苗木さんに迷惑を掛けてるわけじゃないのに。風紀を乱す存在が許せないとかだったらもっと酷いのはいくらでもいる。


「ここでいい?」


「うん」


 ホテル街近くの喫茶点は落ち着いた雰囲気で他の座席が見えにくいように仕切りが多く立っている。

 きっと、あたしもオプションを解禁していくとこういう場所を待ち合わせに指定されるんだと思う。

 若い女の子とお金を持っていそうなおじさんの声が入り混じっていた。


「好きなの頼んでいいよ」


「あ、うん」


 ものすごく高いわけではないけど、ワンランク上の価格帯だというのは理解できた。あたしだってかなり稼いでいるから痛手ではないにしても、他人の分まで奢るとなるとちょっと躊躇する。


「本当にいいの? なんか高そうだけど」


「同じアプリでパパ活してるから。オトナもしてるし」


「へ……?」


「オトナよ。1回5万とかで。さすがに着けてはいるけど」


「待って苗木さん。アプリでパパ活? 苗木さんが?」


「ええ、このアプリ使いやすいわよね。運営もちゃんとしてるし。パパ活をあっせんしてるマッチングアプリがちゃんとしてるっていうのもおかしな表現だけど」


 理解が追い付かない。校則を守ってるイメージしかない苗木さんがパパ活? しかもオトナまで?

 しかも口ぶりから察するに何度もオトナをしている。経験だけで言えばあたしのずっと先を行ってる、いわば先輩だ。


「クラスで耳に入った会話から好きなものとか特定して、それっぽいプロフィールの子にアプローチを掛けたの。5人目であかりさんに会えたのは運がいいかもね」


「一応その名前で呼んでくれるんだ」


「どうかしら。うっかり学校で呼んじゃったらごめんね」


「……くっ」


 正直クラスカーストはあたしの方が上だ。バイトで稼いでお金でコスメとかブランドとか買って、女としての魅力はその辺の大学生にも負けてないと思う。

 そう思っていたのに、卒業まで絡むことのないと思っていた下層のクラスメイトに逆転を許してしまっている。


「目的は何? 脅迫?」


「家族や学校ににバラされなくなかったらおとなしくデートしなさい」


「苗木さんだってバラされたくないんじゃない?」


「学校での私がそんなことやってるように見える? 私の言葉とあかりさんの言葉、先生はどっちを信じるかしら」


 お互いにアプリの利用履歴はある。アプリを消しても会社にデータは残るから本気で調べればどんな内容でお金を稼いでいたのかは一目瞭然。条件は同じはずなのに不利な戦いを強いられている。もはや負け確と言ってもいい。


「私ね、あかりさんみたいになりたいなってずっと思ってるの。明るく染められた長い髪はしっかりお手入れされていて、綺麗な肌を晒して注目を集められる女の子」


「だったら苗木さんもすればいいじゃん。めっちゃ肌綺麗なんだし」


「それができれば苦労しない。今まで積み上げてきたイメージがある。だからこそ、パパ活してても誰からもそんな風に思われないわけだし」


「なるほど……」


 苗木さんの落ち着いた語り口はとても説得力があって思わず頷いてしまう。あたしなんかより過激なことをしているのにそんな風に見えないのは、日頃の努力の賜物なんだろう。


 逆にあたしは客から慣れてそうと言われるし、軽い女だと思われている。だから何度もリピートしてオトナにまでこじつけたいという考えが表情からにじみ出ている。


「っていうか、オトナしてるってマジなの? アプリを使ってるのは、あたしとマッチングしてるからそうなんだろうけど」


「確かめてみる? ベッドで」


「はっ!?」


 周りから席の様子が見えないお店で本当に良かった。絶対に変な顔になってる。グループ内で彼氏とそういうことをした話になることもあるけど、あたしは聞き役に回りながらバイトで仕入れた男情報を元に想像で会話に入ることが多い。


 たぶん男子からも何人かと経験があるって思われてる。でもさ、それならオトナだってするわけよ。その方が稼げるし。でもさすがに初めては好きな人としたいっていうのが理想っていうか……。


「苗木さんって彼氏いたことあるの?」


「ないわ。学校で男子との接点はほとんどないし」


「ウソでしょ? オトナしてるのに? あっ! オトナしてるのがウソなんでしょ。さすがに高校生でオトナはいろいろ問題だもんね」


「それは本当。証拠を見せろって言われると困るけど。私がおじさんとホテルに入って、数時間後に出てきたら信じてもらえる?」


「…………」


 あたしは言葉を失った。今の躊躇いのない言葉はたぶん本当だ。オトナすることに迷いがない。知らないおじさんに体を触られて、キスして、最後まですることが当たり前になってる。


「お金に困ってるとか? ブランドは全然使ってないよね?」


「高校生がそんなの持ってたらまずパパ活を疑われれるじゃない。この服だってトイレで着替えてるんだから。親はずっと地味な子だと思ってる」


「あぁ、その大きなバックはそういう」


「中には地味な格好の子が好みっていう人もいるから、そういうリクエストにも応えられる。もちろん追加のお小遣いは頂くけど」


 遠慮なく注文させてもらったモンブランがテーブルに置かれる。店員さんはここがそういう場所だと理解した上で働いているみたいで、気配を消して仕事をしている。耳にしたことは他言せず、ただ与えられた業務をこなすのみ。


 たぶん、あたし達のバイトはこういう人達によって成り立っている。


「ちなみにお金には困ってない。あって困るものじゃないから。あかりさんみたいにブランド物を買うわけじゃないから貯金してる」


「プレゼントとかは? おねだりしたら買ってくれるじゃん」


「さっき言った通り、そういうのも身に着けてると怪しまれるから断ってる。だから、他の子よりコスパが良い」


「頭良いなぁ……」


 普通なら、オトナまでするんだからついでにいろいろ買ってもらろうとなる。バックを買ってもらった上でお小遣いまで入るんだから一石二鳥だ。

 だけど、女子高生の身分でパパ活を続けるなら苗木さんのやり方が正しい。普段周りにいる大人から怪しまれず、リピーターから確実に稼ぐ。


 危ない相手なら一度きりで関係を終わらせて、信頼できそうならリピーターとして連絡を取ればいい。


「こんなところでも学力社会があるなんて」


「お金も学力もあって困るものじゃないのよ」


「まさか、それを教えるためにあたしとマッチングを?」


「そんなわけないじゃない。私は、自分の気持ちを確かめたいの」


「……はぁ?」


「いろんな男の人と関係を持ったけど好きとか感情は抱けなかった。クラスメイトにも。別に男が嫌いではない。たまに気持ち良くなる時だってあるし」


「そ、そうなんだ」


 この反応はあたしが処女だって自白してるようなものだと気付いた時にはもう遅かった。苗木さんは、こいつ処女なんだみたいな目であたしを捉えている。

 客の中にも会話の中であたしが処女だと気付いたっぽい人は何人かいて、目の色が変わるってこういうことだと知った。


「思った通りの人ね。見た目は遊んでそうなのに初心うぶで純粋で。だから気になるのかも」


「気になるって、あたしが?」


「そう。私、もしかして女の子が好きなんじゃないかなって」


「あたしは別に女の子に興味はない!」


「お金ならある。オトナをしてるからあかりさんより稼いでる。いかにもヤラせてくれそうなギャルっぽい子より、わたしみたいな委員長タイプの方がウケが良い」


「まさか学校でもそういうことしてるとか!?」


「お金も貰えないのにしないよ」


「貰えたらするんだ……」


 男子が知ったらバイト代を貯めて苗木さんのところに殺到しそうな情報を入手してしまった。

 普段は地味だけどおしゃれしたらめちゃくちゃ可愛い。どっちの需要にも応えられるならそりゃ稼げるわ。


「今日の代金はこれでいい?これで一日わたしに買われて」


「マジか……」


 財布から取り出されたお札の枚数は十枚。オトナで5万円貰っていると言ったからオトナ2回分のお金だ。それを、あたしに払っている。


「ごめん苗木さん。あたし、女の子とも経験ないから。こんなに貰っても困る」


「根はまじめだね。あかりさん」


 妖しく微笑むとアイスコーヒーを一口飲んだ。首筋の筋肉がわずかに動くだけでも色気が溢れ出ている。経験した女の子って、こんなにも変わるんだ。


「あかりさんにコーディネートしてほしい。私に似合う服」


「は? そんなんでいいの? なるほど、服代も込みってことね。OKOK。これだけ予算があればどんな風にもコーディネートできちゃう。迷うな~。学校でのイメージと今のイメージがかけ離れすぎて方向性が決まらない」


 学校では地味なグループに入ってるから、あたしと一緒に遊びたいってことね。同じパパ活をしてる者同士、共通の話題もあるし。

 共通点がパパ活っていうのもどうかと思うけど、そんな友達がいてもいいよね。


「あかりさん好みの女の子にして。その方がやりやすいでしょ?」


「やりやすいって、なにを」


「セックス」


なんの恥ずかし気もなく放たれた言葉に体中がカッと熱くなった。さっきまでオトナという言葉で濁していたのに、突如放たれたストレートな言葉、それも苗木さんの口から出たということが重要だ。教室での印象と全く結び付かないギャップが心を激しく揺れ動かす。


あざとくお願いすれば何でも買ってもらえてお小遣いも貰える。あたしは可愛くて、男を手玉に取れる特別な存在なんだと教室でマウントを取ってきたのに、そのマウントが逆転した。

苗木さんはお金を出せばあたしに何でも命令できる。体を売って、あたし以上の力を……お金をこの場で持っている。


「女の子同士で、その……経験はあるの?」


「ないわ。だからこうしてお金を払ってお願いしてるんじゃない。買われるの? やめるの?」


おもしろい。買われてあげる


女の子同士の経験がないなら条件は互角。ベッドの上でその経験豊富な余裕の笑みを崩してやるんだから。


「一つ聞いていい? もし本気であたしを好きになったら、学校でも絡むわけ?」


「いいえ。クラスでは内緒の秘密の恋。その方が燃えると思わない?」


「なんかイメージめっちゃ変わった」


 真面目で冗談とか言わないタイプ。冗談じゃなくて本気で秘密の恋って言ってるっぽいけど、とにかくこういうことは言わないと思ってた。


 クールな印象なのは教室でもそうだけど、すごく洗練されたお姉さん感がある。同級生なのに。この路線で教室にいたら絶対モテる。しかもお金さえ払えばヤラせてくれるとか男子の理想なんじゃない?


「苗木さんがあたしを好きになったとしてさ、あたしも同じ気持ちになるとは限らなくない? そりゃ、女の子に対して可愛いなとか綺麗だなとかは思うよ? でも、恋愛感情は抱いたことないかなぁ」


「だからこれを使うの。知らないおじさんとご飯を食べるより、私に買われた方がタイパがいいわよ?」


 テーブルに置いたままのお札をぺちぺちと叩く。クラスメイトと一緒に遊べばオトナ2回分。ベッドでどうなるかはまだわからないけどタイパは最高だ。


「そのためにパパ活も続けるの? あたしが好きなのに?」


 女の子が好きなのに見ず知らずの男に体を許す。それはとてつもない苦痛だと想像できる。

 仕事と割り切るにしても、そうやって稼いだお金が自分に回ってくるというのはどこか罪悪感を覚えてしまう。


「恋って、そういうものじゃないのかしら」


 ブランドバックを買ってもらった時とは違う高揚感が体の奥から湧き出てきた。心を奪われるって、こんな感覚なのかな。


 とりあえずテーブルに置かれたままのお金を回収した。同意のサインだ。

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