終わり

 人気の感じられない、街灯の明かりと月明かりだけが私たちを照らす、寂れた公園。あたし達にとって思い出の場所であるそこで、湊とあたしは二人並んでブランコに座っていた。


 「昔、貴女があそこにあったジャングルジムから落ちたの覚えてる? 多分、あれが撤去の決定打だったんでしょうね」


 「そんなこと言ったら、湊だって学校のブレーカー落として、強制的に休校にさせたことあったでしょ? 夏真っ只中だったせいで、熱中症になった子だって居たんだから」


 誰も湊が犯人だとは思わなかっただろうが、あたしだけは分かっていた。あの日、湊は午後の洋画が見たくて、あんな大がかりなことをしでかしたのだ。昔っから、こいつはそういう奴なのだ。


 「あの時も、亜里砂だけは私が犯人だって言ってたわね。結局、証拠が無いから私に言うだけ言って終わったけど」


 「伊達にあんたの親友やってないからな。おかげさまで、無駄に面の皮が厚くなったよ」


 「……それは、元から貴女の気質ではないのかしら」


 「あぁん? 誰が腹黒性悪猫被り女だって?」


 「うふふっ……亜里砂のその返し、とても好きよ。美希の前でもやれば良いじゃ無い」


 「美希は純粋すぎる。下手をすれば、湊の悪影響を受けちまうでしょ。あたしまであんたと同じ風にしたら、絶対悪い方に傾くよあの子は」


 騙しているつもりは毛頭無い。馬鹿っぽいあたしもあたしだし、内心で裏の意図を読み解こうとするのもあたしだ。


 「それに、こんなあたしを知ってるのは、あんただけで十分だよ、湊」


 「嬉しいことを言ってくれるわね。なら、今回も楽しませてくれるんでしょうね?」


 「ほざけ。どうせ今回も憶測と状況証拠だけで、決定的な証拠は存在しないんだろ? あんたはそういう隠し方をする。とりあえず話すけどね」


 「いつものことじゃない。私が出題者で、亜里砂が回答者。何年経っても、この関係は続けていきたいものだわ」


 「御免被るっつうの。何であんたみたいな、サイコパス思考のやべぇ女の暇つぶしに付き合わなきゃならんのだ」


 「サイコパス……とは酷いわね。ちゃーんと、亜里砂以外には優等生っぽく振る舞えていると思うのだけど」


 「優等生は「正しい拷問の仕方」なんつーもんを持ってこないんだよ。美希みたいなピュアな奴にこそ、そーいうのは似合ってるってなもんだ」


 それに……例え湊の手の上だとしても、こんな趣味の悪い話を長々とするものではない。それにあたし自身も、自分が出した結論を信じたくない。出来れば、全く的外れな意見だと一刀両断してほしいものだ。


 「はぁ……まず、最初に違和感を感じたのは、古書とさっき刷られたみたいに綺麗なコピー用紙のアンマッチ加減だ。同じ紙の束ではあるけど、この差は大きい」


 「同感ね。だからこそ、二人に話したのだけど」


 「もう良いって……どうせ、コピー用紙の束は湊が用意したんだろ?」


 「……あらあら、どうしてそう思ったの?」


 白々しい。私はブランコを漕ぎながら、ただの仮定の話を始めた。


 「本を販売した店も、購入した湊も存在を知らない商品があった……中々怖い話だけど、現実にはそれがあった理由が必ず存在してる。コピー用紙が勝手に犯人の記憶をトレースして、独りでに湊の元に来るなんて、普通はありえないんだからさ」


 物事には理由があり、それが分からないのは観測する者が居ないからだ。だから、観測していない私は、ただ推論を述べる事しかできない。


 「だから、それを論理的に説明しようとすると、どっちかが嘘をついているか、湊が私たちに全ての情報を開示していないってことが一番現実的だ。けどさ、店側は嘘をつく必要なんて無い。消去法的に嘘をついてるのは湊の方だって考えた」


 「面白くなってきたわね。その調子で、どんどん進めて」


 「はいはい……で、次に問題なのは「正しい拷問の仕方」をどうやって用意したかっていうとこだな。さっき軽く検索してみたけど、こんな文章はネットのどこにも無かった。多分、本当に存在しないんだろう」


 「でしょうね。意味ありげに出した怪文書が、実はネットで広まってる創作物でした……なんて、興ざめもいいところだもの」


 「話を続けるぞ。つまり、これは本物だ。読書家って訳でもないあたしが、一生忘れないだろう話だしな。あんたは100パーセントの嘘はつかないし、これが実際の事件を下地にした作品だっていうのは本当なんだろう」


 出処は湊から、しかしその内容は簡単に用意できるものでは無い。いたずらで出すにしては、クオリティが異常すぎるのだ。だからこそ、複雑に考えてしまう。


 「けど……美希は知らないかもしれないけど、これを持ってきたのは、あの伏屋湊だ。よく分からない行動理念のために、文字通り何でもする……あんたはそういう女だ」


 「買いかぶりすぎよ。私はどこにでも居る、普通の女子高生だもの」


 「湊を普通の女子高生にしたら、日本の全女子高生がみんないかれてることになっちまうよ」


 無遠慮の軽口を叩きながら、私は疑問点を並び立てる。そして辿り着いたのは、自分でも信じられないものだった。お願いだからどうか、この荒唐無稽の仮説を笑い飛ばしてくれ。


 「これを用意したのは、湊である可能性が高い。けれど、それをどうやって準備したのか分からない。だからさ、私は思ったんだよ。「正しい拷問の仕方」は、湊が書いたものなんじゃあないかって」


 「…………」


 「なんで……黙るんだよ……!」


 あたしはブランコから降りて、湊に詰め寄った。そんなことはありえない、あってはならないんだ。いつもみたいに、不気味な笑顔で笑ってくれよ。そうじゃないと、駄目だろ。


 「自分でもぶっ飛んでるとしか思えない! でも、不思議とそう考えると全部納得できるんだよ! でも……だけど、それじゃあっ……!」


 「……亜里砂、まだ止めちゃ駄目よ。貴女は止まってはいけない。気付いていて何もしないのは、もっとも許されざることなのだから」


 湊は優しく、私の頬に触れた。それであたしは、自分が泣いていることを自覚した。悲しくて、悔しくて、許せなくって……あたしは、その感情を叩きつけるように仮説を紡いだ。


 「あたしたちが出会ったのは、今から10年前の2013年だ。そして、事件が起きたのは2012年の夏頃。あの時、あんたは言ってたよな。「お父さんが居なくなったから、引っ越してきた」って……」


 湊は転校生だった。かなり遠くの方から引っ越してきて、そして彼女の親は母のみだった。あたしは、湊がその理由を絶対に語らなかったのを、良く覚えている。


 「それと、さっき言ってたよね? 逮捕された男は二ヶ月もの間、事情聴取されたことすら無かったって……なんで、秘匿されたに近い事件の詳細を、湊が知ってんだよ……!」


 事件は地方の新聞が報じただけなのだ。ただの一般人がそんなこと、短期間で調べることが出来るのだろうか? いや、きっと不可能だ。なのに、湊はそれを知っていた。


 「だから、それは嘘なんだろ!? そう言ってよ!!!」


 「……いいや、本当のことよ。男は、犯行から自首するまでの間、一切怪しまれていなかったわ。文字通り、完全犯罪だったのよ」


 「なんでっ……なんで、その光景を見てきたみたいに言うんだよ……!」


 存在を隠すように、触れられてこなかった湊の父親。彼女が引っ越してきた日付と、事件の時期。そして、まるで見てきたみたいに詳細な事件の概要と、その犯行内容までも記された「正しい拷問の仕方」。


 「そうなのか……? 湊のお父さんは本当に、神崎守なのか……?」


 「ふふっ……アハハ! アハハハハ!!!」


 普段の、どこか冷めた様な微笑とは違う、心の底から湧き出る様な笑い声。湊は楽しそうに、それはもう楽しそうに、その口を三日月に歪めて笑っていた。


 「つまり……亜里砂は「正しい拷問の仕方」を書いたのは私で、私が犯人の娘だから書けたと……そう言いたいのかしら?」


 「……そうだよ。そう考えれば、全部納得出来た」


 「うふふっ……やっぱり亜里砂は面白いわね。私の期待を絶対に裏切らない。美希の前じゃ言わなかったけど、そういうところが一番好きなのよ」


 「否定、しないの?」


 「する必要なんて無いでしょう。亜里砂のそれは仮説に過ぎないのだからね」


 「じゃあ、何処からこのコピー用紙の束は出てきた! なんであんたが事件の詳細を知っている! 納得のいく答えをあたしに寄越せよ!!!」


 「……そうね。少し、ある男について話しましょうか。どこにでもある、ありふれたお話を」


 湊はブランコから降りて、ステップを踏むようにゆったりと歩き始めた。あたしはその姿を、ただじっと見つめた。


 「男はね、昔からあらゆることを経験したかったの。百聞は一見にしかず、という言葉を座右の銘にするほど、男は何かを体験することを重視していた」


 「あの生き物はどんな感触がするのか、勝利した時に何を感じるのか、誰かを愛するとはどういうことなのか……男は、思いつく限りのことを経験した」


 「でもね? 男は満たされなかった。どんな名声を手にしても、どれほど財産を得ても、一度体験してしまえばそれまで。後はただ、その状況に慣れてしまうだけだった」


 「だから、男は思ったの。やってはいけない、してはならないと言われている行為は、どんなものなのだろうと。それを経験してみたいって、そう思ったの」


 「男はそれから、世間一般では悪逆とされる行為を繰り返した。一度捕まってしまえば新しい体験は出来ないだろうと、ご丁寧に証拠を完全に隠滅してね」


 「そしてある時、男は悟ったの。このまま犯罪を繰り返しても、意味なんて無い。犯罪に手を染めたところで、自分は幸せになんてなれないのだと」


 「当たり前よね。毎日毎日新しい体験をするなんて、不可能だもの。いつかは慣れて、適応して、それが普通になる。男は絶望したわ」


 「そこで思ったの。自分はもう何もかもを体験しつくしてしまった。楽しさも苦しさも、全て知ってしまった。例えまだ自分が知らない体験があったとしても、それを探すことに疲れてしまったと」


 「でも、男は最後に悪あがきをした。自分では体験できなかったことを、自分の子供に経験させようとしたの」


 「男はまだ幼い自分の娘に、歪んだ思想を教え込んだわ。自分の行動理念、考え方、それら全てを実現するやり方をね」


 「蛙の子は蛙、というものなのでしょうね。娘はそれらをするすると、柔軟な頭に叩き込んでいったわ。最後には、例え人が泣き叫んでいる様子を間近で見せられても、顔色一つ変えなかったわ」


 「そして、男は己の願望全てを娘に押しつけて、自分は逃げた。社会から、自分の在り方からもね。男は愚かで、どうしようもないろくでなしだったわ」


 湊のそれは、事実の裏付けだ。あたしの机上の空論を補完する、答え合わせだ。あたしは拳を握って、ただ言い表しようも無い無力感に苛まれた。


 「男はきっと、誰かに見つけて欲しかったのでしょう。どこかおかしい自分を見て、触れてくれる人が欲しかったのでしょう。でも、誰も彼を見つけることは出来なかった」


 「……湊」


 「亜里砂。私はね、その男の気持ちが少しだけ分かるの。誰だって、本当の自分を見つけて欲しいし、愛してもらいたい。それってきっと、みんな思ってることなのよ」


 湊はゆっくりと私の前に立って、その顔を綻ばせた。その笑顔は、邪悪でありつつも、どこか目が離せない魔性の笑みだった。


 「それを、貴女は叶えてくれる。亜里砂はいつだって、私を見つけてくれる。私がどんなことを企んでも、実行しても、絶対見つけてくれた。四條亜里砂は、私をずっと見てくれた」


 「目を離したら、あんたはすぐ見えなくなっちまうからな」


 「ふふ……亜里砂はずっとずっと、私だけを見てくれている。それだけで、私はその男とは違うのよ」


 満足げに笑う湊はあたしの手を取って、その指を絡ませた。それに呼応する様に、あたしはゆっくりと立ち上がって、公園の出口を目指した。


 「さっ、帰りましょ? 今日はとっても、楽しい一日だったわ」


 「最後に教えて。さっき話したのは、全部本当のこと? どこから嘘で、どこからが真実なの?」


 「……さぁ? 全部本当かもしれないし、嘘かもしれない。亜里砂は信じたいものだけ、信じれば良いのよ」


 「分かっ、た……でも、帰る前に一つだけ、終わらせておきたいことがある」


 「何かしら?」


 「それ……「正しい拷問の仕方」を、燃やそう」


 「良いわね。じゃあ、少し歩いて河川敷にでも行きましょうか」


 あたしには、何が真実なのか分からない。何処からが本当で、何が嘘なのか、全然分からない。


 そんなあたしでも一つだけ、あたしが絶対であるという事がある。それは、伏屋湊という人間についてのことだ。


 湊は賢く、強かで、そして非情だ。自らが楽しむため、喜ぶためなら、文字通り何でもする。


 「ふふっ……紙を燃やすのって、ちょっと面白いわよね。火がドンドン大きくなっていくのも、神秘的だしね」


 「あー……氷に熱湯かけて遊んでたりするみたいな?」


 「私がアイスコーヒーを好きなのは、あれを見たいからまであるわ」


 そんな人間の親が、果たして自首などするだろうか? 刑務所に入ってしまえば、新しい体験など出来るわけも無い。そんな潔い生き方が出来るとは、あたしには思えなかった。


 だけど、実際は自首したのだ。全てをかなぐり捨てて、そんな真人間のような生き方を選んだ。


 だから、そこには理由があるはずだ。あの嘘つきが語った内容なんかじゃない、自首をした本当の理由が。


 答えは分からない。何故、犯人が自首したのかなんて、分かるわけも無い。しかし、あたしの思考は、とある仮説を弾き出していた。


 もしかして……湊は、自分の親をそそのかしたのか? それが面白いと思ったから、自首する様に神崎守を突き落としたのか? そんな恐ろしい妄想が、あたしの頭の中を占拠した。


 「……? 亜里砂、どうしたの?」


 「あぁいや……何でも、無い」


 ただ怖かった。もし、それが本当だとしたらと考えるのが。


 だからあたしは、口をつぐんだ。


 「そう……なら、帰りましょう」


 「うん……」


 きっとそれは、触れても見てもいけない場所。深すぎて、暗すぎて、重すぎる……深海の様なところなのだ。


 あたしは目を閉ざした。いつものように、ただ湊だけを見つめるために。


 「みなっちゃん。今日は泊まりに行って良い?」


 「良いわよ。スプラッター映画でも見ましょうか」


 「うぇぇ……マジで趣味悪いってそれぇ……」


 だって眼を離したら、湊はきっと取り返しのつかないことをする。それだけは絶対、あってはならないことなのだから。

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私たちは、もう触れても見てもいけない 黒羽椿 @kurobanetubaki

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