神に愛された印を持つ少女

黒鉦サクヤ

神に愛された印を持つ少女

「今までご苦労だった」


 神への感謝を伝える祭典で、主役とも言える聖女に冷たい声がかかる。これからも頼む、と続くとその場にいた誰もが思ったが、聖女の婚約者である王太子は隣に美しい令嬢を伴い告げた。


「本当にいるかも分からない神に向けた祭典など、次からはしなくてもいいと思うのだ。その分、他へ金を回したほうが我が国の民のためとなるだろう」

「えぇ、そうですわね殿下」


 仲睦まじく寄り添う二人を、聖女アリアは膝をつき祈りを捧げた姿勢で呆然と見つめる。この男は何を言っているのだろうか、その令嬢はどこから連れてきたのかと怒りが湧き上がるが、まだ表情には出さない。


 今までも神へ敬意を払わない男だったが、今の言葉はアリアが神から与えられた力を使い起こしてきた奇跡をなかったことにしたも同然だった。命を削りながら張っていた結界や、広まりつつあった伝染病を最小限で抑えた知識、魔溜まりの浄化などもなにもかも。王太子を魔障から救ったこともあったというのに、きれいサッパリ忘れてしまったのだろう。

 これから国を守る王となる、王太子という立場の者が口にして良い言葉ではないし、神への冒涜は許されない。神に見守られているからこその安寧だとは思わないのだろうか。アリアの我慢も限界だった。


 聖女の側にいた大神官もあまりのことに言葉を失い、奥まった場所で祭典を眺めていた王へ視線を向ける。しかし、王も寝耳に水だったのか慌てたようにその場に立ち上がるが、アリアと目があった途端、青くなり硬直した。

 アリアが聖女と認められた神に愛された印。それが全身へと広がっていく。本来は、左の薬指を指輪のように一周し、そこから腕をのぼり首筋から頬にかけて蔦のような白い紋様があるのだが、今はそれが見える肌すべてに現れていた。それは神が降臨する前兆と言われている。


 アリアは王太子から度々受ける侮蔑の言葉を、ただ飲み込んでいたわけではない。聖女といえど、一人の人間だ。傷ついて当たり前だった。しかし、特別だとちやほやされている馬鹿な女と思っている王太子は、会う度にアリアや神を鼻で笑う。勝手に王家が決めた婚約だというのにアリアを蔑ろにし、見せつけるように見目麗しい令嬢を伴いやってくるのだ。一連の出来事を、アリアはすべて神に報告していた。

 どんなに身を粉にして祈りを捧げ国に尽くしても、こんな仕打ちをされるのは違うのではないか。こんな心の醜い者が統治する国に未来はあるのか。愛に溢れた優しい神が見守る必要があるのか。神を信じず、今までもこれからも自分だけで何もかもできると思っている傲慢な王太子と添い遂げるのは無意味だと。


 国のために祈り続けた聖女はもういない。

 王太子の所業を知っていて放置していた者たちも同類だ。民も聖女がそれをやって当たり前と感謝の心を忘れてしまった。感謝しありがたがる者たちを見たかったわけではないが、神を敬うことを忘れてほしくはなかった。アリアに流れてくる神の温かな心は、民への愛で溢れていたのだから。


 もうこんなところに居たくないと、アリアが体を投げ出したのを神が拾い降臨する。

 全身に現れた神に愛された印が光り、アリアの水色の髪も白く発光した。王と王妃はその場に跪き頭を垂れるが、王太子と令嬢は何が起きているのか分からず雰囲気の変わったアリアをただ眺めていた。

 そんな二人に、アリアの器に入った神は冷たい視線を向ける。


「そなた、今までご苦労だった、と言ったな」

「なんだ、お前。その口調は」


 まだ現状が理解できないのか、王太子は神に向かって暴言を吐く。


「同じ言葉を我も返そう」


 神が指を鳴らすと、王太子は潰れたカエルのように地面に伏せる。その頭を神は優しく踏んだ。


「頭が高いぞ。いるかどうかも分からぬ神だったか。我がそうだ。そなたの今までの暴言、すべて聞いておるぞ」


 ゆっくりと足に力を込めると、王太子の顔は地面へと埋もれていく。息ができないのか必死にもがく姿は、本当に縫い付けられたカエルのようだ。


「やめなさい。あなた、殿下に向かってなんなのよぅ」

「あぁ、そうだ。そなたもだったな」


 令嬢も地面に伏せさせると、神は勢い良く頭を踏んだ。骨の折れる音が響き、その場にいた者たちは声を失う。まだ王太子はもがいているが、令嬢はピクリとも動かない。

 今、目の前にいるのは神なのだろうか、それとも悪魔なのだろうか、と人々は胸の内で問いかける。

 そんな中で誰よりも我に返るのが早かったのは王だった。


「神よ、愚息が大変申し訳ないことをした。アリア嬢にも謝罪し」


 その言葉を遮り、神は言う。


「もう遅いのだよ。我はな、アリアの報告を聞き己の目でもしっかりとそなたたちを見つめてきた。その上で、この国に我は必要ないと判断した」

「そんな……!」

「先程言っていたではないか。我のための祭典にかける金を他へ回せば、民のためになるのであろう?」


 アリアの顔で神は艶やかに笑う。性別不明の神はすでに事切れた令嬢から足をおろし、しなやかに伸びた足を王太子の手へ乗せる。


「そなたたちは、神に愛された子をどう思っている? この者はな、アリアの神に愛された印が穢らわしい、醜いと罵っておった。己の心のほうがよっぽど醜いのにな」


 高笑いをしながら手に乗せた足に力を込めていく。鈍い音が鳴り、王太子の体が一瞬硬直し震え出した。股間の辺りには水溜りができている。


「神が地上に愛し子を送るのは、神が見守る民たちの幸せのためだ。見えないだろうと誤魔化しても、愛し子への接し方一つでその者たちの心が分かる。神の愛は永遠ではない」


 それを今から見せてやろう、と神は手を宙へと向ける。手を握りしめると、硝子が割れるような音が響いた。


「アリアがこの国に張っていた結界を解いた。これで魔獣や隣国などから守られていたわけだが、アリアのことも我のこともいらないそうだからな」


 次に、と神はこの国にかけていた祝福を引き上げた。神の手に光り輝く粒が一気に集まり、そして消える。


「痩せた土地でも農作物がとれるようにしていたが、それもやめた」


 王の悲鳴のような声が上がるが、神はそちらを見向きもせずに淡々と告げる。


「我はこの地を去るが、他の神にも伝えておこう。この地は、神を忘れ神に見捨てられた地だと」


 二度と神の祝福はないと思え、と神は静かに笑う。


「それと、アリアがこの国のために削った命も返してもらおうか」


 神はおとなしくなった王太子を座らせ、額に手をかざす。手から伸びた蔦が王太子の首に巻き付くと、声を発することもなく王太子はみるみるうちに老いていった。


「やめろ、やめてくれ」


 悲痛な王の声が聞こえても、誰一人として声を上げずその様子を見守っている。

 すぐに王太子は皺くちゃの老人へと変わり、体を支えられなくなったのか地に横たわる。そんな王太子に駆け寄る者は誰もいなかった。


「そなたが女たちと遊び歩いている間、アリアは命を削り国に貢献していた。だが、そんなあの子を怠け者だ、タダ飯食らいだと言ってたのを忘れないぞ」


 聖女の命が短いのは命を削って力を使うせいだ、と神は呟き辺りを見渡す。


「皆、今後この国から出ることはできないと思え。ただし、例外はある。我を疑うことなく祈りを捧げていた者、アリアのことを見捨てなかった者は終わりを迎えるこの地から逃れることができるだろう」


 それが我の与える慈悲だ、と神は言い民衆に背を向ける。

 神はそれ以上語らず、アリアの体ごと光に溶けた。神の発した光が消えると、浅くなっていた王太子の呼吸も止まる。馬鹿にしていたアリアにすべての命を吸い取られてしまったのだ。


 そんな神に見捨てられた地の噂はまたたく間に広まり、周辺諸国はそこを呪われた地として手を加えるのをやめた。何もせずともゆっくりとその地は魔獣たちの侵略を受け、為すすべもなく魔の森に覆われてしまう。

 かつての繁栄が嘘のように何もかもが森に飲まれ、彼らの痕跡はきれいサッパリ消えてしまったのだった。

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