スケルツォと本心

千桐加蓮

スケルツォと本心

 爽やかとは程遠いような八月上旬。外では、太陽の光がジリジリとアスファルトを熱するかのように当たり、蝉の音は呪文のように繰り返し鳴っている。

 まさか、通っている専門学校の門の前で女性記者に声をかけられるとは思っていなかった。質問に一つだけ答えるだけで構わないと言って、上手く巻くことも出来なかった私は、門の前ではなんですのでと言われて、公園のベンチに座っている。

 子供たちの声が聞こえくる。外は溶けるような暑さなのに、元気に走り回っている声がなんだか羨ましく思う。

「ずるいところがあるものですね」

目の前の夏用スーツを着ている女性が、困ったような顔をした。

「私はwebメディア記者の岡中おかなかです」

 私は子供の声にかき消されないような、芯のある強い声で言う。

「私は……事実と、私が思っていることを言うだけです」

睨むように目に力を入れて、記者の女性を見た。

向こうは頭を軽く下げる。

「彼の本当の人物像も、やっていたことも、色々聞きたいことあるんですけどね」

岡中さんは、営業スマイルと言わんばかりの笑顔で話す。

「彼、仮面Sはどんな人でした?」

染森創史そめもりそうしではなく?」

水作みずさくさんが思う、彼が真意を沢山伝えてくれた方でお願いします」

午前中。昼前ということもあるからなのか、子供たちが多いのだろうかと今更思う。

「彼は……」

 彼と出会ったのは大きな書店でバイトをしていた時に出会った。

 彼は重い前髪にマッシュという髪型をしていて、モテているのかとはじめは思っていたが、感性が変わっていたらしく、友達があまりいないと話していた。音大生と知ってから私から話しかけるようになった。

 

 彼からデートに誘われたのは一年前の十九歳の三月になったばかりの日。一つ歳上の彼は、誕生日プレートをご馳走してくれた。この店のおすすめはホットショコラだと店員の女性に言われたので、折角だからと彼が頼んでくれた。私が飲んで微笑むと

「幸せそうに笑うね」

目を細めて嬉しそうに彼も笑った。それから、誕生日の話になる。

穂真里ほまりちゃんの誕生日はひっくり返すと二月三日ですね」

「節分と同じ日で……小さい頃は、それ言われると給食で豆を食べるのもその日で、小さい頃は気にしてましたね」

彼は不思議そうに

「節分は、季節が変わる節日のことですから。変わりゆくことは怖いことですが、美しいのですよ」

 その時、そうやって言う彼の瞳は暗くて、本心ではあるのだろうが変わりゆくことよりも、彼が消えてしまいそうで怖かった。

 

 そのうち、彼の家に行くようになった。泊まりはしないけど。

 私は、彼の音楽を作る過程と作業をずっと見ていたくて、彼は誰かの手料理が食べたかった。利害が一致したのだ。

 そんな関係から始まった。彼に恋をしそうにはなったが、なんとなくそれを言ってはいけないような気がした。彼が音楽に夢中になっているように、私も専門学校の楽器リペア科で楽器と触れて彼のように楽器に夢中になってしまおうとしていた。

 彼が時々言う哲学者のような言葉にハッとさせられることもあった。動画サイトで作曲をして配信している仮面Sのことは友達が好きだったこともあって知っていたし、結構人気のクリエイターだった。


 男の子と女の子の歌う声が聞こえる。二人の子供は、先程ヒーローごっこをして遊ぼうと大きい声で言っていたため、今の歌は戦隊モノの挿入歌とかだろう。

「一人で突き進んでしまうような人。彼は、戦隊モノ音楽が好きでそこから音楽を勉強しました」

「なるほど、その道のプロですね」

「私は、ただの素人ですが、彼の作った曲を聴いていると、その人の人間性が出ると思うんです」

 岡中さんはメモアプリで文字を入力している。


 彼は内気で繊細な音楽一本に人生を歩んでいるような人で、それ以外はお世辞でも何も出来ない、不器用な男だ。

 食事もコンビニ弁当だし、洗濯もコインランドリーでする。掃除も出来ないから作業部屋以外は汚部屋だ。

 そんな彼が、ホットショコラを私の前のテーブルに置いて、自分が作ったと言った時には目を丸くした。

 全体にムラがあるとはいえど、温かくて美味しいかった。ホットショコラを飲む季節はもう少し先かもしれないが、不器用で可愛いらしい彼の目を見て、お礼を言った。

 彼から一度も両親の話は出てこなかった。手料理は亡くなった祖母の料理の話しかしてくれず、聞いてはいけないことだと、勝手に踏み込まなかった。

 でも、騒動の記事で彼の両親は幼い彼の面倒を見ずに、海外に二人して好きなことをしてるらしいと書いていた。


『あなたが好きだ』『愛してる』

彼は、この言葉を音楽に乗せることはなかった。

 恋愛ソングの曲を動画投稿を作りもしない彼。どうしてかと聞いても濁して話を逸らす。私は彼の恋愛ソングを聞きたかったので、頼み込んだが首を縦に振ることはなかった。

 彼は恋を嫌っているというよりは、関心がないくらいに音楽という世界にのめり込んでいるのだろう。いつも作業部屋に篭っていた。私が来たことにも気付かないことも多々あった。


「彼はそんなことをする人ではないと思ってた。音楽にしか見向きもしないような、他人が言っていることもあまり受け入れずでして」

「受け入れないんじゃなくて、聞きたくなかったのではと思うところもありますけどね」

 公園の近くの中学校からは吹奏楽部の音楽が聴こえてくる。主旋律も副旋律を演奏する音色も、夏を彩るようだ。彼の音楽も聴いた人に彩りを与える力がある。

「暴行罪で逮捕されたのは事実です。ネットニュースは一ヶ月経ってもその話題はトップ入りしてます」

「仮面Sの仮面の被り方には私もびっくりしましたよ」

「騙されたと?」

「いえ、素敵な人です。彼が好きです。逮捕された時に私はいませんでしたが、警察官に連れて行かれる前に私をどう思っていたのか知りたかったですね」

岡中さんは何か言いたげだった。

 私はそれを横目で見て、ベンチから立ち上がり

「もういいですか?」

と訊くと、岡中さんは微笑んだ

「ありがとうございました」

「いえ、でも罪人の罪ではなくてその人を知ろうとする記者がいるとは思いませんでした」

「一人では生きられない人間ですから」

また、微笑んできた

「では、そろそろ失礼します。彼に会う機会があればよろしくお伝えください」

「こちらこそ、気をつけて帰って下さい」

「はい、さようなら」

「さようなら」


 現行犯逮捕される数時間前、彼は真夜中だからというのもあり、私を駅まで送ってくれた。最後から二番目の言葉が『さようなら』だった。

 最後の言葉は夏の初めの匂いと風と共に声が届いた。

「人は、独りでは生きていけない」

私が振り返ると彼は既に背を向けて歩き出していた。

 その時、曲を作って動画を配信して色んな人から感想をもらっているということを誇らず、彼は自嘲気味に笑って私に背を向けてまた曲を作り始める光景が目に浮かんだ。

 私は、今日も彼の音楽を聴いている。

 子供たちの前で爆音で流したりはしないが、ヘッドホンで聴く。

 思い出が蘇ってくる。

 彼と過ごした、あの日々はきっと忘れることはないと思う。

 

 気持ちを伝える手段はいくらでもあるが、全てを伝えることも出来ないというのと、恋に彼は臆病だったと勝手に思ってる。そして、愛の歌を作曲して批判されるのが彼にとっては、彼の恋愛観を否定されるようで嫌だったのかもしれない。

 彼は不器用すぎる。

 取材を受けた日の夜、そういう考えもあるのかもしれないと思った。私は涙が何度も頬を伝った。

 ショパンのスケルツォが聴きたい気分になった。冗談の底と私は違うタイトルをつけている。

 泣いた後に、コンビニに行った。チョコレートの広告で

『恋に悩むならチョコレートに悩んでみて、悩んでいる間も楽しいし、最後には美味しいご褒美が待っている』

という文字を目にした。

 私は、最高の冗談で皮肉だと唇を噛み、目を細めて口角を無理にでも上げた。

 

 家に帰り、冷房が効きまくっている部屋で、季節外れのホットショコラを飲んだ。

 美味しいと呟くよりも前に涙が込み上げてきた。恋しい気持ちは抑えきれない。

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スケルツォと本心 千桐加蓮 @karan21040829

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