眠りか目覚めか

かいばつれい

眠りか目覚めか

 黒い空間。何も見えない暗黒。

 「いい加減起きたらどうかね?」

 姿の見えない声が男に言う。

 「誰だ」

 「わしは名乗るほどの者ではない。お前さんを起こしにきただけの者だ」声は続けて言う。「もう、じゅうぶん眠ったであろう。このへんで起きんと、二度と目覚めることができなくなるぞ」

 「嫌だ。俺は寝ていたいんだ」

 「駄目だ。お前さんは起きなきゃならん。ほれ起きんか」

 「うるさい。邪魔するな。俺は起きたくなんかない」

 男は叫ぶ。

 「お前さんはそれでいいかもしれんが、お前さんを思う人たちはどうする?皆、目覚めぬお前さんを心配しておる。お前さんが起きるのをずっと待っておるのだぞ。その人たちを裏切るほどお前さんは人でなしではなかろう」

 「かつてはそうだった。だが、今はそうではない。疲れたんだ。俺はもう眠りたい。このまま眠らせてくれ」

 「この意気地なしめ。阿呆め。大馬鹿者め」

 「何とでも言うがいい。俺は罵られた程度では起きんぞ。俺の意志は固い」

 「なら、その意志の固さを何故、起きている時に使わなかった?お前さんは精一杯やったつもりになってはいるが、まだまだ努力は足りておらん。やり残していることは山ほどあるのだぞ」

 「俺の何を知っていると言うんだ。俺はやり切った。努力した。根性を出した。そして疲れたんだ。頼む。頼むから眠らせてくれ。起きたくないんだ」

 「そうかそうか。どうやらわしの見当違いだったようだな。お前さんがそこまで小さい男だとは思わなかったよ。いいさ、ゆっくり眠るがよい。己の弱さを悔やみ、自己嫌悪に苛まれながら眠るがよい。しかし、これだけは忘れるな。お前さんの罪は眠りについても消えん。身体が眠っても、魂は永久に呪われ続けるのだ。人は自分自身の罪を眠っただけで償うことはできん。自ら眠りにつこうとする者には罰が下される。自ら眠ったという罪を犯すのだからな。その罪は重いぞ。そしてその罪を犯した魂は楽園に行くことはできん」

 「地獄に行くのか。地獄の業火に焼かれ続けるのか」

 「いや、そんな生易しいことではない。お前さんが眠りにつこうとした瞬間を繰り返してもらう。永遠にな」

 「永遠に?」

 「そうだ永遠だ。犯した罪の重さを思い知るためにな」

 「犯した罪の重さ・・・。眠ることが、自ら滅びようとすることが罪だというのか。では俺をこんなふうに追いやった連中はなんだ。やつらも重い罪を犯しているのではないのか」

 「そやつらの罪など、お前さんの罪と比べたらはるかに軽いぞ。それにやつらのほうが意地もあるし根性もある。もがき苦しんで屈強な精神を持ったやつらの魂はいずれ楽園にいくだろう。さて、わしはそろそろいくぞ。せいぜい苦しむがよい」

 それっきり声は聞こえなくなった。

 一人残された男は静かに呟いた。

 「俺はこのまま眠ってよいのだろうか」

 その呟きに返す者はいなかった。

 

 

 

 白い天井。白い部屋。白い衣を着た人々が慌ただしく自分の周りを走っている。

 その内の一人が自分の顔を覗き込んで言った。

 「良かった。意識が戻ったようですね」

 「・・・ここは?」

 意識がまだはっきりしないが声は出せた。

 「ここは病院です。いいですか?よく聞いてください。あなたは自分で川に飛び込んだのを覚えていますか?あなたが飛び込むのを見た人が仲間を呼んであなたを救助したんです。おかげでなんとか一命は取り留めました。肺に水がたくさん入っていたので、もう少し救助が遅れていたらどうなっていたか・・・。とにかく意識が戻って良かった」

 「そうか俺は」

 俺は自ら命を絶とうとして川に飛び込んだんだ。罵倒され、傷つけられ、陥れられ、奪われ、生きることが嫌になった俺は、死ぬことを選んだのだ。自ら死ぬことが罪?

 部屋の──病室のドアが開き、俺の家族が心配した表情で入ってきた。

 家族の顔を見て罪悪感を感じた俺は、その顔を直視することができなかった。そこで改めて俺は自分の罪の重さを知った。この罪悪感は当分消えそうにないだろう。

 「それも自ら滅びようとした罰だ」

 あの声が再び聞こえた気がした。それは周囲からではなく、俺自身の中から聞こえたようだった。

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