アテナ

篠崎優

期待

「なんでこうなっちまうんだ」

 とあるAI開発研究者、戸塚優樹はそう呟いてパソコンの前に倒れる。AI戦争の時代。自分はその最先端にいることは信じる、優樹はそんな男だ。


 彼が最終的に目指しているのは「アテナ」と名付けた汎用AIの開発だ。

今詰まっているのは自然言語処理の根幹の部分。仲間たちに見せると「上手く出力出来る」とは言うが、物足りなかった。

 

 アテナは人間らしく振る舞わない。言葉選びも、文の組み立て方も膨大な量を学習させた。それでもこのAIは人らしく言葉を紡げない。抽象的に言うと、"気持ちがこもっていない"。それがもどかしかった。


 時計は午後11時になろうとしていた。そろそろ終わり時かと思った優樹は立ち上がったが、疲労からすぐに眠りについてしまった。



 

 夢を見た。懐かしい出来事だ。中学生二年生の……秋か。

 「……」

 黙りこくって真剣に小さなテレビを見つめていた。何が行われているのかは分からない。横にいる、同級生の奏叶に誘われたものだった。時刻は既に夜の11時を回っている。


 馬が走っている。"競馬"という単語は聞いたことがあるが見るのは初めてだった。

 

 塾の帰りに奏叶に誘われたのだ。「今日の夜凱旋門賞がある」と。

 凱旋門賞が何かは知らない。ただ、とても強い馬が出ているという事だった。それで日本が初めて凱旋門賞を勝つ? かもしれないから一緒に見ようということだ。

 話半分で承諾してしまった。まさかこんな遅い時間の話とは思ってなかった。

 

 「なあ」

 「後でな」


 奏叶はどういう気持ちで誘ってきたのか、それは分からなかったがそのテレビから意識を逸らした瞬間、マイクが拾う歓声が一段と強くなった。大詰めらしい。

 アナウンサーが馬の名前を必死に叫んでいるのはわかるが、聞き取れない。始まる直前に日本の馬はナントカだってのは奏叶から聞いたが、それも既に頭の中からは消えていた。

 

 「2頭の競り合いだ! 内からもう一度――か!――か!――も来たが、僅かに――は遅れた!!――は3着!!」

 「うわああああああ!!!」

 そこまでアナウンサーの声が聞こえてテレビはブツンと切れた。奏叶が切った。顔色は悪く見える。

 

 「……負けた?」

 「ディープインパクトは凄い馬だけど。やっぱりロンシャンには敵わないのかな」

 そこでやっと思い出した。馬はディープインパクトと言うらしい。


 「なんで負けたの?」

 「ロンシャンは高低差があって芝が重いんだ。だから無敗で三冠を達成するような馬でも着いていけなかった……まあそんな感じ。ディープですら勝てないなら本当に日本馬に凱旋門賞は無理かも」


 "ロンシャン"も"重い"というのも"三冠"というのもよく分からなかった。とにかく意味は分からなかったけどそういう単語をスラスラと並べる奏叶が少し大人に見えた。と言うかそもそも競馬自体が大人の遊びというイメージだ。

 でも、競馬を見るのは酒や煙草みたいに法律違反という訳でもないらしい。


 確かなのは今行われたレースに対して奏叶ががっくりとしている事だ。


 「まあダメなこともあるよ。次頑張ればいい」

 「次じゃダメだよ。今回勝たなきゃ意味が無いんだ。ディープインパクトっていう名前の馬が、夢の凱旋門賞を取る。そういうストーリーを皆が期待してたんだ」

 「へえ」


 はあ、とため息をついた奏叶はまたリモコンを持ってテレビをつけた。『ディープインパクト、失格』というニュースが流れていてそれに対して奏叶がどういう表情をしたのか。それは見えずに夢は終わった。




 目覚めた。真っ暗な部屋の中で唯一PCが画面を光らせ、アテナの開発画面を表示していた。電気はどうやら消されたらしい。いや、消したのか。

 「保存は……されてる」

 電気を消して、エディタを保存してそこで寝てしまったのか。表示されている時刻は午前3時。もう一眠りするか、と画面を閉じる。


 アテナ、というのは数年前に同僚と相談して決めた名前だ。ギリシャ神話で知恵なんかを司る神。由来に縋って期待を込めて付けた名だが、現状を見るに神は中々微笑んでくれていないらしい。

 

 アテナが抱えるのは無生物ゆえの課題だ。人間に持っている"欲望"はAIには再現しきれない。今抱いてるやりきれない思いも、あの時の奏叶が抱いていた欲求も、AIには再現できない。


 そこまで考えてふと知恵の樹の話が思い出された。アレはキリスト教の話だから少し違うか。アダムとイブは知恵の樹の実を食べて、エデンの園を追い出された。二人がした行為は神への越権だった。追放は、その罰だろう。宗教は学んでいないが、人類は今でもその罪を背負っているとされているのだろう。多分。


 ならば、AIの発展は擬似的に生命を作る試みにもなりうるのではないか。開発は上手くはいってないが、山場にあることは間違いない。もう少しとなった時。その時にそれまで積み重なってきたものが全部崩れたら。

 そんなまだ見ることもおこがましい夢を見て、また眠りについた。

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アテナ 篠崎優 @sinozayu

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