ついに訪れた散財の機会?

 前から少しずつ考えていた事がある。ジェイドにどう相談したら良いか迷っているうちに時間だけが過ぎていっていた。


 その日はカルセドニーさんが来る予定はなく、私はジェイドに出してもらった宿題をしていた。難しくて、どうしても解けない問題がある。


 そこに突然カルセドニーさんの来訪が告げられた。私は小部屋に勉強道具をそのまま残して客間にお通しした。


「急に来てしまって、ご迷惑ではありませんでしたか?」


 申し訳なさそうにするカルセドニーさんの手には、私が読みたがっていた本があった。


「ありがとうございます!」


 とても嬉しい。他にも書庫で確認したい事があると言うのでそのまま書庫に案内した。散らかしたままの勉強道具を見て、カルセドニーさんは謝る。


「申し訳ありません、勉強中でしたか」

「いえ、解けない問題があって苦戦していたところです」

「解けない問題ですか?」


 何の気なく問題を見せると丁寧に解き方を教えてくれた。とても分かりやすい。


「ありがとうございます。義兄よりも分かりやすいかもしれません」

「人に教え慣れていないものですから、そう言って頂けると嬉しいです」


 少し照れたような笑顔にいつもよりも距離が近く感じてしまったのか、予想外の訪問だった事もあり気が緩んでいたのか、思わずいつもよりも踏み込んでしまった。


「もし私が学校に行っていたら、このくらいの内容は、どの程度の年齢で学ぶものでしょうか」

「⋯⋯14歳くらいですね」

「私は17歳なので3年遅れています。もし、もしも」


 私の心の誰にも見せていない所をさらけ出すような恥ずかしさを感じる。それでも言葉は止まらなかった。


「女の子が通える学校を作りたいと思ったら、実現が可能なことだと思いますか?」


 カルセドニーさんは、少しだけ驚いたような顔をした後に柔らかく笑った。とても嬉しそうに見える。


「そう言うと思ったんだ」


 カルセドニーさんは、鞄から封筒を取り出した。


「やっと出番が来た。さて、この中に何が入っていると思う?」


 何だろう。口調も雰囲気も変わった。不快感ははなく不思議と好感が持てる。


「学校に関わる何か、ということですよね」

「そうだよ」


 カルセドニーさんは商人。ということは。


「学校を買うことが出来る書類?」


 面白そうに笑われてしまった。


「さすがの僕も、それは用意出来ないな。これはね、女の子が通える学校についての情報をまとめたものだ」

「女の子が通える学校? もうあるのですか?」


 カルセドナーさんは首を横に振った。


「残念ながらこの国には無い。でもね、外国にはあるんだ」

「そうなんですか !」


 封筒を顔の横に掲げ不敵な笑みを浮かべる。ジェイドが私をからかう時のようだ。


「この中身を見たい?」

「はい!」


 ふふん、と笑った。


「商人にとって情報は命なんだ。そう簡単に渡せないな」


(もしかして、悪妻として散財する良い機会なのでは!)


「えっと、えっと! それは高価だけど買うか、とお尋ねになっていらっしゃいますか?」


 興奮する私に静かに首を振る。


「お金では渡せない。他の対価が欲しい」


 商人が求める対価。お金ではないなら⋯⋯人のつながり。夫への進言、そういったものだろうか。夫につながる誰かを紹介して欲しい、商店の為に便宜を図ってほしい、そういったことが想像できる。


(でも、どれも私には出来ない)


 急にしょんぼりする私を見て、カルセセドニーさんは困ったような顔をした。


「何だ、もうあきらめちゃったの。対価が何なのか聞いてくれないの?」

「⋯⋯どのような対価ですか?」


 カルセドナーさんは嬉しそうに封筒を私の目の前に差し出した。


「僕の友人になってくれないか?」

「友人? 私がですか?」


 カルセドニーさんを改めて見る。若いとは言ってもジェイドよりは年上だろう。20代半ば頃だろうか。そんな男性が、どうして私と友人になろうというのか。


「僕は君と友達になりたい。商人として大切な情報をそう簡単には渡せないけれど、友人としてなら無償でもいいと思っている。君が考えていることを、商人としては協力できなくても、友人としては協力できるということだ」


 私に都合が良すぎる話だ。やはりカルロにつながる縁を紹介して欲しいなど、何か他の魂胆があるとしか思えない。


 私の考えを見透かすようにカルセドニーさんは続ける。


「何か魂胆があるって疑っているね」


 カルセドナーさんは私の目の前に差し出していた封筒を机の上に置いた。


「君は女の子の学校を作りたいんだろう? 僕はそこに儲け話の匂いを感じる。ただ、成功するか失敗するか、今の段階では全く先が読めない。だから友人として協力する。そして商売になりそうだと判断したら、商人として協力させてもらう。まあ将来に投資する気になった、と思ってくれればいい」


(将来の投資として、友人になる)


 分かるような、分からないような。


「でもそれは大丈夫なのでしょうか」


 カルセドナーさんは小首をかしげて、不思議そうに言う。


「君は自由に友人を持つことを、夫から制限されているの?」


 心臓がどきんと跳ねる。でもこの質問の意図は違う。


「申し訳ありません、言葉が足りませんでした。あなたのお仕事に支障が出るのではないか、と気になりました。特定の顧客と仕事を越えて友人になるような事は、評判を下げてしまうことになりませんか?」

「僕のことを気にしてくれたの? なるほど、君らしいね。それは全く問題ないよ。だって今のところ王都での僕の顧客は君だけだから」


 他の所には、とっくに回復しているカルセドニー商店の主人、つまりカルセドニーさんのお父さんが戻っているそうだ。私の所だけ本を選ぶなどの都合から、引き続きカルセドニーさんが受け持ってくれていたそうだ。


「だから君が僕の友人になってもいいという気持ちさえあれば、それでいいんだよ。どうかな、友人になってくれる?」


 差し出された手を拒む理由はない。


「はい、喜んで。私と友達になってください」


 私は手を取り握手をした。


「では、僕たちの間で約束をしよう。言いたくない事は言わなくていい。お互いに秘密もあると思う。でも正直でいる。いいかな?」

「分かりました」


 カルセドニーさんは封筒を取り上げて中身を出してくれた。私は机の上の勉強道具を端に寄せ机の上を空ける。


「これは、この国より少し大きい国の、女の子のための学校の資料だ。いくつかあるよ。作った時の費用と、作った後にかかる維持費、作る時の手順などをまとめてある」


 それぞれの資料の内容を簡単に説明してくれる。


「これを見る限り、不可能ではないはずだ。一番の問題は費用だけど、君は、散財したがっているように見える。最初に悪妻になりたい、と言っていたけれど悪妻というのは大いにお金を使うべきなんだろう? 学校を作るというのは散財するのにうってつけの対象じゃないのかな」

「なるほど! すごいですね、カルセドニーさん!」

「だろう? 君の友人はすごいだろう?」


 私は新しい友人を思い切り褒めたたえた。


 落ち着いて話すため、使用人に命じてお茶を用意させて椅子に腰かけた。


「ところで友人なのだから、僕のことはルイと呼んでくれないかな。どうも、カルセドニーさんというのは落ち着かない」

「承知しました。では私の事はオリヴィと呼んで下さい」

「分かったよ、オリヴィ」

「はい、ルイさん」


 私たちは目を見合わせてにっこり笑った。友達らしい友達が出来たのは、カルロとジェイド以来かもしれない。


(カルロは友達だとは思ってくれていなかったみたいだけど)


「友人として聞くよ。オリヴィの夫はここに住んでいないよね。どういう事情なの? 公爵家嫡男の妻としては、君はあまりに自由だ。同時に、あまりに不自由だ。それは悪妻になりたいという事と関係があるの?」


 どうしよう。言いたくないことは言わなくて良いと言っていた。でも、せっかく友人になって、いきなり答えたくないと突き放すのもどうなのか。迷う私にルイさんはたたみかける。


「この辺りの事情が、オリヴィが学校づくりに興味があることにつながっていると思っている。友人として協力するからには、ちゃんと事情を知っておきたい。僕の事を信用できない?」

「いえ、そんなことは!」


 この数か月、数日おきに会って話をしていて親しみを感じているし好感も持っている。カルロとの事情は、ある程度の人には知れ渡っているはずだ。何しろ社交の場に新婚の妻ではなく他の女性と出ていると聞く。今さら隠す必要もないだろう。


 私は悪妻になりたいという意図だけ伝わるように、言葉を選んで説明をした。


 しかしルイさんは上手だった。質問に答えるうちに、いつの間にか洗いざらい全てを話すことになってしまっていた。カルロに言われたひどい言葉も、私がカルロに恋心を抱いていたことも。


「だから、君の話にいつも登場するのは義兄なのか。それにしても色々と腑に落ちない所はあるな。血筋を気にする割には他の男と子供を作っていいとか、何か変だろう。君の夫の考えは全く分からない」


 私にも分からない。ジェイドも分からないと言っていたのでカルロ本人しか分からない考えがあるのだと思う。


 ルイさんは険しい顔をして腕を組み、少し考えにふけった。私は学校についての書類を見返す。


「オリヴィが学校を作りたいというのは、悪妻になるためだけなじゃなくて君のやりたい事、夢だと思っていいかな」

「夢、⋯⋯そうですね。ぜひ叶えたい夢です」


 夢を持つなんて考えた事も無かった。そうか、これは私の夢なのか。


「夢を叶える事と、ここから脱出すること、友人として協力することを約束する。でも悪妻にならなくても、ここを脱出する方法があるよ」

「どんな方法ですか!」


 例えば、と説明してくれる。


 私が強く離婚を申し出たり、逃げたり出来ないのはカルロの家から私の家への支援が必要ということが理由だ。


「それなら、君の家が自立して運営できるような手助けをすればいいんだ。その書類にある通り、学校の運営は上手くやれば利益が大きく出る。例えばその運営を君の姉夫妻に任せる、とかね。領地運営の方は得意な人を雇ってしまえばいいんだ」


 確かに姉の夫は結婚する為に王宮での文官を辞めて領地を運営している。領地にはこだわりが無いので、私に結婚せずに家をつぶしても良いと言ってくれていた。


 姉も、家名にも領地にもこだわりがない。他人を雇うことに、それほど抵抗があるとは思えない。


「あくまで、そういう案もあるということだ。だから悪妻の作戦の事は忘れて、まずは君の夢の女の子が通える学校を作る、ということに専念しないか?」

「はい!」


 私たちは、少しずつ学校づくりの計画を立てることにした。


「そうそう、君の義兄さんには、もう少し形になるまで学校づくりの事は黙っておいた方がいいと思う。もう少し計画を形にしてから驚かせたいじゃないか」


 なるほど。私はジェイドに黙っている事を約束した。

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