18 最初の記憶

 私たちは一旦家に帰り、夕食をとった後、久しぶりに外に飲みに行くことになった。アダムが適当に見つけた一軒のショットバーに二人で入った。


「何にしますか?」

「私はとりあえずビールだな。ギネスがいい」

「じゃあ、僕も同じものを」


 初老の男性のマスターが、手際よく瓶からグラスにギネスを注いでいった。コースターにそれぞれの分が置かれ、私はアダムと乾杯した。


「ユキ。今日は本当に、ありがとうございました」

「いいってことよ。それよりさ、私、何となく思い出したんだ」

「えっ?」


 私は、アダムの父親に撫でられたときのことを話した。話していると、どんどん頭が整理されてきた。脳裏にあるイメージが浮かんだ。私はそれをアダムに伝えた。


「アダム。私の父親は、もう死んでる。葬式の記憶が出てきたんだ。私はまだ小さかったんだと思う。棺にハイライトの箱を入れたことを、思い出した」

「ユキ。悲しい記憶ですが、一歩前進じゃないですか」


 そうだ。このハイライト。元は父のタバコだったのだ。私は箱を掴み、まじまじと眺めた。そして、あることに気付いた。


「なあ、このhi-liteと、右肩のyukiのフォント、同じじゃねぇか?」

「そういえば、似ているような気がしますね」

「こんなところにもヒントがあったんだな。クソっ、気付けなかった」


 私はぐいっと酒をあおった。このまま酒が進めば、さらに思い出せるかもしれないという魂胆だった。しかし、それ以上の記憶は出てこず、私は言葉に詰まった。


「ユキ。焦らない、焦らない。大きな収穫ですよ、これは。初めて出てきた記憶なんです。これを取っ掛かりにして、他のことも思い出せるかもしれません」

「そうなればいいんだけどよ……」


 空になった私たちのグラスを見て、マスターが言った。


「何かお入れしますか?」

「えっと、僕は何かカクテルを。そうですね、何か果実系で」

「炭酸は大丈夫ですか?」

「はい。ソーダのやつにして下さい。ユキは?」

「うーん。何でもいいや。アダムと同じやつで」


 マスターは、赤くてレモンスライスが乗ったカクテルを出してくれた。


「アプリコット・クーラーです」


 一口飲むと、甘酸っぱい杏の香りが口の中ではじけた。サッパリとしていて、気持ちがいい。私はタバコに火をつけた。とりあえず、無理に思い出そうとするのはよそう。今日はこれ以上考えても仕方がないだろう。こうして、パートナーとの酒を楽しもう。私は話題を変えた。


「それにしても、アダムのご両親、本当にいい人たちだったよ。アダムが優しい奴に育った理由が分かった」

「僕、優しいですか?」

「ああ。いつもお前の優しさには助けられてるよ」


 アダムもタバコを吸い始めた。そして彼は言った。


「お父さんのことは残念でしたが、お母さんはまだご存命かもしれません。生きて会えるように、僕も尽力します。ユキが本当の家族に会えるまで、僕が守ります。それが僕の役目ですから」


 真剣な顔付きだった。アダムは私が思っている以上に、私のことを考えてくれている。そんな彼に、どう報いたらいいだろう? 私は考えた。アダムには、与えられてばかりだ。私の方こそ、彼に何かしたい。


「ありがと、アダム」


 今はまだ、そう礼を言うので精一杯だった。カクテルを飲みながら、私は考えを巡らせていた。黙ったままの私に、アダムは合わせてくれていた。

 二杯だけ飲んで、私たちはショットバーを出た。帰ってシャワーを浴びていると、良い考えが浮かんだ。そうだ、それがあるじゃないか。私は一人でニヤニヤと笑いを浮かべた。そして、タオルで水滴を拭きながら、とある人物に連絡した。


「どうしたんですか、ユキさん。急に料理教えてくれって」


 翌日、私は徹也を喫茶店に呼び出していた。


「アダムに食わせてやりてぇんだ。徹也って自炊するんだろ? 頼む、教えてくれ!」

「はぁ……そういうことっすか」


 あれこれ相談して、クリームシチューを作ることになった。アダムの好物だし、これなら失敗することもないだろうということで。私と徹也はスーパーマーケットに行き、買い出しをした後、徹也の住むマンションへ向かった。


「ユキさん、ジャガイモは芽を取らないといけないんです。ピーラーの横側に、飛び出た部分があるでしょう? それで、ジャガイモのへこんだところをぐりっと取って下さい」

「こうか?」

「いえ、もっと深く。貸して下さい」


 記憶が無いからなのか、元々していなかったからなのか。私の手先はおぼつかなく、何度も徹也をヒヤヒヤさせた。そうして出来上がったクリームシチューを、昼食として食べた。


「おっ! いけるじゃねぇか!」

「結局、野菜はほとんどおれが剥きましたけどね……」

「なあ、しばらく徹也んとこ通ってもいいか? 家で練習してたらバレるだろ? びっくりさせたいんだよ」

「まあ、いいですよ。おれも一旦引き受けたからには、とことん教えます」


 アダムへの恩返し。小さいことかもしれないが、この私が料理をしたら、きっと驚いてくれるだろう。自分一人でちゃんとできるまで、徹也には付き合ってもらおう。

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