ラムドの依頼

 朝の陽ざしが山の間から顔を出している。町からの出立はずいぶんと早い時間だった。昨日の夜はできるだけ早く寝たのだが、ユーシェはまだ眠いようで目元をしきりに擦っていた。


「荷物、少し持つか?」


 自身の身の丈以上の荷物を背負って少しふらふらしているユーシェに手を伸ばすが、彼女はふるふると首を横に振ってその申し出を断った。そして、自身の頬を二回ほど叩いて無理矢理眠気を覚ます。


「だいじょーぶ。そもそも、アキラより私の方が力は強い」


「そ、そうか。心配したのはそこじゃないんだが……まあいいや。望海ノゾミ、そっちは順路と真逆だぞー」


 目の前に現れた分かれ道を目的地の逆に進もうとする望海ノゾミを、背負った荷物ごと引っ張って制止する。彼女はまだ半分夢の中にいるようで、しばらくその場で足踏みした後にはっとしたような顔をして周囲を見回した。


「ね、寝てないわよ!? ってあれ? 動けない……! 敵襲よ!」


 そういえば、修学旅行では朝食に来るのはいつも最後の方で、友人同伴だった。ここまで朝に弱かったとは……。いや、前の冒険ではそんなそぶりはなかったはずだ。遠征が久しぶりすぎて気が緩みまくっているのだろうか。


 荷物を掴んだ手を放してやると、望海は前のめりに倒れた。それを見た今回の依頼主であるラムドさんは、腹を抱えて大笑いしていた。


「……ふーやっぱりお前ら連れてきて正解だったぜ。年寄りになると、朝が早えんだ。悪ぃな、お前ら」


 ラムドさんの足取りは、杖を突きながらではあるが思いのほかしっかりしている。歩行速度もそれほど遅くない。


「いえ、それどころかこんな体たらくを見せることになるとは……ラムドさんは足の方、大丈夫ですか?」


「おう、ただ歩く分には心配いらねえ。俺にはこの……歩行を補助する魔道具もあっから、お前らは戦うのに集中してくれや」


 足のふくらはぎあたりに巻き付く蛇のような意匠の魔道具が、捲ったズボンの裾から覗く。本人にそう言われればこちらとしても引き下がるしかない。


 それにしても、歩行補助の魔道具とは……。そんなものもこの世界にはあるのか。とりあえず、彼の方でもそれなりの準備をしてきてくれたようだ。


「そろそろ王都の兵の巡回範囲から外れます。魔物との交戦も予想されるので、気をつけてください」


「あいよ。お前らの戦いを見物させてもらうぜ」


 王都から西へ伸びる街道を俺たちは進む。


 普段なら西海岸にある町からの行商が往来しているので、危険は少ないと言われている。しかし、冬ごもりの影響でこの道を通る人が大幅に減っているため、冬眠しそこねた動物や、腹をすかせた魔物が街道まで下りてきているらしい。


「動物の血の臭いがする。みんな、警戒して」


鼻の利くユーシェが声を潜めて周囲を見回す。少し遅れて、鉄錆のような臭いがやってきた。さすがにそれがどんな生物なのかまでは定かではなかったが、ユーシェが動物というのなら人が襲われている心配はないはずだ。


 ユーシェの声と同時に俺と望海は懐の詩片サームと武器に手を伸ばしていた。今回は護衛任務だ。いつものように突っ込んでハイ、終わりでは万が一の時にラムドさんを守ることができないため、今回俺はギリギリまで魔法は使わないと事前に話し合っていた。


 十メートルほど先行して望海が進む。彼女の魔法の練度であれば、そこらの魔物は問題にならない。そんなことを思っていたのだが、彼女は突如踵を返して戻ってきた。


「犬っぽい魔物が三体いて、最初は気付いてなかったんだけど一体は見張りだったっぽい! 気付かれた!」


 斥候役は未だ不慣れなようで見つかってしまったらしい。その声とほぼ同時に遠吠えのような声が前方から響く。


「しょうがない! ラムドさんはユーシェの後ろに! ユーシェは周囲の警戒! 望海と俺で迎え撃つぞ」


「ほいきた!」


「分かった」


 ラムドさんには戦闘時の避難などの指示に従ってもらうことを、依頼を受けた時に了承してもらっている。本人も元冒険者ということで、俺たち以上に護衛の大変さを知っているようで二つ返事でユーシェの荷物の陰に隠れた。


 ユーシェも短い返事で三角耳をピンと立てて周囲の警戒を始める。望海に至っては返事すらなく俺と並ぶような位置で詩片を構える。


 怒涛のように迫りくる魔物を望海は犬っぽいと言っていたが、体の大きさ的に狼や熊といった方が近い。そんなのが三体、乗用車のような速度で迫ってくるのだから迎え撃つには相当の勇気がいる。

 思わず足が竦んでしまいそうだが、渓谷で出会った主の怪樹に比べればこれくらいどうってことはない。


【コード:ランド】


 望海は魔法で地面を隆起させ、向かってくる魔物たちを囲い込む壁を作り出す。


「動くなー!」


 そんな気合を込めた魔法だったが、効果のほどはイマイチだ。一体は速度を殺せず壁に激突して足を止めたようだった。しかし、残りの二体は足を止めた一体の作った亀裂を破壊して突進を続けている。


「こっちは俺がやる」


【コード:ウォーター=エクシード】


 壁にぶつかった衝撃で目を回している魔物を高圧の水流で貫いた。詩片に残る魔力量は少なかったが、致命傷には十分だった。魔物の右わきから左足の付け根まで大穴が空いて、重たい音を立てて倒れる。


 残り二体。今のところユーシェの索敵に追加の敵は引っかからない。


「次!」


【コード:ファイアシード】【コード:ファイア】


 望海によってばら撒かれた魔法の種子は、続く炎を浴びて人型に姿を変える。これは以前の決戦で彼女が創り出した新しい魔法。俺たちを追いつめた怪樹の切り札が魔法によって再現されている。


「そいつらを受け止めなさい!」


 種子の外殻を鎧として纏った姿は騎士のようだった。計四体に膨らんだ種子人間は、主人である望海の指示を忠実にこなそうとする。


 種殻たねがらの騎士は魔物に相撲でも挑むかのようにがっぷりと組みつくが、一体に二人がかりでも魔物の足を止めるに至らないようで、魔物は種子人間を引きずるようにして距離を詰めてくる。しかし、次の攻撃までの時間は十分に稼ぐことができた。


【コード:ランド】【コード:ウォーター】


「溺れなさい!」


 望海が顔を上げると同時、気合と共に魔法を放つ。土の魔法でもう一度魔物を囲い込む壁を作る。種子人間の妨害のおかげで速度が出せず、魔物たちはその壁に進路を阻まれた。時間差で土砂を混ぜ込んだ水を流し込めばあっという間に一網打尽だ。


「えげつな……」


「いいから! トドメは頼んだわよ」


 土の魔法が解けて、崩壊したダムみたいに水が辺りに放出される。その中心には息も絶え絶えの魔物が二体、力なく転がっていた。


 それぞれの魔物の頭部を一突きし、首元を切り裂く。新調したナイフはその切れ味をいかんなく発揮した。


「ユーシェ、周りは問題なさそうか?」


 俺の呼びかけにユーシェは大丈夫というように頷いて返す。とりあえずこれで戦闘終了のようだ。


「望海、街道を元通りにしておいてくれ。俺は集魔石を回収してくる」


 戦闘時間は一分もかかっていないだろう。その一連の様子を見て、ラムドはひそかに感嘆の息を漏らしていた。


 身分を隠して彼らの前ではラムドと名乗るこの男の正体は、この国の誰もがその名を知る『冒険王』ドラム・ルーダニア。経験豊富な彼から見ても、『明望の狼牙』はこれまで出会った人々の中で五指に入る実力に映った。


 ――この練度で魔法を覚えて二か月経ってないだと? 冗談だろう?


 心中で誰に聞かせるでもない独り言がこぼれた。


 正確には記憶を失う前に何かしらの技量を身に着けていたのかもしれない。しかし、それにしたって彼らは若すぎる。積み重ねた研鑽があったとしても、その年月はたかが知れている。炎華の獅子のサーシャやフーラと比べてもまだまだ子供だ。

 あれほどの応用力に富んだ魔法の使い方は、たとえ熟練の冒険者であっても簡単に思いつくものではない。


 戦闘における魔法というものは、生み出したものを投げつけるという使い方が俺たちの基本だ。火の魔法で生み出した火球を敵に飛ばしたり、土の魔法で生み出した岩塊で敵を潰したりと直接的な攻撃が当たり前。それ故に、サーシャやフーラのように武器へ魔法を纏わせるような使い方は高等技術として扱われている。


 ――というか、当たり前みたいに別種類の魔法を同時使用するあれ、どうやってんだ!?


 ノゾミの魔法を操る能力はすさまじい。もちろん、保有する魔力量が多いことも理由としてあるのだろうが、魔法をどう使うかの発想力や並行利用する力は、この国で見ても一、二を争う腕前に違いない。


 一人一人の魔法の練度や息の合った連携など彼らの長所を上げていけばいくらでも出てきそうだ。そんなことを考えていたら、大きな荷物を背負いなおしたユーシェがこちらを振り返った。


「ラムド、もう出発できる。歩けそう?」


「おう、問題ねえさ。にしてもこの街道に魔物が出るとは珍しい。さては、縄張りにしてた瘴気域が消えてこっちまで逃げてきたか?」


 あれほどの体格の魔物は瘴気域以外では滅多に見かけない。当てずっぽうだが、中らずといえども遠からずといったところだろう。


「そんなことあるんですね。それだと、これから魔物三昧?」


「そうかもなぁ。まあ、集魔石分の金はお前ら持ちだ。稼ぎ時だと思っといてくれや」


 とはいえ、想定していたよりもずいぶんと進行が速い。当初は片道丸二日かかるかと考えていたが、一日半ほどで目的地へはたどり着けるかもしれない。


 とはいえ、急ぐ旅でもない。慎重に進むに越したことはないだろう。


 その後、日暮れまで休憩を挟みながらの進行となったが、魔物との遭遇が最初のものを合わせて二回。野生動物との遭遇が一回とそれなりの頻度で敵がやってきた。しかし、そのどれもが明たちの敵ではなかった。


「今日はここらで野営にしよう。お前らも戦い尽くしで疲れたろう?」


「いえ、ラムドさんは杖をついてここまで来てるんですから、俺らは泣き言言ってられませんよ」


 彼らのピンチに合わせて変身を解き、国王としての正体を現して明たちをびっくりさせてやろうなんてことも考えていたラムド改めドラムだが、そんなピンチも訪れなかったため、足の悪い演技を続けていた。


「それにしても、こういう広場って街道沿いにちょくちょくあるわよね。やっぱり野営しやすいように?」


 その広場は数十人は横になれるくらいのスペースはある。そんなスペースがここに来るまでもいくつか街道沿いに存在していた。


「ああそうだ。行商ってのは俺ら以上の大人数で移動するからな。休憩の度にそれだけの大人数が休める場所を探してたら、安全に夜を明かせなくなっちまうってんで、この国の国王が作らせたのさ」


 そこに至るまでも色々と問題があったが、ラムドは話が長くなると判断して話題には出さなかった。


「飯はノゾミの嬢ちゃんが作ってくれるんだろ? 楽しみだ」


「ノゾミのご飯は世界一。ラムドも期待してて」


「ちょっと。勝手にハードル上げないでよ……でも、悪い気はしないわね」


 そう言って腕を振るったノゾミの野営飯は、ラムドも認める一品だった。みんなで舌鼓を打ちながら談笑する。美味しいご飯のおかげで、食事から就寝まで和やかな雰囲気で夜が更けていった。

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