黒陽の理想郷

「明、前に言ってたアレ買いに行こうと思うんだけど、どう?」


 ユーシェと手をつないで市場を歩く望海はそう言って正面にある店を指さした。


「俺もちょうど考えてたとこ。今ならお金の余裕もあるし」


 小遣いをくれたフーラさんには足を向けて寝られないな。多分、こういうことを見越して渡してくれた部分もあるのだろう。


 お昼を食べた場所からほど近い場所にあるとあるお店。露店の多いこの市場では珍しく店舗を構えている。その店先にはさまざまな種類の衣類や防具が飾られていた。その中には今はユーシェが着ている望海の外套と同じものもある。


「ユーシェはもっと自分の服を着るべきよね!」


 数日前から二人で考えていたこと。それは、ユーシェに服を贈ろうというものだった。

 今ユーシェが着ているものは、サーシャさんやクレアさんのおさがりを譲ってもらったものだ。とてもありがたいことだが好意に甘えすぎては自立できなくなる。こっちに来てから世話になりっぱなしの俺たちが言えた義理ではないが。

 それに、彼女は天使となるような愛着の湧く私物というものを持っていない。というわけで、まずは一番身近な服を贈ろうと話していたのだ。


 色とりどりの服が並んでいると選ぶ本人じゃなくても迷ってしまいそうだ。


「ユーシェ、気に入ったものがあったら言って。私たちが買ってあげる」


 望海はユーシェの手を取って店の奥へ進んでいく。あれは彼女を着せ替え人形にするつもりに違いない。今は流石にないだろうが、小さいころの彼女の趣味の一つは人形の着せ替え服集めだった。


 デザインの種類という部分では元の世界の方がはるかに勝っているが、縫製技術や服の材質などこの世界特有の部分はしっかりとある。眺めているだけで時間が勝手に過ぎていくようだった。時たま、試着室の方から望海の歓声とユーシェの戸惑いの声が聞こえてくる。


「明~これとかどうかな」


「どれどれ」


 何試着室から出てきたユーシェは、恥ずかしそうに三角耳をぴょこぴょこと動かしながらその姿を見せてくれる。


「お~可愛い」


「でしょ?」


 手首や首元にフリルがさり気なくあしらわれたお嬢様っぽい雰囲気のシャツと落ち着いた色のロングスカート。しいていえばユーシェの身長や年齢的に大人っぽすぎるだろうか。

 そのことを望海に伝えると、彼女も頷いて同意を示した。


「ユーシェくらいの年頃の子って一気に大人びていくからいいかなって思ったんだけど……ユーシェはどれが良かった?」


 これだけ着せ替えを楽しんでおいてアレだが、最後に決めるのはユーシェだ。彼女に問いかけてみると、少し迷った末にゆっくりとある商品を指さした。


「えっ? これって」


 ユーシェが指さしたのは、望海が普段着ている外套の色違いだった。


「これがいい」


「本当に? 確かに着心地はいいけど、もっとかわいい服だって……ううん、あなたの選んだものだものね。すみませーん! これ買います!」


 そう言って店員を呼ぶ望海の顔はこころなしか緩んでいた。


 俺たちで共有している財布を出して会計を終える。どっちも同じだろうと思われるかもしれないが、一応これはフーラさんのくれたお小遣いではなく、俺たち自身で稼いだお金だ。


 ユーシェが選んだのは少しくすんだ黄色の外套。試着していた大人っぽいコーデも望海が気に入ったようなので一緒に購入した。

 ユーシェは今着ている外套をさっそく望海に返して、買ったばかりのものを羽織る。青みがかった黒髪とよく似合っていた。


「お揃いだね~」


「うん、ノゾミと一緒が良かった」


 望海とユーシェは手をつないでその場をくるくると回る。通行人の視線が自然と集まってくるが、どれも微笑ましいものを見るようなものばかりなので気にしないでおこう。


「そうだ、俺はちょっと別の用事があるから二人でそこらへんを見て回っててくれないか?」


「かまわないけど、暗くなる前には合流してよね?」


「そんなに時間はかからないと思うから、大丈夫だって」


 望海にフーラさんからの小遣いを手渡す。そうして向かう先は、アクセサリーを売っているお店だった。

 この世界ではアクセサリーは装飾品としての意味合いだけでなく、人生を共にする天使になりうるという側面を持つ。


 目当てはもちろんユーシェへの贈り物だ。何も持たずに瘴気域で独り生き延びていた彼女は、少しくらい幸福が多くてもいいはずだ。少なくとも俺たちは誰にも文句は言わせない。


 しばらく物色して贈る品を購入する。俺のセンスと財布の中身を考えたら中々いい買い物をしたのではないだろうか。


 満足して店を出たところ、市場の方から爆発音と悲鳴が上がった。


「……! 望海! ユーシェ!」


 人の波をかき分けて爆発源へと近づいていく。俺たちは冒険用の装備をほとんど持ってきていない。遺構や瘴気域なら身を守れる望海も無事であるかどうか。


 焦りを飲み込んでひた走る。広場の煙の上がった場所はぽっかりと穴があいたように人がおらず、黒いローブに身を包んだ怪しい人物が数人とそれに抱きかかえられたユーシェ、そして倒れながらユーシェの方へ手を伸ばす望海が良く見えた。


「ユーシェをどこに連れて行く気だ!」


 望海は気絶しているようだがしっかりと呼吸している。その傷も俺の魔法さえあれば治すことができる。ユーシェを連れて行かせないことが、望海の願いでもあるはずだ。


「どこに連れていくだと?」


 ローブの一人が低い男の声で不機嫌そうに答える。


「我らが姫を連れ去ったのは他でもない貴様らだろうが!」


 ユーシェを姫と呼ぶ集団なんて一つしか思い当たるものがない。


「『黒陽の理想郷』か……!」


 しかし、聞いた限りでは彼らは日陰を好んで暗躍するタイプの組織だ。なぜこんな白昼堂々テロまがいの事件を起こしてまでユーシェを連れて行こうとするのだろう。


「我らのことを知ってなお姫を攫うとは……! その態度、ますます我慢ならんわ!」


 新たな逆鱗に触れたのか、彼らは詩片サームを取り出して同時に魔法を発動してきた。


【コード:ファイア】【コード:ファイア】【コード:ファイア】


「うわっ!?」


 黒いローブが三人同時に火球を飛ばしてくる。しかし、弾速自体は目で追える程度のため、飛びのいて避けることができた。

 相手もそれは想定済みのようで、火球を放つと同時にユーシェを抱えていた不機嫌な男は逃げ出してしまう。


「待て!」


 追いかけたいが、黒陽の理想郷の教団員が道を阻んでいて動き出すことができない。


 数は五。到着した時はユーシェを連れて行った男の周りにくっついていたが、その陣形は徐々に俺を包囲するような位置取りに変化していた。


 一触即発の空気。恐らく向こうは俺が詩片を使えると思っているのだろう。俺が魔法を使うそぶりを見せれば一斉に仕掛けてくるはずだ。

 残念ながら詩片は望海に預けているため今は使えない。なら逆にそれをブラフに使ってやる。


 懐に手を突っ込む。同時に正面に陣取った三人が魔法を使うために動き出した。

 魔力を見るに火と風と雷の三種。どうやら最初の賭けには勝てたようだ。


 狙うのは雷の魔法を撃とうとしている奴。弾速の早い雷を三人とも使っていたならその時点でゲームセットだった。


 背後にいる残りの二人はそもそも勘定に入れていない。前後で射線が被っていると同士討ちの危険が生まれるため、後ろの二人の攻撃は前に進むだけで避けられると踏んでいたからだ。


 前方に飛びのくと同時に懐から取り出したナイフを雷の魔法を使おうとした者へ投擲する。真っ直ぐ飛んだそれは術者の右肩に刺さり、魔法を中断させる。

 今はいているブーツは走る姿勢を安定させるため、風の詩片が組み込まれた魔道具だ。その出力を短距離スプリント用に瞬時に調整して地面を力いっぱい蹴る。


 風の詩片で空を飛ぶときのようにはいかないが、それなりの速度は出る。前方で魔法を使おうとしていた二人に急接近し、詩片をつがえようとしていた天使を弾く。後ろから火球が飛んでくるが、予想通り明後日の方向に飛んでいった。


 ナイフが刺さって苦悶の表情を浮かべる教団員からナイフを引き抜く。野生動物でさえあまりいい気分ではないのに、この肉の感触が人のものだと思うとなおのこと不快だ。


 ナイフの刺さりどころが悪かったのか、血が噴水のように噴き出してきた。嫌悪感と罪悪感が少しだけ生まれるが、意識を切り替える。今は生死の境にある状況なのだ。


 倒れた教団員から数枚詩片を拝借する。俺の能力のせいで遠距離攻撃としては使えないが、風の詩片があるなら話は変わってくる。


 教団員の練度もそれなりにあるようで、仲間の死に動揺することなく残った四人で陣形を組みなおしている。


「ユーシェは返してもらうぞ……!」


【コード:ウインド=エクシード】


 風の詩片を使用した移動力強化の極致。敵の攻撃が雨あられのように飛んでくるが、直撃さえ避ければなんとかなる。


 わき腹を火が焼く。かまいたちが頬に切り傷を作る。それでも止まることなく距離を詰めて、真ん中の一人へ拳を叩き込む。


 殴り抜けた勢いそのままに地面に手をついてカポエイラのような動きで両隣の敵を蹴り飛ばす。風の詩片を瞬間的に放出させてやると、そいつらははるか遠くの家屋の壁に叩きつけられて動かなくなった。


「あと一人」


 次の魔法のために詩片をつがえているが遅い。こういう近接だったら魔法より殴る方が早い。


 拳が顎を打ち据える。くぐもった声を上げたあと、教団員は倒れて動かなくなった。


「望海!」


 広場の真ん中で倒れている望海に駆け寄る。幸い出血もほとんどなく、彼女を抱き上げるとすぐに目を覚ました。しかし、彼女の表情が俺の背後を見て驚愕に染まる。


「う、しろ……!」


 振り返るとそこには影が落ちていた。殴られてダウンしていた一人が、武器を振り上げていたのだ。


 避けられない……!


「最後まで警戒は解かない方がいいぜ?」


 しかし、降ってきたのは武器ではなくひょうひょうとした言葉だった。


「ロビンさん!」


 炎華の獅子の双子の兄、ロビン・タウセットが、生き残った教団員の腕を切り飛ばしていた。


「悪い、来るのが遅れた。こいつらを拘束するの手伝ってくれないか?」


 望海に意識が向いていてこいつらの無力化を忘れていた。反省しながら、ロビンさんの持ってきたロープを借りて教団員を拘束する。

 相手の重軽傷者は三名。死亡は俺が刺した一人とロビンさんが腕を落とした一人。敵であっても人を殺したことを考えると何とも言えない気分になる。


「ユーシェの方は俺の弟が追ってる。だけど、町の外に出たらしいからある程度折ったら戻ってくるはずだ」


「俺たちももう少し警戒すべきだった。そしたら望海もユーシェも危険な目に遭わせずに済んだだろうに」


 回復の詩片を受け取って、望海に向き直る。


「そんな詩片で足りるか?」


「問題ないです」


【コード:ヒール=エクシード】


 光の粒子が望海の体を回復させる。ついでにその余波で俺自身の傷も治していく。


「ヒュー、聞いてはいたけどこれは……凄まじいな」


 数秒ほどで詩片の効果を使い切った。望海にも俺にも傷一つ残っていない。


「今は俺らの拠点に戻ろう」


 拘束した奴らを衛兵に引き渡して屋敷に帰還する。その間もずっと、俺と望海は一言も発することはなかった。

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