ハッピーエンドの条件

 魔物の死体に潰されそうな俺をかばって、望海の足が代わりに下敷きになった。助けるすべも思い浮かばない。


「の……ぞ、み?」


 何もできない。そんな無力感が全身の力を奪っていく。


 遠くから冒険者たちがなにか騒いでいる声が聞こえる。しかし、そちらに意識を向ける余裕すらなかった。


「……ちゃん! おいニイちゃん!」


 最初に助けた冒険者がいつの間にか俺たちの横に立っていた。彼の浮かべる必死な表情は逆光で見えずらかった。


「兄ちゃん! これを使ってやれ! 俺たちはお前らに助けられたんだ。こいつなら何とかなるかもしれねえ!」


 差し出されたのは一枚の詩片サーム。回復の魔法、それも市販の物よりかなり上等な魔力が込められている。


「これをどこで……?」


「この部屋にあったものだよ。もともとここの報酬になるものだったんだろうが、それを手に取ったらあの魔物どもが奇襲してきやがったがな。こっちの負傷者はお前らのおかげでみんな大事ねえ。お前の相棒に使ってやりな!」


 詩片をむしり取るような勢いで受け取ると同時に、天使であるブレスレットに擦りつけて術式を発動させる。


【ブースト:ヒール=エクシード】


 詩片から響く文言がいつもと微妙に違うことにすら明は気が付かない。


 治癒の光が詩片から溢れ出す。光の奔流はかなり広いこの部屋を満たすようにとめどなく溢れ、明自身の体にあるかすり傷さえ癒していく。


(やるべきことをイメージするんだ)


 魔法の応用は、イメージの拡張と同義だ。風の魔法を空飛ぶ推進力とするように、元通りに直った望海の足を強くイメージする。


 潰されて砕けた骨と肉は元の形になり、神経や血管も何の支障もなく繋がっていく。そのおかげで、望海はすぐに跳ねたり走ったりできるようになるんだ。


「治れ……! 治れよ!」


 一心不乱に魔力を望海へと注ぎ込む。


「す……すげえ」


 冒険者の誰かがつぶやいた言葉は、その場にいるすべての人間の総意だった。明だけが、自分の成していることの異常さを認識しないまま望海を治癒し続ける。


 教会で一般的に取引される『コード』の詩片以上の魔力が、明の持つ詩片には込められていた。

 数分間、途切れることなく回復の魔法を注ぎ込まれた望海の足は、元の厚さを取り戻したのだ。


 彼女の表情は安らかだ。不規則だった呼吸も正常にできている。


 詩片に描かれた紋様が消えて光が途絶えた。術式がその役割を終えたのだ。


「……! っ! はぁっ……!」


 いつからか呼吸を止めていたことに今更になって気づく。

 酸欠のせいで視界にチカチカと星が散る。

 心臓が足りていなかった酸素を全身に回そうと際限なく鼓動を速めている。


 なんとか助けられた。けれどそれはこの遺構に隠されていた詩片が回復の魔法だったからだ。

 多分、町で売っていた回復魔法があったとしても、望海の足をここまで完璧に治すことは出来なかった。


 脳裏をよぎる『バッドエンド』の文字列。


 風の詩片を使い切って倒すという判断が、危うく望海の命を脅かした。そもそも、望海が助けてくれなければ俺が潰れて死んでいた。

 

一週間ぶりに背筋が凍る。この世界は容易に人が死ぬのだと再確認させられる。


「明……?」


「望海! 良かった……!」


 望海は不思議そうな表情で体を起こす。


「えっ!? 怪我治ってる? というか明! なに諦めた顔して死のうとして……わっ」


 混乱して自身の体をあちこち見回した後、彼女は泣きそうな顔で語気を荒げた。

 それを見て、自分の中で感情というダムが音を立てて決壊した。望海がまくし立てているのも構わずに、彼女に抱き着く。


 怖かったのだ。望海と離れるのが。根本から違う世界で、唯一の理解者を失う恐怖を正しく理解できていなかった。


 彼女がいないままこの世界で野垂れ死にしても、元の世界に帰還できたとしても、俺はきっと喪失感を抱えながらこの世界を去るに違いない。


「もう! 他の人も見てるのに……」


 そういう望海も無理に引きはがそうとはしなかった。彼女の表情も次第になにかを我慢するように歪んでいく。


「一人で死ぬなんて……ひっ、ゆる、許さないんだから! うっ、ぐぅ……」


 涙をこらえきれず望海は泣き出した。


「ごめん……ごめん」


 視界が潤む。望海の涙が呼び水のようになって、俺も声を上げて泣き出した。幼い子供のように望海もわんわんと泣き出す。


 俺たちに気を使って冒険者たちは先に部屋を出ることにしたようだ。広い部屋には泣きじゃくる子供が二人だけ。


 しばらく泣いてようやく涙が枯れる。全く同じようなタイミングで泣き止んだ俺たちは、なんだか恥ずかしくて笑いがこぼれた。


「私ね。本当は元の世界になんて帰りたくないって思ってたの」


 望海はゆっくりと口を開いた。なかなか衝撃的な内容だったが、今は黙って耳を傾ける。


 ぽつぽつとその内心を喋り始める。よく考えると、この世界に来てから目の前の問題以外を話題に上げたことがなかった。


「あんたと別れる前にさ。うちの母親とあの人が再婚したじゃん? 二人とも未だに私と距離あってさ……違うか。私が二人と距離を作るようになったんだ」


 黙って彼女の話の続きを待つ。


 中学二年の夏休み。彼女の母親は再婚した。しかし、彼女はあいにくの思春期真っただ中。父親の連れ子である義弟の体が弱くそちらに両親がかかりきりになったこともあって、彼女は疎外感からちょっとした家出をしたのだ。


「あの家出の後、お義父とうさんの急な転勤が決まって色々うやむやにされちゃってさ。怒られると思ってたけどそれもなし。義弟おとうとの病気がひどくてそっちばっかりで。今にして思うと私は構ってほしかったんだろうね」


「数年経った今は子供だったなぁって感じだけど……もう、どうにもならなくなってた。バイトを頑張ってたのも早く家を出るお金が欲しかったから」


 望海の言葉が詰まる。彼女も、今まさに色々と考えを巡らせているのだ。


「そんな感じだったから、本当は現実に帰りたくなんてなかった。けど、さっき明が死にそうになって気付いたの。大切な人と会えなくなるのは、とても怖いことだって」


「今まで考えないようにしてたけど、お母さんたちと会えなくなるのは……うん。やっぱり、怖い」


 口を引き結んで一点を見つめる望海に聞かせるように、いや、自分自身に言い聞かせるように俺はゆっくりと口を開く。


「……帰りたくないって考えてたなんて、思ってなかった」


「俺も望海がいなくなるのが怖かった。だから望海も、俺と一緒で元の世界に帰りたいんだって決めつけてた。俺がどうなっても、望海さえ帰られたらそれもいいかなって考えた」


 俺の場合は、望海に拒絶されるのが一番怖かったのかもしれない。


「やっぱり色々話さないと駄目だな。何を感じて、何を考えてるのか。命を預けるパートナーになったんだから、伝えておかないとさっきみたいなことになる」


 今の俺は、二人で帰りたい。さっきまでは望海だけでも元の世界に帰すことができればいいと思っていたが、それでは彼女が一人ぼっちのままだ。だから、二人一緒に帰らなければいけない。


 立ち上がって、望海に手を差し出す。


「俺は二人で帰りたい。命の危険が付きまとうこの世界より、いくら大変だってあっちの世界の方がいくらかマシだってやっぱり思うんだ。望海はどう?」


 望海が俺の手を取る。お尻に着いたほこりを払って口を開く。


「私も二人で帰る。というか、二人でないと帰らない。帰って、お義父さんとお母さんに一言言ってやるんだ!」


 望海は、いつもの元気を取り戻したようだ。やっぱり、勝気な表情の方が彼女らしい気がする。


 俺たちのハッピーエンドの条件は二人で元の世界に帰還することだ。RPGよろしく、俺たちの意思や選択によりその条件は変わっていくかもしれない。それでも、同じハッピーエンドを目指す限り迷うことはない。


 話し合えば同じ目標を目指すことができる。話す時間はたっぷりとあるんだ。そして、話していれば別れた後の数年を埋める時間だって、きっと簡単に手に入る。そう思うと、なんだってできるような気がした。

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