2.竜血


森の中を、簡易な荷車に乗せられて進む。

舗装されていない道に木の車輪。

正直乗り心地は最悪だ。


藁や布を敷き詰めて懸命に乗り心地を改善してくれた努力の跡が見えるものだから遠慮もし辛く、牽いてくれているのが馬や牛ではなく人なものだから尚更不満を漏らせない。

しかし、歩く体力もあまり残っていないので現状に甘んじている。


周りには晴れやかな顔で談笑しながら並び歩く鎧姿の男達。


(リアルだな)


この身に降りかかった出来事を思い返し、目の前に広がる光景を眺めながら心の中で独りごちた。

夢でなければ有り得ないような世界だけれど、夢だというには鮮明過ぎる。


(まぁいいか。どうせ、覚める先の世界すら無い最期の夢だ)


辺りを見回せば自分を乗せている以外にも同様の荷車が数台あり、その荷台には布に包んで先程の鉱物の瓦礫がどっさりと積まれていた。


「あの石…どうするんですか?」


荷車を引いてくれている壮年の男性に声を掛けてみる。

歳は30になるくらいだろうか、獅子の鬣のようにも見える鳶色の髪がよく似合った逞しい体つきの大男だ。


「竜の石ですか?あれは上質な魔石ですので国王陛下に献上され、大部分は次の竜の暴走に備えた武器や防具の為に騎士団へと下賜されますね」


「…暴走…」


馴染みの無い言葉の羅列の中、引っ掛かった言葉を反芻する。


「竜は暴走しなければ普段は人を襲うような生き物ではないんですか?」


「そうだよ」


隣から返った返答にびくりと反射的に振り向く。

荷車の傍を歩く小柄な兵士が「驚かせちゃったかな」と頭を掻いていた。


「スプモーニ、無礼だぞ」


注意を受け、金色の短髪を煌めかせながら「ごめんなさい」と笑った青年は疑問の答えを続けてくれた。


「竜はいつもは理性的で穏やかで、人間に友好的な種族なんだ。だけど長く生きて行く内に自分の持つ魔力の強さに耐えられなくなって、理性を失くして暴走しちゃう」

「そして力の尽きるまで暴れた後、心臓が止まると内側から魔力の塊と成り果ててその命を終えるのです」


荷車を引く大男が言葉を引き継ぐ。


「彼らの力の暴走は命を終えるまで止まる事はありません。固い鱗に覆われたその身には矢も砲弾も効かず…内側から溢れ出す魔力は魔術攻撃すら無効にする。そうして理性を失い、天災のように国を破壊し続ける竜の鱗を打ち砕き…鮮血を浴びながら打ち倒した英雄をこの国では竜血の戦士と呼び、敬う」


──竜血──

先刻自分に向けられた謎の呼称の意味を知る。


「貴女のお陰で、アウローラは一人も殺さない内にその命を終えられました。竜達も人間も…誰もが望む、誇り高い彼らの尊厳のある死です」


「………」

荷車で運ばれる瓦礫に目を遣る。

自分が与えた死は、尊厳などとは程遠い物だったと思う。

(それでも、誰も殺さず死ねたなら彼女はそれで満足だったのだろうか)


「ここはね、昔…たくさんの竜が同時に命の終わりを迎えた時代、混乱の中で人々を纏め上げて竜を打ち倒した1人の竜血の戦士が興した国なんだ」

「それゆえ、竜血の戦士はこの国で国王陛下にも並ぶ地位と名声を得るのです」


思考の海の中、引っ掛かる言葉があった気がして意識を引き戻す。

──国王陛下にも並ぶ地位と名声…とは?


「だからこそ、言葉使いがなってないと言っているんだ、スプモーニ。無礼だぞ」

「ごめんなさいってば、ルジェ」


聞き分けのない子供を叱りつけるような剣幕に対し、スプモーニと呼ばれた青年は慌てた様子で手を合わせる。


──あぁ、とんでもない夢だ。

これを自分の頭が作り出しているとするならば…

何とも図々しい己の神経に、荷車に揺られながら頭を抱えた。


「…ところで私たちは今、何処に向かっているのでしょう…?」


一旦思考を放棄して素朴な疑問を口にする。


「我々の駐屯する兵舎です。もうじき、森を抜けたらすぐですよ」


その言葉から10分程経った頃、荷車を従えた軍勢がたどり着いたのは三方を森と崖壁に囲まれた大きな広場だった。

崖を背に建っているのが兵舎だろう。

厩舎らしき建物も見える。


「すみませんね。乗り心地悪かったでしょう」


荷車を引いていた大男・ルジェ本人の口から憚られていた内容の感想が告げられ、手を引いて貰いながら地面へと降り立つ。


「地面が、揺れてる気がします」


礼を述べてから素直に感じたままを答えれば豪快に笑われた。


「あ、隊長!」


ルジェと一緒に笑っていたスプモーニが此方の肩越しに視線を送りながら誰かを呼ぶ。

振り向いた先には最初に出会った褐色髪の男。

瓦礫よりも優先的に荷車へと乗せてもらい最初に出発したはずの自分達に、全ての瓦礫を積み終えるのを見届けてから追い付いて来たらしい。


「すぐに医者を連れて来ます」


それなりの距離をそれなりの速度で来たはずの男は息も乱さず涼しい顔で頭を下げ、きびきびとした足取りのままに去っていく。

そんな彼の向かった先に、数人の男達が布の敷かれた地面へと寝転がり呻いているのが見えた。


「アウローラが逃げる時に吹き飛ばされた連中です。大事に至った者は居りません。ちょっと目を回しているだけです」


何事かと視線で語ってしまっていたらしく、察したルジェが状況を説明してくれる。

少しばかり突き放すような言い方は、犠牲が出なかったからこそ飛ばせる仲間への叱責を含んだ激励なのだろう。


そんな呻く怪我人の中で1人、くすんだ白衣をまとって佇んでいる人物。

隊長と呼ばれた褐色髪の男が彼に声を掛け、此方を示して何やら話している。

しばらくして、隊長は医者らしき白衣の男を引き連れて此方へと戻ってきた。


「お待たせしました」


ペコリと頭を下げた隊長の横から、白衣の男が額の傷口を眺めてきている。


「逃げたアウローラと鉢合わせ、応戦したようだ。治療を頼む」


「ん?…つまり、この少女が竜血だと?」


隊長の言葉を受けた医者は眉根を寄せて一瞬とても信じがたい物を見る目付きを寄越し、ハッと表情を引き締め「こほん」と一つ咳払いをした。


「失礼、報告は受けております。私はここ、竜の谷に駐屯する部隊に属する軍医・コラーダと申します。…貴女のお名前は?」


手にした道具箱から包帯やら薬らしき小瓶やらを用意しながら尋ねたコラーダの台詞で、そういえば今まで誰にも名乗っていなかったという事実に思い当たる。


ルジェやスプモーニを含む周りも気付いていなかったのか、間の抜けた顔でぽかりと口を開けていた。


「えっと…まり、と申します」

「マリー?」


名乗った横でスプモーニが繰り返す。

祖母が名付けた、本来は手鞠歌のまりの字を書く古風な名前が何やら随分と洒落た名前のように聞こえる。


「よろしくね。マリー」


こくりと頷けばスプモーニは晴れやかな笑顔で応えた。


「それではマリー。聞かせてほしいのだが…これは竜に付けられた傷じゃないね?」


傷口を診ていたコラーダが険しい表情で目を合わせてくる。

至近距離で髪色と揃いのオリーブグレーの光彩に見つめられて目が泳いだ。


「そもそも私、ここじゃない遠い国で殴られて棄てられたはずなんです。だから自分でも、あの森に居た理由がよく分かってなくて」


発した言葉に皆が息を詰めるのが分かった。

(気分のいい話じゃない。というか、普通に考えて身元不詳で怪しすぎるな)

聞いた側も気まずいだろうし、馬鹿正直に言うべきじゃなかったのかも知れない。

目の前のコラーダが顔を顰めている。


「竜血を浴びれば身体的な強度や治癒力は増す。現に出血は止まっているが…しかし、それ以前によく生きていたものだ。結構な深手だぞ」


実際に自分でも死んだのだと思っているので「そうですね」と肯定を返す事しか出来ない。


「しかし、それでは家族が貴女を心配しているのではないか?」

ルジェの言葉に重い制服のスカートを握りしめた。


「私を殴って棄てたのは母です。他に家族もいないので、帰る場所もありません」


──高潔な竜血の戦士。

彼らが思い描くだろう英雄との齟齬があまりにも大きく感じ、居たたまれなさに襲われる。

何者かになりたいと望んだ心が見せる夢だとして、身の程を弁えないからこうなるのだ。


「……そうか。大変だったな」


不意に、コラーダがぽつりと呟いて後頭部に回した掌で髪を撫でた。


「これからは、貴女の救ったこの国すべてが貴女を歓迎するよ」


迷子の子供を励ますような優しい眼差しと声色を向けられ、少しばかり照れ臭さを覚える。


(本当に呆れる程、自分に都合の良い夢だ)

――大人が向ける視線に安心させられるのなんて、一体いつ以来だろう。


「そうだよ。それにお家がほしいならシャルトリューズ様のお屋敷に住めばいいよ。そうすれば、俺とマリーは兄妹だよ!」


興奮気味にスプモーニが明るい声を上げる。


「シャルトリューズ様?」


初めて耳にする名前に首を傾げた。


「この竜の谷から一番近い街を含めた辺り一帯を治める領主様です。御自身は独り身ですが、屋敷に孤児を集めて世話をしているのです」

「俺もそこで育ったんだー」


コラーダの説明に続いたスプモーニの言葉に目を向ける。

(つまり、彼は孤児という事だ)

目の前の底抜けに明るい笑顔が眩しくて目を細めた。


「それと、シャルトリューズ様は40年前…アウローラの番だったラスティという竜の暴走を止めた。マリー、貴女の1代前の竜血の戦士です」


隊長が補足した説明にドキリとする。

──正真正銘の英雄様が、彼らの近くには存在しているのだ。

(正直、並びたくはないな…)


「あの方の事なので、きっと夜になる前には顔を出しに来るでしょう」


何を根拠に言うのかは分からないが、頭に包帯を巻きつけながら呟かれたコラーダの言葉はちょっとばかり気分を重くさせた。


「さ、とりあえずはこれで大丈夫でしょう。しばらくは安静にするんですよ」

「はい。ありがとうございます」


コラーダの手当てが一段落して礼を告げたのを合図に、隊長が傍らに跪いて手に持った剣をこちらへと差し出してくる。


「マリー、これを」


空から竜と共に降ってきた、この手でアウローラを突き刺すのに用いた剣だ。

抜き身だった筈のそれは、今は柄の装飾に見合った立派な鞘に納められている。


「?」

受け取れと言わんばかりの態度に困惑する。


「これ、隊長さんの剣だったんですよね?勝手に使ってごめんなさい。お返しします」


既に持ち主の手に戻っている物を返すと言うのも変だが、意図が読めないのでとりあえず口に出してみる。


「いえ、これはもう俺が持っていてはいけない物です」


隊長が続けた言葉に戸惑う様子を見たコラーダが「受け取りなさい」と諭してくる。


「竜を倒すのに用い、その血を宿した剣を聖剣と呼ぶのです。竜の討伐に使われる剣には元々魔石が散りばめられ、高い魔力を宿していますが…聖剣には元の比にならないだけの力が宿り、価値が生まれます」


「聖剣に成った剣は、世界で一番価値のある剣だよ」

スプモーニの補足と共に、ずしり…渡された鉄の塊が重量以上の重みを伴い掌にのし掛かる。


「持ち続けるつもりが無いならばそれでもいい。そもそも、通例として歴代の竜血達は手にした聖剣を時の国王陛下へと献上してきている」


「凄い武器に、なるのに…?」

「凄い武器になるから、です」

疑問を解答に変えて投げ返された。


「この世で最も価値のある武器を持つのは、この世で最も高貴な方でなければならない。歴代の竜血は皆、国に仕える騎士だったからこそ忠誠を誓う国王陛下に捧げてきました」

「竜血は国王と同等だ。マリーが持ち続ける事に異議を唱える者は居ない。だが、手放すのなら貴女の手から陛下に献上しなくてはいけないよ」


借り物のように据わりの悪い重みを感じながら、元々の持ち主である男を見上げる。


「そういう、ものなの?」

「そういうものです」


突き返そうにも受け取ってはもらえないらしい。

諦めて手を下ろし、重みを自らの膝に預けた。


「じゃあ、国王陛下の所には聖剣がたくさん有るんですか?」


素朴な疑問が口をつく。

竜血の戦士という者が歴代どれだけ居たのかは知らないが、聖剣がいくつも存在するのなら、それに含まれる価値も多少は薄れるように思う。


「いえ。竜血の戦士から献上された聖剣は捧げられた王が崩御なされた時、棺へと共に納められ埋葬されるので。シャルトリューズ様が捧げたラスティの聖剣も、今は先々代の陛下と共に土の中で眠っています。陛下が歩む死後の旅路の守り刀となるのです」


「なるほど…」


つまり今、地上に有るのはこの手に乗った1つだけという事なのだろうか。


(国王陛下に献上…)

今まで生きてきた人生の中で無縁過ぎる言葉の数々。

混乱を落ち着けるように鞘の装飾を指先でなぞった。



(とりあえず王様の手に渡るなら、私が持っているよりも余程アウローラも浮かばれるのだろうな)


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