第15話

開け閉めするたびに金属がきしむ音がするアパートの扉を開け、小梅は中に入る。


一度玄関脇に通学鞄を置き、台所へ向かった。肉や魚などの食材をすぐに冷蔵庫にしまい、すぐに使うものはそのままシンクがさび臭いキッチンに置く。


自室に戻って部屋着に着替えるときにたわわに実った果実が解放され、はずみでバランスを少し崩しかける。


シンプルな黒のジャージの上からエプロンをつけて再び台所に向かう。部屋着からは学校でのオシャレな雰囲気はみじんも感じさせなかった。


今日のメニューは肉じゃがだ。


ひと手間かかるが作りなれているし、作り置きできる。


食材もそれほど高くない。


 ニンジンを輪切りにしながら小梅はふと今日のことを思いだした。


「シュン、か……」


失礼だけど正直初めはモブとしか思っていなかった。クラスでも目立たなかったし、特に特徴があるタイプでもない。


だけど持久走でクラス二位になって、にわかに注目を集めて。でもすぐに忘れられて。


と思ったらいつの間にかクラス内でも有数の美少女である佐久や望月とも仲良くなっていて。それが知られたらクラス中から嫉妬の嵐だろう。


「さっちーは知られるの凄くいやがりそうやしね」


ニンジンを手早く皮をむいて四つ切にしたじゃがいもや玉ねぎと一緒に鍋に入れて炒め、砂糖と醤油で味付けすると煮込む。


その間に炊飯器をセットし、付け合わせにキャベツをゆがいて完成だ。


肉じゃかの味が濃いから、副菜は味の薄いものが良い。


鍋の火を消して味をなじませ、ゆがいたキャベツを皿に盛って余りをタッパーに入れた。


この間わずか三十分。


「バリ疲れた~」


リビングの椅子にどっかりと腰を下ろし、手荒れのケアのためハンドクリームを手に刷り込む。スマホでクラスメイトや中学時代の友人とやりとりしていると瞬く間に時間は過ぎ、西日が部屋に差し込み始めた。


「ただいま~」


炊飯器から電子音が聞こえたころ、母親が返ってきた。スーツではなく地味な私服に身を包み、トートバックを肩にかけている。


小梅以上の大きさの胸と、わずかに娘より高い身長。


だが目元に目立つしわと笑った時にできる深いえくぼは、年齢と乗り越えてきた苦労の深さを感じさせた。


「おかえりなさい、お母さん。お仕事ご苦労さま」


「まあね、でも今日は急患もなかったし、楽だったわ」


腰を抑えながら靴を脱ぐ母親の荷物を持ち、彼女の自室へ置く。


母親が着替えている間にご飯とみそ汁をよそって準備をした。


「いただきます」


「いただきます~」


小梅は母子家庭で育った。


幼いころに父親の浮気が原因で離婚し、九州から母親の実家に近いここ霧ヶ峰市に引っ越してきた。母親が家を空けることが多かったこともあり小学生くらいから自炊を

はじめる。


それなりのものが作れるようになってからは看護師として働く母のためによく食事を

作っていた。料理部に入ったのも食べ物を持って帰れるからという理由だった。


「うん、美味しいわ~。やっぱり娘の作る料理は絶品ね~」


 母親は満面の笑みで肉じゃがをついばみ、白米を口に運ぶ。


 看護師は勤務形態が不規則で、土日出勤もあれば夜勤も多い。


 小梅が幼いころは夜勤のシフトからは外れていたが、娘が中学生になったころから稼ぐために再び夜勤のシフトに入った。


「何かいいことあった?」


母親は笑みを浮かべながらふと、そう聞く。小梅はどちらかといえば父親似だが、笑っている顔は母親譲りだとよく言われた。


「え? そういえば、今度の土曜日友達と一緒にハイキングに行くんよ」


「どこの山?」


「四賀山、っていうんやけど。家事は日曜日に済ませるから」


「患者さんから話を聞いたことはあるけど、結構険しいわよ? 大丈夫?」


「大丈夫やと思う。経験者が案内してくれることになっとるし」


 幼いころ九州にいた小梅は訛りが残るが、霧ヶ峰市生まれである母親は訛りがない。


 だが経験者と聞いた途端、母親はいたずらっぽく笑った。


「それって、男の子?」


 そうだよと言えば良かった。クラスメイトだと軽い調子で答えればよかった。


 だが峻の顔を思い浮かべたら、声を思い出したら、軽く答えることができなかった。


「気になる子がやっとできたみたいね。母さん嬉しいわ~」


「別にそんなんじゃないし。地味なモブ男子だし。それに男子と付き合いたくなんてない」


「小梅」


 だがそんな娘を、母親は厳しい口調でとがめた。


「人は一人じゃ生きていけないの。何度も言ってるでしょう? 病気になった時、子供が生まれた時、一人じゃ本当に苦労するんだから」


「だから、浮気しないで養うだけのお金を稼ぐいい男を、早く見つけなさい」


 小梅は浮気した父のことがあり、恋愛や結婚に対しあまりいい印象がなかった。


 父親への不信感がトラウマとなり、ただ話すだけなら抵抗ないが彼氏彼女の関係にはなりたくなかった。


 だが母親はそんな娘を心配し、とにかく恋愛経験を積ませようとした。メイクも男子との縁ができるようにと、母親が指導したのだ。


 あまりけばけばしいと引かれるが、自分と同じように服装やメイクに気を使いなさすぎるのはもっと男との縁がない。


「別に、いいやろ」


 メイクをするのは楽しい。女子と遊びに行くのも楽しい。だから、それだけでいい。


 それが小梅の偽らざる本心だった。


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