人が望んだもの:

「ぅ……ぐあ……ううぅ……! っ、ああああああああっ!!」


 西の護陣塔。その二階層。

 この世界にとって考え得る限り最大かつ最悪の穢れを一箇所に詰め込んだ邪悪の巣窟に、大きな呻き声が響く。

 脈動する不浄な血肉の柱に四肢を埋め込まれ、腹部に接続された管のような器官から強制的に穢れを流し込まれているのは神聖なる女神の使徒。

 隣には『母胎』、背後には『子飼い』、目の前には『尖兵』の異常種。絶望を越えた絶望の中、抵抗する力を失ってはりつけにされた天使が囲まれ、なぶられ、一方的に苦痛と屈辱を与えられていた。


「なんか、こうしてると僕達が悪者みたいだね」

「ハァ、ハァ……っ、そう、だ。ガキ。少しは客観的に……っ、物事が見えて、きたじゃねぇか……いい子だ……!」

『騾溘d縺九↑蜃ヲ蛻?r謗ィ螂ィ縺吶k』

「へっ……やれるもんなら、やってみやがれ……この腐れ肉団子どもが……っ! ぅぐ……っがああ”あ”ああああああッ!」


 血肉の柱から突き出た太い管が翼徒の露出した太腿を貫き、えぐるように蠢いて内部の肉を掻き回す。十分な苦痛を与えた後に管が抜き去られると、途端にその穴は塞がって元の白く滑らかな脚へと形を取り戻していった。

 もう己を治癒する力など残っていない筈の翼徒の傷が、誰が何をするでもなく再生していく。この世界にいる殆どの人間が願い、望んでいる安寧への想いが、清く善なる神への信仰が、同じ性質を持つ彼女に僅かながらの不死性を与えていた。


「ハ、ハ、は……! 見ろ、どうやらこの世界の人間は俺の味方らしい……! 望まれてねぇのは、消えるべきなのはテメェらの方なんだよッ!」

『谿コ縺』

「殺せるか。人が望み、人が信仰する善神の徒である俺を。人を愛し、人に幸福を与えるべく存在しているこの俺をっ!」

「あーはいはい。悪いけど今ちょっと急いでてさ、そういう露骨な物言いに一々構ってあげられる時間が無いんだよね。下から凄い水の音がしてるし、なんだか塔全体が軋んでる気もするし」

「……いや、いいんだ。お前は何も悪くねぇ」


 少年はまだ外部からの言葉に耳を傾けられるだけの自我は取り戻せていないが、今回の接触によって少しずつ、確実にその視野を広げている。

 彼の反応からそうした変化を読み取った翼徒は、身を襲う激痛に耐えながらも笑顔を作ってみせた。


「ガキ、安心しろ。俺は不滅……なんて事はないだろうが、どうやらもう少しだけ保つらしい」

「ふーん? でもさ、その状態で傷が治っちゃうのって逆に辛いんじゃないのかな」

「優しい子だ。だが心配すんな、お前の苦しみに比べりゃこの程度何でもねぇよ。人間が神を必要とする限り、その想いが俺を支える。俺は俺でいられるんだ」

「人間が神を必要とする限り、ねぇ。……あ、そうだ」


 翼徒の話を聞いて何かを思いついたように手を打った少年が、隣の守護獣へと向き直ってその体に触れる。楽しげに口角を上げながら濡れた肉塊へと話し掛ける気安さは、本来の双方の関係上有り得ないもの。


「僕、いいもの持ってるよ。ハッピー、この前買ったあれ出してくれない?」

『縺ゅ?辟。鬧?▲縺??ヲ窶ヲ閭御シク縺ウ縺励※雋キ縺縺溘d縺、縺ァ縺吶°窶ヲ窶ヲ?』

「え? いやいや、あれはいい買い物だったから! お買い得だったから!」

『縺ゥ縺◇……』


 少年の頼みを聞き入れた『尖兵』が空間の裂け目から取り出したのは一振りの大鎌。金属部分が中程で折れ、半端な長方形の刃体が長柄の先端に固定されているだけの使い所が限定された武器。

 それは魔術的効果すら付与されていない安価な再生品であったが、ただ一つ、作り手の強い想いが込められていた。


「これ、神様を否定しながら作ったらしいから試してみようよ。結構な恨みが込められてるんじゃないかな。連勤だったみたいだし」

「……あのな、ガキ。俺が永く苦しまないよう気遣ってくれるのは嬉しい。でもな、これだけ信仰が偏った世界でそれを否定してる人間なんて…………っ!? いるのか……」

「いたんだよね。僕も驚いたよ」


 翼徒は掲げられた大鎌の中に見た。強い憤怒と共に込められた神への怨嗟を。

 人を導く神の存在を、他でもない人自身が否定して製作した武器。こうして今の状況を的確に解決するための鍵を事前に入手していた事からも、邪神の眷属達による一連の作戦の計画性が見て取れる。


「……呪いは一人分か。その割に強力みてぇだが、これでも俺はそこそこの階級だ。もし中途半端な殺り方をしてみろ、この世界じゃすぐに生まれ直しちまうかも知れねぇな? そしたら俺はお前を救い出すために何度でも戻って来る。これは俺が主神の影響下から離れて、初めて見つけた自分自身の願いなんだ。……なぁガキ。今ある全ての痛みと苦しみから解き放たれて、人の精神では到底処理しきれない量の愛情と快楽を注がれ続けながら永劫の時を多幸感に満たされて生きないか?」

「うわぁ……最後だと思ってとんでもない事言い出したね」

『霄ォ縺ョ遞九r遏・繧』

『縺輔▲縺輔→豁サ縺ュ』


 持っている価値観が大きく異なっているであろう翼徒からの言葉を受け、少年は苦笑しながら一歩身を引いた。『母胎』と『子飼い』もそれに賛同して短く呪詛を吐いたが、人間と価値観が大きく異なるという点においては彼女達も同様だ。

 この場において少年と同じ価値観を持っているのは、群ではなく個としてこの世界で始まり直した彼の家族だけだった。


「で、この鎌はどうかな。使えそう?」

『蛻?°繧峨〓縲ゅ□縺梧ア昴?譯医↑繧芽ゥヲ縺励※縺ソ繧医≧』

「うん、そうだね。じゃあ……はい、ハッピー」

『縺医?∫ァ√〒縺吶°窶ヲ窶ヲ?』

「だって僕の力じゃ物理的に落とせないかも知れないし。得意だったでしょ、草刈り」

『……』


 草と首とは違う。そんな口を衝いて出そうになった言葉を飲み込んだ『尖兵』は、溶けた全身を混ぜ返すように回転させ、腕が密集している部位で少年から鎌を受け取った。

 同郷の者と比べれば小柄な、それでも人間から見れば十分に巨体である彼女が持てば大鎌も小枝のよう。何度か振り下ろして刃が最適に入る角度を確認すると、そのまま肉柱に繋がれた翼徒の首へと押し当てる。


「ガキ、絶対に諦めるなよ。お前はいつかそのすり替えられた世界から目覚めて、本当の意味で自由になれる日が来る。育った環境、出会った者、今まで当たり前に受け入れていた全てに疑問を持つんだ。最も信頼している相手を警戒しろ。今いるこの場所だって、本当は──」

『縺医>縺』


 乞いも抵抗もせず、最後の瞬間まで一人の少年の幸福を願った翼徒。

 彼女が天使として言葉を紡げたのは、ここまでだった。

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