邂逅:ジェイド

『私から情報を聞き出したとて無駄だ! 終焉はもう目の前にある!』

『我々は辿り着いた。邪悪を増幅させるための仕組みは、既にこの地に用意されていたのだ!』

『神聖を尊び、誤った歴史に踊らされている貴様らでは決して真実に辿り着けない! 本当に見るべきものに気付かない! あんなもの、初めからこの世界に必要なかったのだ!』

『指を咥えて見ているがいい! 間違った分岐をしたこの世界が終わる瞬間をッ!』


 確定した未来を語っているような口振り。まるで演説のような狂言。昨夜の殺傷事件で捕まった女からの聴取を終え、ジェイド・グレードは尋問室を後にした。

 あれから邪教の調査は予想を遥かに超える早さで進展した。王都内で連日続く窃盗、誘拐、そして殺人。そのいずれもが根底では邪教に繋がっており、捕らえた犯人は嬉々として自分達の活動内容とその素晴らしさを語ってみせた。

 拷問するまでもなく全てを自白する信者達。仲間を売っているとしか思えない情報量。それでいて、一様に勝ち誇った態度を崩さずにいる横柄さ。

 そうした教徒の振る舞いにより、敵組織の規模や目的、そして今朝には本拠地までもが判明した。今まで姿を隠していたのが嘘のように明らかになっていく組織の全容に、誰もが困惑しつつも事件の早期収束を確信した。

 既に邪教の中核は解散しており、残党が好き勝手に暴れているだけの状態。そう考えるのが自然な程に、邪教徒の犯行はどれも散発的で自暴自棄に見えるものだった。


(拠点は割れた。じきに後援組織の尻尾も掴めるだろう。大規模な掃討作戦を実施すれば、王国内に潜む危険因子を一掃できる。しかし──)


『もう終わるんだよ、この世界は』

『俺達はもう隠れない。耐え忍ばない。儀式の準備は既に整いつつある』


(くそッ……)


 蘇るのはあの日、ジェイド・グレードが再起した日の記憶。今も狂気に呑まれて自我を失ったままになっている、一人目に捕らえた信者の言葉。

 着実に敵を追い詰めているのに、考え得る最速で物事が進んでいるのに、それでも及ばない。何か取り返しのつかない事が自分の認知しない場所で起ころうとしている。そんな悪い予感が思考の至る所に絡み付き、根拠の無い焦りを生む。


(掴まされているだけだ、情報は。邪教がここまで全てをなげうっているという事は、何か大きく状況を動かす算段がついているに違いない。まさか本当に、邪神を召喚する事が可能なのか……?)


 このまま順当に痕跡を辿っているようでは致命的な何かに間に合わないのではないか。そう強く訴えている自分の本能に従い、外に出る。

 冷えた空気が停滞する朝の貴族区。普段と何も変わらない日常の風景が、今は不思議と焦燥を煽った。


(何か、何か手を打たなければ。だが……どうやって?)


 どれもこれもが直感の域を出ない、根拠の無い空想だ。誰に説明したところで理解は得られないだろう。しかし自分の力のみで調査するには王都は広く、限られた時間の中で出来る事など知れている。

 袋小路の思考。調査が進んでも、足が前に進んでいない感覚。言いようのない不安。

 じきに敵拠点への突入作戦が始まるが、とてもではないがそれをただ待つ気にはならなかった。


(足踏みしている暇は無い。事件のあった場所をもう一度調べて──ッ!?)


 視界に、体勢に違和感。

 焦りと緊張によって正常な感覚を失ったのか──否、世界が揺れている。


「地震……? こんな時に……いや、まさか邪教の儀式が……!?」


 それは最悪の想像。しかし有り得ない話ではなかった。今日邪神召喚の儀式を行うのであれば、信者が今朝に活動拠点を明かした事にも頷ける。実際に儀式を行う祭壇は拠点と別にあり、大量の情報をばら撒く事で調査の目を逸らそうとしていたのだろう。

 本当に邪神などという存在が召喚できるのかは別として、儀式が進行すれば地震以外の被害が出る可能性がある。急いで屋敷に人を呼びに戻ろうとしたところで、遠方に土煙が立ち昇っているのが見えた。


「あの場所は……学園……!? 不味い……っ!」


 気付けば足が前に動いていた。この時間、当然ながら学園では多くの生徒が授業を受けている。メイユールの未来を担う彼らに何かあった時、この国が受ける影響は一時的な人的被害に留まらない。

 再び地面が揺れ、地鳴りと土煙が連続で発生し始める。一定間隔で規則的に響く重低音が、この揺れが自然現象によるものではない事を物語っていた。


 学園には強力な魔力増幅効果が得られる大魔法陣がある。聖獣を呼び出したというそれを利用して邪神を召喚しようというのだろうか。

 当然、同所が邪教に狙われる可能性を考えなかった訳ではないが、大魔法陣には強力な障壁が張られている。その特性を知り尽くした内部の人間でもなければ、解除はおろか破壊すら不可能だ。

 中小規模の団体ではあまりに困難なため可能性を排除していたのだが、何か掻い潜る手立てがあったのだろうか。それとも──


(いや、何れにせよ行けば分かる。急ごう)


 またも複雑化しようとする思考を脳内から追い出し、強く石畳を蹴る。

 貴族区を抜けて建物の隙間から学園の外壁を確認した時、一際強い振動と共に放たれた白い光が王都の空を染め上げた。




    ◆ ◆ ◆




 学園の正門を固めていた騎士達の目を避け、少し回り込んだ場所の壁を跳び超えて学園内に降り立つ。

 先程まで護陣塔に攻撃を仕掛けていた赤錆色のゴーレムは、教員のものと思われる複数の大型召喚獣と戦闘を開始しており、塔は障壁こそ突破されたものの間一髪で破壊を免れていた。


(まさか正面から障壁を突破しようとは。俺も早く援護に……)


 王都内、特に王城付近は魔法障壁によって厳しい高度制限が設けられているが、召喚師学園を含む一部の施設では飛行や実験を行うためにその制限が免除されている。学園の敷地内に入った事で飛行が可能となったため、シルバーを呼び出してゴーレムの元に急行しようとしたところで──気配がした。

 或いは、悪寒。


(──ッ!? これは……っ!)


 最初に邪教徒を捕らえた際、町中に現れた気配。しかし、その前から知っている感覚のある気配。信者曰く邪神のものであるらしいは、信心を持つ者にしか察知できないという確かな狂気。


 何故このタイミングで、とは思わない。状況や邪教徒からの情報を鑑みるに、この狂気こそが邪教の活動によるものなのだろう。『終焉はもう目の前』と信者が言っていたが、今まさに邪神召喚の儀式が行われているのだとすれば全ての辻褄が合う。人間が意図的に神を降ろすなどという行動の可否は兎も角として、その企みは阻止しなければならない。


 邪悪な気配を辿りながら数歩進むと、大まかな位置を掴む事ができた。どうやら大規模な戦いが起こっている北側ではなく、人の気配が少ない西側の護陣塔付近から発せられているようだった。

 ではあのゴーレムは陽動なのか、それとも別の目的があるのか。どちらにせよ北側に学園の戦力が集中している以上、そして一部の者にしかこの気配が感じ取れない以上、適任者は自分だけだ。


「行こう。きっと、これは俺にしかできない事だ」


 シルバーを呼び出そうと思ったが、止めた。あのゴーレムによる攻撃が邪教による陽動だとすれば、それに気付いた事を相手に悟らせるべきではない。幸い西の護陣塔までの距離はそう遠くなく、木々などの遮蔽物も多い。道を選べば敵に見つかる事なく目的地に辿り着けるだろう。


 身を潜め、警戒し、駆け抜ける。程なくして護陣塔が観察できる距離にまで近付くと、既に塔の扉は開け放たれており、その内部から邪悪な気配が発せられている事が分かった。

 遠方からは悲鳴や爆発音が聞こえてくるが、護陣塔の近くは不自然な程に静かで空気が張り詰めている。元の厳かな雰囲気に今は重圧も加わり、息を切らしている訳でもないのに不思議と息苦しさがあった。


(一部とはいえ護陣塔の魔法障壁を破るか。邪教め、相当な人数の術者を抱えているようだ)


 邪神召喚は邪教の悲願だ。資金や人材の全てを今日の作戦に投じている筈であり、塔の内部では激しい戦闘が予想される。最初から幹部級の実力者と対峙する事も有り得るだろう。


 いつでも守護獣を呼び出せるよう身構えつつ塔の側面へと取り付き、正面に回り込んで中を覗き込むと──想像もしていなかった人物がそこにいた。


「なんだ君かあ。一応聞いておくけど……ここに何の用?」


 緊迫した状況に不相応な気の抜けた声。 

 おぞましい触手の怪物を従えた庶民のクラスメイトが、たった今まで何かがいたような床の痕跡を隠すように一歩進んでジェイド・グレードの前に立ち塞がった。

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