雛鳥と卵

やあやあいらっしゃい。今日はなんだか浮かない顔だね。あ、いやいや大丈夫。別に理由には興味がないから。だってそうでしょう?ちょっといつもより顔が暗いだとか、浮かない顔をしているだとか、そういう時には決まって理由を訊かれるよね。何かあったのか、何か悩んでいるのか、ってさ。でもそういうのって、ちっとも重要じゃない。大事なことを何にも分かってないよね。想像力が足りない。何にもなくたって、暗い顔をしてもいいじゃないか。それが暗い顔ってものだよ。


君のどんより顔についての話はこのへんにしといて、今日もお話を聞いていくかい?じゃあいつもの約束だ。お話を1つ聞いたら、ちゃあんとお家に帰ること。語り手というのは、聞き手と約束をしないと物語を披露できないからね。語り手とはそういう不自由な生きものなんだ。よし。それじゃあ話そうか。こほん。



今宵語りますのは、とある雛鳥の物語。卵の中から外の世界を夢見る、ひとりぼっちの雛鳥の物語。本日はこちらの不手際により、お部屋がいつもより少しばかり狭苦しくなっております故、いささか窮屈な思いをさせてしまうかもしれません。しかしご安心を!物語が終わります頃には、この部屋も広々としていることでしょう!


よし。今日の前口上も我ながら完璧だね。それじゃあいってみよう!





『雛鳥と卵』


あるところにひとりぼっちの雛鳥がいた。雛鳥と言っても、まだ生まれてはいない。その子は卵の中で、外の世界に羽ばたくことをいつもいつも夢見ていた。


けれど同時に、生まれることをとても怖がってもいた。雛鳥にとって、生まれることは卵を壊してしまうことでもあるから。なにせ卵は雛鳥にとって最初の世界、簡単に言うとお家みたいなものだからね。誰だって、初めてお家から外に出るのは怖いでしょう?それに、繰り返すようだけれど、卵というのは雛鳥が生まれる瞬間に壊れてしまうんだ。それを忘れちゃいけないよ。


雛鳥は卵の中で外の世界を夢見ていた。この子には親も友達も、知り合いと呼べるものは誰も居ない。雛鳥は卵の中にいたけれど、そのことをよく知っていた。卵の中というのは意外に外の音が聞こえてくるものだからね。


そんなこんなで雛鳥は卵の中で少しずつ大きくなり、やがて慣れ親しんだ卵を壊さなければならない時が来た。体が大きくなったから卵の中は窮屈なんだ。


鳥も人もイチイの新芽も、いつまでも子どものままではいられない。鳥はいつか空を舞う。人はいつか大人になる。新芽はいつか大きな枝葉を広げる。だから雛鳥は、卵から抜け出ようと戦いはじめた。


すくすく育った雛鳥だけれど、硬い殻を壊すのはそう簡単なことじゃない。うん?確かに雛鳥が本気で殻をつつけば壊せるかもしれないね。でも忘れちゃあいけないよ。卵は雛鳥にとって、たった一人の家族とも呼べる存在だったんだ。そう簡単に壊せやしないさ。なにせ心がずきずき痛むんだ。とってもとっても痛むんだ。1つの世界を壊すというのはそういうことさ。


それでも雛鳥は懸命に世界と戦った。小さな嘴で殻を叩き、細い脚で殻を蹴る。その度に雛鳥の心は酷く痛んだ。それでも雛鳥は卵の殻と戦い続けた。世界と戦い続けた。


そうしてある時、卵の殻にヒビが入った。卵は雛鳥を祝福し、自らの死を予感する。雛鳥はへとへとに疲れ果てていたけれど、最後の力を振り絞ってヒビに嘴を突き立てた。


卵は砕け、破片が翼に突き刺さる。1つの世界が壊れ、雛鳥は新しい世界に出会った。雛鳥はこの世に生まれ、産声をあげたんだ。それはこの上ない喜びと深い悲しみに満ちた産声だった。


でもね、これは始まりに過ぎない。雛鳥はこれから、ひとりぼっちで生きていかなきゃいけないからね。卵の外には雛鳥を守ってくれる人は誰もいない。雛鳥は卵を壊した悲しみを、ひとりぼっちで抱えなくてはならない。それでも雛鳥は、体に刺さった卵の破片と一緒に世界へ飛び立った。かつて夢見た世界へ飛び立った。



それから長くも短くもない時間が経った。それでもあの雛鳥が歳を取り、新しい卵を産み落とすには充分な時間だった。卵を産んだ雛鳥はもうすぐ力尽きるだろう。ひとりぼっちで生まれ、ひとりぼっちの命をこの世界に置いていく。あの子たちはそういう生きものだ。


老いた雛鳥は夢を見た。それは新しい卵から抜け出た雛鳥が世界へ飛び立つ夢だった。その翼にはやっぱり、卵の破片が刺さっていた。






おしまい。『雛鳥と卵』でした。ぱちぱちぱちぱち。今日のお話はどうだったかな?もし気に入ってくれたなら、君もその綺麗な翼に刺さったものを大切にね。それじゃ、ちゃあんとお家に帰るんだよ?またね。

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