5
アズベルトの姿を追って振り返ったカナは、直ぐ後ろにレオドルドが立っていた事に驚き、ビクリと肩を揺らした。
何の感情も読み取れない青い瞳に見下ろされ、身体を冷たい汗が流れていく。
寒くも無いのに震える身体が全く言う事を聞かずに、足がすくんでしまっている。
怯えるカナへレオドルドの手が伸ばされ、咄嗟にギュッと目を閉じると顔を背けた。
「魔道具だったんだな」
腕輪をはめた方の手を掬い取られてハッとした。
そう言えば、朝早く訪ねて来たゲネシスが結婚祝いにと渡してくれた時、そんなような事を言っていた気がした。
腕輪についているこの石は魔石で『想い玉』と呼ばれているから、今の二人にはぴったりだと……。
もしかすると、アズベルトがこんなにも早く来てくれたのは、この腕輪のおかげだったのかもしれない。
腕輪の存在が彼を逆上させたかもと考えたが、伺い見た瞳が怒りに燃えているのか、悲しみに暮れているのか分からなかった。
今度は反対側の腕に触れてくる。上から下から包み込むように、壊れ物を扱うかのように触れられたそこは、レオドルドに強く握られた部分だ。手の跡が赤く変色している。
「乱暴な真似をして……すまなかった……」
無感情だった青い瞳が、穏やかな柔らかい光を宿し揺れている。
「痣にならないといいが……」
「レオ……?」
その瞳が潤んでいるように見えて、カナはまるで泣いているようだと思った。それに何故だか不安を煽られる。
「レオ…———」
その時、扉の向こうから階段を駆け上がるような音が聞こえて、カナはそちらに意識を向けた。
その瞬間にレオドルドに抱き寄せられ、再び身体が拘束されてしまった。
ガチャンと大きな音が響き、続いて派手に扉が開かれる。と同時に、小さく鋭利な音が耳元で聞こえたかと思うと、カナの首筋にヒヤリと冷たい感触が押し当てられていた。
「カナ!!」
「アズ!!」
僅かに息を切らせたアズベルトの刺すような眼差しが、真っ直ぐにレオドルドへと向けられている。
その視線をカナの首筋にナイフを突きつけながら、レオドルドは柔和な笑みを浮かべて受け止めた。
アズベルトが室内へ数歩踏み込み立ち止まる。そのまま睨み合うと、しばらく沈黙が続いた。
「レオ……彼女を返してくれ」
先に沈黙を破ったのはアズベルトだった。右手には抜き身のサーベルが握られている。その柄を握る手に無意識に力が入る。
一切の隙を見せず、しかし余裕すら失ったアズベルトの姿に、レオドルドがフフっと小さく息を漏らした。
「アズベルト。君はいつから『リア』ではなく『カナ』と呼ぶようになったんだ?」
「!?」
レオドルドの指摘にアズベルトは内心冷や汗をかいていた。こんなミスをするだなんて、自分に相当余裕のない証拠だ。
弁解をするべきか、話すべきか……その判断を咄嗟に下せないまま、柔和に歪むレオドルドの美しい瞳を見つめる。
アズベルトはカナリアが幼い頃から側にいた人間の一人だ。その事はレオドルドも良く分かっている。
『カナリア』、『リア』、『姫』、『お姫様』
愛称は沢山あったが、『カナ』と呼んだ事など一度も無い。それが答えで、レオドルドには全てだった。
「……本当に……リアじゃないんだな……」
レオ……
カナにも聞こえるか聞こえないかくらいの声で零れたその呟きに、レオドルドを見上げる。無感情だったその瞳が悲嘆に染まり、後悔や無念さまでもがはっきり伝わってくる程だ。
カナを抱く腕に力がこもり、レオドルドの顔が耳元に寄せられる。「さよなら」と小さく聞こえたその言葉に目を開くと同時に、カナの身体を拘束していた腕が解かれ、その背をそっと押してくる。
最後に見たレオドルドの表情が、カナの心に引っ掛かる。何かを覚悟したような、諦めたかのような、そんな表情だった。
「カナ!!」
アズベルトの大きくて硬い胸の中へと飛び込んだ。力強く抱き締められ、彼の首に腕を回してしがみつくように抱きついた。
いつもの温かさと匂いに安堵すると同時に涙が溢れてくる。感謝を伝えたかったし、言いたい事だって沢山あった筈なのに、子供のように嗚咽しか出てこなかった。
「無事で良かった……」
カナの身体を締め付ける腕が強くなり、本当に心配してくれていたのが伝わって、余計に涙が止まらなかった。
「カナリアでないなら、その女に用は無い」
冷たく言い放つレオドルドに、アズベルトは再び視線を向けた。窓の方に身体を向けた彼の表情を窺い知る事は叶わなかったが、彼の肩が小さく震えていたのを、アズベルトは見逃さなかった。
先程の彼の言動からも、おそらくカナが秘密を話したのだと推察された。
到底信じられるようなものでは無かっただろう。思慮深いレオドルドは半信半疑だった筈だ。
そこでアズベルトが『カナ』と呼んでしまった事で、嘘のような事実を肯定し追い討ちになったのだ。
もしもカナの考え通りなら……カナリアに対する想いが自分と同じものだったのなら……。
これだけの事をしてまでカナリアを手に入れようとしたのだ。……どれ程ショックだっただろうか。
彼はもう罰を受けた
「……もう間も無く私の部下達が来る」
それだけ言い残しサーベルを収めると、アズベルトはカナを抱き抱えその場を後にした。
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