水に流せば、見なくていい。

芽春

月刊⬛︎⬛︎寄稿用、下書き

以下は●●精神病院に入院しているA氏から聞き取った内容を、当記者が文字に起こし、纏めたものである。


ええ、ええ。先生にはただの心因性の幻覚だと思われたみたいですけどね。

私にはあの出来事がそうだったとはとても思えないんですよ。

そうですか、信じてもらえますか。いや、ありがとうございます。

実を言えば誰かにこの思いを共有して欲しいのですよ。

といってもどこから話したものですかね……ああ、そうだ。

まずは私の悪癖について話し始めないといけません。

記者さん、貴方は目を逸らしたい出来事に直面した時どうしますか?

なるほど、眠って明日の自分に託す。いえ、馬鹿にしたい訳じゃあ

有りませんよ、少なくとも私のやり方に比べればずっと素晴らしい。

……私は、実家のトイレに流してしまうんですよ、その原因となった物をね。

例えばテストで悪い点を取ってしまったら答案を丸めて水に流してしまうのです。

そうしてしまうと目の前、いや、この世界から消えてしまったような気がしてきて、とても楽になるんですよ。きっかけは、ある日塾から帰った時の事でした。

私はその日体調を崩していて、小テストで赤点を取ってしまったばかりか、母の作った弁当を残してしまったのです。父は厳しい人で、どんな理由があれ点数を落としたら耳障りな怒鳴り声で説教をしてきました。母もまた、礼儀やルールと言ったものに厳しく、残った弁当を見れば、自分がどんな思いで弁当を作ったか、それを残す事は人として許されないなどとネチネチ言うでしょうね。そんな事が察せられるものですから、酷く憂鬱な気分で家に戻りました。ああ、そして私はリビングで両親の怒鳴り合う声を聞きました。彼らは、私が帰ってきたことすら気づかない程に、夫婦喧嘩を白熱させていました。もし、そんな状況で私が罪を告白したとしたら、彼らの怒りの矛先はいっぺんに私を向くでしょう。

……私は、とりあえずほとぼりが冷めるのを待とうと、トイレに籠りました。

そこで自分が犯した罪の証拠であるテスト用紙と残飯を眺めていると、思いついたのですよ。この証拠さえ処分すれば、私は災難から逃れる事ができるはずだと。だから私は、テスト用紙に残飯を包んで、便器に放り込みました。

そして祈りながらレバーを引くと、ゴポゴポと音をたて、あっけない程簡単に流れていきました。その後、私は父には「テストは無かった」と嘘をつき、母には空っぽの弁当箱を差し出して災難を逃れたのでした。それから私はこと有るごとにそれをしました。酔って荒れる父の酒を流し、母が現実から逃げる為に飲む薬を流し、苦痛に耐えかねた私の涙も。全てをあそこで水に流しました。

…………そう、そしてあの日、私はアレに出会ったのです。

あの日はどうにも寝苦しい真夏の夜で、うっかり眠りから覚めた私は水でも飲もうと寝室を出ました。そしたら、聞こえたんです。ゴポゴポという水音が。

私は夫婦の寝室を覗き、両親がトイレを使用していない事を確信しました。

じゃあ、あの音はなんなのか?あれは間違いなく我が家のトイレが流れる音です。

私が聞き違える訳が有りません。だから、辞めておけば良かったのに、私は音の正体を確かめる事にしました。階段を降りると、私は思わず鼻を手で覆いました。一階が耐え難い悪臭で満ちていたんですよ、何かが腐った酸っぱい臭いに汚物とアルコールの臭いが混じったような感じでしたね。私は勇気を振り絞り、トイレのドアノブを捻りました。そこに、便器の前に!居たんだよ!アレが!あんなのが幻な訳が無いでしょう!?

(A氏が著しく取り乱した為、数分の小休憩を挟む)

ハア……すいません、どうしてもあの夜の感覚が離れなくて。アイツを人形に作っていたモノ達は私にとって見覚えのあるものばかりでした。私が目を逸らし、捨ててきた過去の遺物が一纏めになっているのです。その上汚物と水を纏い、ヌラヌラと光っているのですからとても直視できたものではありません。

私が腰を抜かすと、アイツはじっとこちらを見つめていました。あいつは汚いモノの塊だから眼球なんて無いのに、不思議とそう分かるのですよ。私はただ俯き、目をそらし続けました。でも、私の首にヌメっとした感触がしてきて、私はようやく半狂乱となって叫び、アイツの腕を振りほどき逃げました。私の記憶では自室に逃げ帰ったはずなんですけど、私の叫び声で通報されやってきた救急隊員は、私が便器の前で気絶している所を見つけたようですね。


……ねえ、記者さん。これ、本当の話なんですよ、ほら首のここ見てくださいよ、締め跡が有るでしょう?医者は私の手型だから自分で締めたのだろうと言いましたけどそんなはず無いんですよ、それに今もあの水音が聞こえますし何よりそこにいるじゃないですかアイツがアイツ、アイツは私の影になってるんですよ、今もそこでニタニタ笑ってるのが見える、ねえ貴方も見えますよね?


見えませんか、そうですか。


(インタビュー終了)


2023年7月16日追記


A氏が病院内のトイレで溺死体となって発見された。

現場の状況からして、自殺の可能性が極めて高いそうだ。

結局、彼の語った事が真実だったのかは分からないままである。



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