第4話 バスケットボール部

 同窓会のあった日から一か月くらいが経った時のことだった。モデル校としても、脚光を浴び始めて、雑誌や新聞の取材も増えてきて、

「そのうち、テレビも来るんじゃないか?」

 と言われるようになっていた。

 教育委員会への不満もあったが、モデル校としての立場がよくなってくると、あまり教育委員会に対して不満を漏らす人はいなくなった。それどころか、

「最初は胡散臭いと思っていたけど、教育委員会の言った通り、モデル校になれば、ちゃんとお金も降りるし、評判になって、取材も来るしで、悪いことばかりではない。むしろ、彼らの言っていた通りのいい方に向かっているではないか?」

 といわれるようになった。

 すっかり、不満は解消されたかの如くで、学校側も、何とか留飲を下げていたところであった。

 二年目になってくると、最初は文武合わせて、五つしか部活はなかったが、取材に来るのが分かると、部を作ろうという生徒が徐々に増えてきた。それは、これまで様子見で、すぐに部活に協力しなかった保護者たちが、取材が増えたことで、今度は、

「部活をやらせる方がいい」

 ということになり、積極的に動くようになってきた。

 何しろ大人の、しかも、子供の教育ということにかけては、尋常な感情を持たない保護者が多いことで、行動を始めれば、後は早かった。

 生徒の思いというよりも、部活をやらせることで、自分たちをはじめとして、メリットしかないと思うのだから、行動が速いのは当たり前だ。

 生徒の方では、あっという間に部員を五人以上集めてくる。先生の方では、そんな情報は入ってこないのだから、

「部を作りたいんです」

 と生徒が言ってきても寝耳に水で、何ら準備もしていない。

 まずは、

「部活ができるだけの環境が整っているか?」

 つまりは、グラウンドや教室など、使用できる場所があるのかどうかの問題から始まる。

 そして、その部活で必要な道具を洗い出し、モノがなければ、購入への予算も組まなければいけない。

 そして、顧問の選定と、さらに、部活を続けていくうえで、いくらくらいの予算が必要かなどということを、学校に申請して、認可を受けなければならない。

 中学、高校などでは、元々存在している部活に、部員が増えるだけなので、別に当事者だけの問題なのだが、中学高校でも、新しく部活を始めるとなると、そう簡単にはいかないだろう。数か月は最低かかるものであろうし、それを考えると、小学生の部活という、新たな試みで、しかも、一気に部が増えるとなると、交通整理をする人も必要になってくる。

 一気にすべての部活をスタートさせることは不可能で、優先順位も必要になってくるだろう。

 そうなると、生徒の中でも代表者を募り、学校と話をする人が必要になってくる。

 そこで本当は保護者に介入されるのは困るのだが、保護者側も黙っているはずもなく、

「生徒だけで、先生たちと話をするというのも無理な話なので、、私たち保護者も、代表を募って、話ができる、そう、三者会談のようなものを作ればいいと思いますので、それを提案いたします」

 と言ってきたのだ。

 確かに、ここで保護者が出てきてくれると、交通整理に一役買ってくれるかも知れない。

 こういう時に保護者は団結する。それがいい意味での団結であれば、学校側としても、ありがたいことではないだろうか。

 学校の施設は学校側で、購入するための道具の洗い出しなどは、保護者の会の方でやってもらうという、分業制にすることで、余計なトラブルを抱えないで済むような気がした。しかし、施設の問題と、道具の問題は、まったく関係のないものではないので、調整が進むにつれて、どこかで衝突が起きないとも限らない。

 そのことを、自覚していないと、お互いに衝突してしまった時、自分たちの主張を繰り広げるだけで、話は前に進まないことだろう。

 そう考えると、この間にも誰か調整役の人が必要で、その人が、その部活の顧問ということにすればいいと思うのだった。

 結成から携わっているので、いきなり顧問と言われても、戸惑う人もいるだろう。そういう意味で、聖羅先生の場合は、最初からあったものに対しての顧問なので、少し大変だったかも知れない。

 女子バスケットボールでは、六人の生徒がまず申請してきた。小学校の体育館には、一応バスケットのゴールはついていて、設備を整える必要はなかった。ボールだけは、購入する必要があったが、それも、何とかなりそうだった。

 六人であれば、練習も十分にできる。三対三での試合形式にもできる。

 そういう意味では、必要以上な場所がなくとも、活動ができるという意味で、学校側も簡単に許可が出せたのだった。

「勉強に支障がなければ、部活を行ってもかまわない」

 ということで、許可が下りた女子バスケット部で、問題は顧問だったが、顧問の先生となったのは、既婚者だった前任者だった。

 彼女は、

「私はいずれ、子供を産むことになるので、その時は産休を取りますので、その時に彼女たちの顧問を臨時でもいいので、引き受けてもらえる人を確保できるのであれば、顧問に応じてもかまいませんよ」

 ということでの、条件付きで承諾したのだった。

 学校側も何とかなると踏んでいたので、彼女の条件を飲む形で、女子バスケット部の活動が始まった。

 まだ、その頃は、部活の数もそれほどでもなく、体育館を十分に使用することができた。そのうちに、バレー部、新体操部、バトン部、ハンドボール部などが、体育館でひしめくようになっていったが、最初は、ほぼ練習の妨げになることはなかった。

 その状態を最初に見ていたので、学校側もさほど大変だとは思わなかった。しかし、体育館の限られた場所での練習は、いくら、場所をそんなに使わないとはいえ、気を遣うものだった。

 特にボールを使っていると、まわりに気を遣わざる負えず、相手も、気にすることで、思った以上の練習ができなかった。

 本来なら、伸び伸び行うはずの練習で、却ってストレスが溜まってしまうと、学校の成績にも影響を及ぼすというもので、最初に申請の時に約した、

「勉強に支障がなければ」

 という部分で、部活の存続が危ぶまれた。

 これは、女子バスケットボール部に限ったことではなく、部活全体の問題だった。

 時に、体育館での部活に限り顕著だったことで、その原因がどこにあるのか、先生たちもその探求をせざるおえない状況に追い込まれた。

 ちょうどそんな時、前任の顧問が懐妊した。そのことで、

「次の臨時顧問の選定」

 という問題が出てきたのだ。

 当てにしている聖羅先生は、まだ一年目で、すぐに顧問としては、その荷が重すぎるということであった。

 とりあえず、前任者には、顧問として君臨してもらい、副顧問として、聖羅先生を置くことで、スムーズな顧問の引継ぎを狙ったのだ。

「顧問の内部昇格」

 という形であれば、まわりからも何も言われることもないし、聖羅先生も副顧問としてのノウハウを持っての顧問就任となるので、おぜん立ては出来上がっているというものである。

 実際に副顧問をやっていると、顧問のやり方が見えてきた。自分も学生時代にやっていた経験があるので、今度は初めて指導者の目でみると、

「なるほど、こういう視点なんだ」

 ということが分かってきて、実際にやってみると、楽しかった。

 自分では、副顧問というよりも、コーチ就任の感覚だった。

 自分が選手だった頃についてくれていたコーチのことを思い出していた。

 そのコーチは学校の先生ではなく、学校のOGで、卒業後に、社会人団体からスカウトされ、社会人実業団チームの一員として、全国大会にも何度も出ているという、有名選手でもあった。

 途中、ケガなどもあり、引退を余儀なくされたが、その後、

「後進の指導を行いたい」

 という希望を持ったことで、母校のコーチとして、またバスケットにかかわることを選択したのだった。

「さすがは、元有名選手」

 というだけの厳しさを持っていた。

「ただ、バスケットボールを楽しくやりたいだけ」

 と思っている生徒には厳しすぎたのか、退部する人も後を絶えなかったた。

 それでも、部員はある程度はいて、辞めていった分の人が、入部してくることで、人数的に少ないと感じたことは一度もなかった。

 学年もまんべんなくいたので、礼儀の方もしっかり身に着けることができた。これもコーチのコーチの指導のたまものであった。

 そんな子―chを思い出しながら、聖羅は生徒の指導を行った。

 そのコーチは自分たちのことをよく把握してくれていた。それはバスケットだけではなく、プライベートなことを相談できるくらいによく見てくれていたのだ。

「学校の先生でもなかなか分かってくれないことを、コーチは分かってくれる。まるでm本当の教師のようだよな」

 と皆、そう思っていた。

 だから、聖羅は、自分が教師であるということからも、あの時のコーチ以上に、生徒のことを分かってあげる必要があると思った。

 バスケットにおける指導はもちろんのこと、今後、中学、高校と進学しても、バスケットボールを続けていたいと思うような生徒を一人でもたくさん作っておきたいという気持ちが強かったのだ。

 何しろ、まだ、小学生で、完全な発展途上なのだ。

 中学に進学して、本格的にバスケットを始めてもらうための、一種のステップのようなものだと考えると、聖羅先生は気が楽になるのだった。

 だから、小学生では、あくまでも基礎を学ぶということに終始していこうと思っていた。試合形式であっても、楽しんでできるようなものを考えていたのだ。

 聖羅はそのために、スポーツ全般から、バスケットにかかわる内容の書かれた本を、いろいろと読み漁っていた。

 スポーツ科学という観点の本も何冊か読むことで、生徒の発育とスポーツの関係を勉強もできて、自分が先生であるということを、再認識できたのだった。

 そこで聖羅先生がもう一つ考えたのが、

「自分の母校での、バスケット指導の見学」

 ということだった。

 小学校には、許可をもらった。

 許可を得るのは部活の発案者で、一番熱心な部活指導者でもある教頭先生だったので、

「授業のカリキュラムに支障をきたさないようであれば」

 という条件で、許可は出た。

 最初は高校時代の母校に、見学の許可を得ようと思ったが、ちょうど、インターハイ前で、選手もコーチや監督と密接にならなければいけない状況であり、張り詰めた状況では、見学であっても、おぼつかないと思えたが、ダメ元でお願いしてみたが、やはり想像していた通り、

「申し訳ないけど、また次回にしてくれればありがたい」

 ということで、丁重に断られたのだ。

 もちろん、分かっていたことだったので、文句は言えない。

 逆に、受け入れてくれるようであれば、

「今回のインターハイも大したことはない」

 と思わないわけにもいかないレベルだっただけに、断られて、安心したくらいであった。

 そこで、次にお願いに行ったのは、自分が卒業した中学校だった。

 そこで初めて、自分はバスケットボールと知り合った。

 あれは、二年生の頃だっただろうか。練習している中学のバスケット部を漠然と見ていたが、どうにもじれったく見えてきた。

「あれなら、私の方が上手かも知れない」

 と感じたが、口に出すことは憚ったのだ。

 そのため、じれったさも手伝って、最初は漠然と見ていたはずなのに、次第に手に汗を握るような緊迫感が自分の中にあることに気が付いた。自然と自分も一緒に練習をしているような感覚に陥ったのだ、

 視線は練習にくぎ付けになり、部員たちも自然とこちらの視線に気づいてきた。

 そして、部員の数人が、聖羅の方を訝しそうに見つめているのを、聖羅の方でも、その視線を次第に熱く感じるようになっていった。

 相手の視線は挑戦的だった。訝しいというよりも、攻撃的な視線に、聖羅の方からもそれにこたえる視線を浴びせたのだ。

 これは、ただの訝しがる視線を浴びせられたのであれば、聖羅の方もそんな挑発的な視線を返すことはなかった。お互いに火花が飛び散るような視線であったが、決して、睨みつけているような雰囲気ではなかった。

 それに気づいた顧問の先生は、聖羅に対して、優しく話しかけてきた。

 その時の先生は、聖羅をなだめるだけのつもりだったのかも知れない。

「どうしたんですか? 練習がそんなに気になるんですか?」

 と先生がそういうと、

「ええ、見ていると、まるで自分の身体が勝手に動いているような気がするんです」

 というと、

「じゃあ、あなたも、バスケットやってみませんか? 身体が勝手に動くような気がするというのは、無意識にやってみたいと思っているからなんじゃないですか?」

 と言われて、初めて、

「その通りかも知れない」

 と思うと、考えがまとまる前に、

「はい」

 と返事をしていた。

 もちろん、最初から入部の意思があったわけではない、ただ、今までやったことのなかったバスケットボールというものに、興味があったんだということに、初めて気づいた気がしたのだった。

「じゃあ、最初は、そこからシュートをしてみてください」

 と言われたので、両手でボールを持って、肘を上げる形で、前に押し出すようにゴールめがけてボールを離したつもりだったが、実際には、まったく届いていなかった。

 それを見て、数人の部員が、噴き出したようだ。

 普段なら、面白くないと思うのだろうが、何しろ初めてのことでもあるし、先ほど見ていて歯がゆく感じた自分に対し、恥ずかしいという思いも入り混じり、複雑な心境になっていた。

 思わず、苦笑いをした聖羅に対し、部員たちも、

「さすがにまずい」

 と思ったのか、バツの悪そうな表情になり、皆、苦笑いに包まれていた。

 この時、初めて部員と、心の交流ができたような気がした。きっと初めて、

「バスケットをやってみたい」

 と感じた時なのだろう。

 先生が、

「今度は、こうやって、ボールを持って、シュートしてみてください」

 と言われてやってみた。

 その腕の遣い方は。確かにテレビなどで見た覚えのあるシュートの打ち方だったのだ。自分がさっきやった打ち方は、完全に素人のやり方だったのだ。

 実際にやってみると、ゴールは決まらなかったが、ほとんど思ったところに打てるようだった。

 先生は、

「ゴールが決まるまで、何度でも繰り返していいわよ」

 と言われたので、先生の言う通りのやり方で何度か挑戦していると、五回目くらいでやっとゴールすることができた。

 他の部員は、ゴールがキッチリと決まった聖羅を見て、まるで自分のことのように喜び、歓喜と称賛を浴びせてくれた。

 それは、嫌味などまったくなく、ついさっき、視線で挑発しあった仲だということを感じさせないほどであった。

 そこに、友情が生まれ、

「バスケットボール部に入部したい」

 と感じたのだ。

 正式な入部はそれから一週間ほどしてのことだったが、皆、歓迎してくれた。聖羅は最初こそ、へたくそで、ボール拾いやパスの練習といったことばかりであったが、それでもよかった。

「いずれ、シュート練習ができるようになれば、それまでの練習の成果が認められたということだろうから、今は焦ることなく、言われたことに邁進していればいいんだ」

 と思うのだった。

 練習が終われば、他の部員も優しく接してくれて、

「今はつらいかも知れないけど、実際に皆と同じ練習に加わることができるようになると、それまで見えていなかったものが見えてくるわよ」

 と、先輩が教えてくれた。

 それを聞いていた他の部員も、何も言わず、

「うんうん」

 と頷いている。

 どうやら、彼女たちも自分が新入部員の時に、同じことを言われたのではないだろうかと感じたのだ。

 バスケットの練習というと、やはり、シュートに絡む練習が一番楽しい。だからこそ、最初の時にやらせてくれたのが、シュートだったのだろう。

 それに比べれば、他の練習はきついだけだった。

 特にバスケットというと、オフェンスだけではなく、ディフェンスも大事な仕事だ。他のスポーツのように、守備と攻撃の人間が別というわけではなく、バスケットの場合は、同じ人間が、瞬時にして、攻撃から守備に変わったり、守備から攻撃に変わったりしなければいけない。

 また、バスケットというのは、

「秒を争う競技」

 と言ってもいいだろう。

 決められた時間の中で、いかにタイムを使うかというのも作戦であったり、さらには、秒にまつわるルールも多い。

「何十秒以内に、ボールを取ってから敵陣に入らなければいけない」

 とか、

「何十秒以内に、シュートまでいかなければいけない」

 などというルールが存在する。

 サッカーやラグビーのような屋外の広大なコートではない分、秒を争うルールが多いのだろう。

 したがって、バスケットというのは、他のスポーツに比べて、俊敏性が求められる、すぐに攻守交替するのもそうであるし、機敏に動かないと、相手の守備を抜くことができないということもあって、フェイントなども大きな武器になったりするのだ。

 そのために、重要なのが、

「下半身の強化」

 である。

 下半身を強化することで、俊敏性も増し、シュートの精度も上がってくる。

 守備に囲まれながらシュートを打つのだから、ゴール下の練習のように、狙いすましてゴールを狙うようなことは基本的にはできない。動きの中で、相手にボールを奪われないようにしながらシュートを放つか、パスを受けて、瞬時にシュートを放つかしかないだろう。

 しかも、シュートが決まってから、そこでプレイが中断するわけではない。ゴールのネットから落ちてきたボールを奪ってすぐに、攻撃に転じるのだ。

 バスケットは、一本で二点、三点という点数が入るので、三桁の点数が入ることも珍しくはない。それだけに目が離せないスポーツでもあるし、見ていて楽しいのかも知れない。

 アメリカでは、野球、アメフトなどと並んで、三大プロスポーツの一つである。しかも、夏の間は野球のプロとして、冬では、バスケットだったり、アメフトのプロとして活躍している選手も少なくない。

 実際に、高校、大学ではすべてのスポーツをやっていて、すべてに秀でていることで、将来、それぞれのスポーツでドラフトに掛かる選手もいるだろう。

 きっと、そのための、オールラウンドプレイヤー用の契約形式も確立されているのかも知れない。

 いろいろなスポーツを見てきたつもりの聖羅先生であったが、一番のスポーツはやはり自分がやっていたバスケットだと思っている。

 練習もきつく、スポーツマンシップというものに関しても、かなり厳しかった。

 それは、当時のコーチが実業団のチームで身に着けた感覚だったに違いない。

 自分も今、同じ立場なのだと思っているが、実際には相手が中学生と、小学生で違うのだ。

 しかも、小学生では部活と言っても、対外試合ができるというわけでもなく、あくまでも練習しかできない。そんな子供に、教えることは限られてるが、できるだけスポーツマンシップくらいは教えてあげたいと思っていた。

 中には、中学に入っても、バスケットを続けたいと思っている人もいるだろう。

 もし、小学校での部活の延長が、中学の部活のようなものだと思うと、それは大間違いである。

 中学のバスケット部からすれば、小学生の部活などは、遊びの延長でしかない。

「中学の部活も、こんなものだ」

 と思って入部すれば、まったく期待外れで、せっかく入部したのに、すぐにやめてしまいかねないだろう。

 そんなことになってしまっては、せっかく小学校で部活をしている意味がまったくないというものだ。だから、せめて、小学生に対してでも、少しは厳しさというものを教えておく必要がある。

 それを、保護者や教育委員会から、

「行き過ぎだ」

 と言われるかも知れないが、それはしょうがないことだと思うようになっていた。

 教育委員会は、あくまでも、保護者から何か言ってこなければ動かない。だから、保護者だけを気にしていればいいだけだった。

 バスケットボールというのは、基本的に、

「スポーツは誰にでも平等だ」

 と言われるが、肉体的に決定的な差別がある。

 それは身長の問題で、やはり背が高い選手は、同じ運動能力であれば、重宝されることだろう。

 ボクシングなどでは、ライト級、フェザー級などと言って、体重により階級が違うスポーツもある、

 しかし、ボクシングなどは、厳正な計量測定が試合前にあるので、過激な原料を重ねて、それにパスしなければ、試合が組まれていても、実施されることはない。計量が終わって、少ししてからの試合となるので、計量にパスしたからと言って、いきなり食事をたくさん摂るということはできない。

 したがって、試合は栄養が十分に足りない中で行われることになる。これも、どうかと思うのだが、一応は公平だと言えるのだろう。

 それでも、他のスポーツなどでも、明らかに身体的に違う相手であっても、戦わなければならないものもある。

 相撲などはそうであるが、大相撲などを見ていると、小兵の力士が、大きな力士を倒すことがよくある、それだけ小回りが利いて、技が鋭ければ、相手を倒すことができるのである。

 決まり手の中には。

「猫だまし」

 のような、いきなり相手の出鼻をくじいて、戦意を一気に喪失させるものもあり、その一瞬の隙をついて、相手を倒すということも、相撲の醍醐味でもあるのだ。

 バスケットでも、小兵が、ちょこまかと動き回り、ゴール下にいるエースにうまくパスをすることで、得点を挙げることもよくある。

 自分が得点を挙げるわけではないが、立派なアシストである。

 そういうアシストに徹するような選手が、本当のプロではないかと思い、そういう選手をたくさん育てたいと、どこのコーチも思っていることだろう。

 生来背が高く、シュートセンスに長けている選手は、スカウトが見つけてきてくれる。入部してその実力を引き出してあげられるのが、コーチとしての本懐だと言えるのではないだろうか。

 実際にプレイをしていると、背が高い選手は、動きが鈍い。しかし、それも無理もないことかも知れない。

 狭いコートで、小柄な選手が、縦横無尽に立ち振る舞っているところに、身体の大きな選手が、機敏に動くとなると、もし、小兵とぶつかったりすれば、普通のケガでは済まない場合もある、

 本人はそのつもりはなくとも、相手にわざと突進したと見られかねなくて、そうなってしまうと、出場停止処分を受けたり、懲戒処分の対象にでもなれば、下手をすると、選手生命の危機に陥ることにだってなりかねない。そう考えると、身体の大きな選手が機敏に動きまわらない理由も分かる気がする。

 だからこそ、小兵が活躍するのだ。

 チームによっては、身体の大きな選手にボールを集めるという表の作戦とは別に、裏では、

「身体の大きな選手を囮にして、小兵がドリブルで、シュートを決める」

 という作戦を取っているところも少なくないだろう。

 だから、この作戦は、身体の大きい選手に知られてはいけない。

「敵を欺くには、まず味方から」

 ということであろうか?

 ただ、この作戦は、味方を欺くということで、あまり関心できる作戦ではない。

 しかし、聖羅先生の中学の時のコーチは、この作戦が好きなようだった。背が高い選手を、

「あなたが、エースよ」

 とばかりにおだてあげて、実際にはピエロにしていたのだから、その選手は、コーチにとっての、

「傀儡」

 でしかなかったのではないかと思うと、思い出しただけでも、気分が悪くなってきた。

 その選手は、高校ではもうバスケットはしなかった。

 当然あの身体なので、バスケットやバレー部から強引なほどの誘いを受ける。争奪戦だって繰り広げられていたくらいだ。

 だが、彼女は、そのどちらにも入部しようとは思わなかった。入部したのは、茶道部だった。

「私は、これからは、女磨きをしていきたいの」

 と言っていた。

 それはまるで中学の時に、自分をピエロとして使ったコーチへの当てつけのような気持ちだったに違いない。

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