第3話 モデル校

 聖羅は、それからしばらくは、自分との葛藤の中で教師という仕事を続けていた。

 仕事の内容は、相変わらずであったが、少しでも成長しようと思い、部活の顧問も積極的にこなし、なるべく、生徒との時間を取ろうと思うようになっていた。

 部活の顧問としては、バスケットボール部の女子の方を受け持つことになった。

 高校時代、バスケットをやっていたので、ちょうど、女子バスケの顧問の先生が産休を取るということで、空いてしまった穴を、聖羅が埋めることになったのだ。

 この学校は、小学校から、部活制度を取り入れていて、大会に出場というわけにはいかないが、放課後の一時間だけ、部活のような形でできるような配慮があった。

 これは、自治体としても、モデルケースとして、

「もし、この試みがうまくいけば、他の学校でもできるようになるかも知れないですよね。そのうちに全国に広がれば、大会も小学生からできるようになりますからね」

 ということであった。

 この部活に対しては、賛否両論があった。

「子供の発展途上の肉体には、まだ部活のような運動は時期尚早だ」

 という意見もあれば、

「今のうちから、身体をならしておけば、成長期において、無理することなく、発育ができるというものだ」

 という意見もある。

 発案者である教頭先生は、

「どちらの意見ももっともだと思いますので、小学校の間は、あくまでも、身体をならすというのが一番の目的で、成績や学校の名誉などという邪推は、この際捨てていただいて、生徒の発育に貢献できるような部活をお願いいたしたい」

 ということを言っていた。

 保護者からも、賛否両論があり、実際に部活を始めるまでは、結構な抵抗があった。

 しかし、教頭の考えは強く、しかも、しっかりと下準備をしてのことだったので、反対意見は、次第に薄れていった。

「あくまでも、お試し期間という感覚でよろしいですね?」

 という保護者の念を押した言い方に、

「ええ、そう思っていただいて結構です。我々の方も、中学、高校のように、先生が顧問となって、指導していくことにします。あくまでも部活というよりも、教育の一環ということですね」

 と教頭がいうと、

「最近、ビルやマンションがたくさん建ってきているので、子供が遊ぶ場所も減ってきているんですよ。変なところで遊ばせるのも危険だし、学校の方で、ちゃんと責任をもって見ていただけるのであれば、それに越したことはありません」

 ということで、保護者の方の反対も少なくなっていった。

「生徒の安全を守るのが一番で、その次が教育としての部活だということは、我々も心得るようにいたします」

 と教頭がいうと、

「ええ、まずその前提が一番大切ですからね。中学に入ると、年数的に少ないし、三年生になると、高校受験のために、部活というわけにもいかなくなる。高校に入れば、大学を目指す人は一年生から、大学受験を目指して勉強しますからね。本当に部活をできるというのは、限られた時間だけなんですよ」

 と、保護者の代表がいう。

 そんなこんなで、部活を行うことは、保護者からも承認を得た。

 ただ、部活を行う上で、いろいろな規則も設けた。

 まず、部活は強制ではないということ。やりたい人がやりたい部に入部するという形を取り、辞めたい時は、その自由を誰も束縛はできないというもの。つまりは、参加も脱退も自由だということである。

 団体競技などでは、簡単に脱退を許すと、他の部員に迷惑が掛かるということで難色を示した人もいたが、

「別に大会への出場が掛かっていて、人数が絶対に必要というわけではない。参加退会は自由だというのだから、部員の募集も別に妨げるということもない。部員が足りなければ募集するのも、自由だ」

 ということで、この考えもそれ以降反対する人はいなかった。

 活動範囲も基本的には学校の内部で行う。練習試合などを行う場合は、必ず学校の許可と、保護者の許可を必要とする。満場一致でなければ、学校外での活動は禁止だということになった。

 つまりは、練習のためのランニングだと言って、学校の外で行うことも基本的には禁止だということだ。

 また、部活は、学校行事に限らず、家庭の事情であっても、そちらを優先させることというのが、決まりとなった、

 家族で食事ということであっても、家族が賛成しなければ、部活を優先することはできない。家庭の事情を優先させるのも、保護者との間でのもめた時、決めたものだった。

 したがって、部活を定期的に開催する場合は、基本的に、毎回、保護者の許可がいるということだ。考えてみればまだ小学生。中学生であっても高校生であっても、未成年である限り、必ず何かをする時は、法定代理人である家族の同意が必要なのだ。

 しかも、小学生の場合は、同意だけではダメで、代理してもらう必要があるものが相当数あると言ってもいいだろう。

 小学校での部活というのは、最初に考えていたよりも、想像以上に難しいことのようだ。

 ここまで保護者に歩み寄ってしまうと、小学生というのは、学校とすれば、非常に扱いにくいものだということになってくる。

 必ず、バックには保護者がいて、保護者の立場はかなり重たい。

 法定代理人である以上、それは当たり前のことであり、学校はむやみに、それらへの強制力はないものだった。

 学校で授業をしている時は、先生は親よりも立場的には強いのだが、こと部活となると、学校が行わなければいけないことではないので、それを行おうとすると、当然保護者や、他の利害関係者が問題になってくる。

 生徒と先生の関係が、学校ではどのようになっているのか、保護者も分かっていない。保護者の中には、

「うちの子は、学校側に洗脳されやしないかしら?」

 と思っている保護者もいるかも知れない。

 小学生の親というと、まだまだ過保護であり、中には、

「子供は親のいうことを聞くのが当たり前」

 と平然と考えている人もいるだろう。

 学校が生徒を洗脳するというのは、実に行き過ぎた考えであるが、生徒の親とすれば、学校に子供を取られるのではないと思うと、気が気ではないだろう。

 特に、この学校の高学年の先生は、まだ若い人が多く、ほとんどの先生がまだ未婚であった。

 親の方からすれば、

「子供もいないのに、いくら学校とはいえ、親の代わりなんか、できるわけはない」

 と思っていることだろう。

 そんな保護者に対して、先生たちはどうすることもできない。抗うこともできないわけなので、先生たちに文句をつけられると、どうしようもなくなってしまうのだ。

 教頭先生に頼るしかないというのが、実情である。

 教頭先生は、年齢としては、四十歳代後半くらいであろうか。家に帰れば、中学生の息子が一人と、小学六年生の娘が一人いる。勉強に関しては何も言わないが、勉強以外のことには、どうしても口出しをしてしまいたくなる。

 母親が、教頭の奥さんの割には、子供たちを放任主義で育てていて、学校のことは、たまに、

「最近、学校はどう?」

 と聞く程度で、それ以上何も言おうとしない。

 それだけ子供たちを信頼しているのであろうが、今の学校がどのような状態になっているのかということを分かっていないようだった。

 だが、それを母親が知ったからと言ってどうなのだろうか?

 教頭は、なるべく家庭に仕事のことを持ち込みたくはないという信念を持っていた。教頭は自分が子供の頃、父親が仕事のことを家庭に持ち帰ってしまい、しょっちゅう喧嘩をしていて、みっともないと思っているのだから、余計に仕事を家庭に持ち込みたくないという気持ちになるのも、無理もないことであろう。

 その分、教頭は学校内で、改革的なことを行うことが多かった。

 ちょうど、自分が教頭をしている小学校は、自分の前任者であった前の教頭が、教育委員会に引っ張られたことで、教育委員会とのパイプも深かった。

 そのこともあってか、学校側がやりたいと思っていることも、教育委員会側の提案に対して答えるのも、この学校が利用されることも多かった。

 一種のモデル校のようなイメージで、その分、教育委員会から、テスト学校としての協力金ももらえるし、モデル校としては、いい宣伝にもなっている。だから、この小学校がモデル校であるということは、結構な人が知っていたのだ。

 知らなかったのは、この学校に関係はあるが、モデル校としての宣伝にかかわっていない人が多かったのだ。

 この小学校の部活というのは、何も運動系ばかりではない。文科系のサークルのような部活も結構あり、こちらの方が、運動系の部活よりも多いくらいだった。

 小学生で、英会話のサークルがあったり、囲碁将棋と言った、高年齢の人が楽しみがちなことでも、サークルとして存在していた。

 ここは、中学、高校における部活と同じ決め事なのだが、

「部は、部員が五人になった時点で、申請方式で部活として、部室も与えられるが、五人を割り込むと、部としては解散となる」

 ということにしていた。

 五人を割って部から降格しても、

「また募集して五人を超えれば、申請して部に戻ることができる」

 というもので、この時の申請から部活が再開できるまでは、かなり簡易な手続きで行えれることができるのだった。

「どうしても、女性教師は文科系の部活の顧問をしたがるものだけど、スポーツで、女子が分かれていたり、女子が基本の協議には、女性の教師が顧問になるのが基本である」

 という決まりもあった。

 いくら小学生でも、女子の協議を男子がというところに抵抗があるようだ。

 ただ、この規則は学校側から出たものではなく、保護者からの意見だった。

 しかし、それも、保護者の一人が最初に強硬に言い出したもので、保護者側でも、別にかまわないのではないか」

 という意見もあり、この件に関しては、結構もめたようだった。

 そういう意味で、聖羅先生が女子バスケットの顧問になったのも、いいタイミングであり、もし、このまま顧問が保留のままで決まらなければ、当然のことながら、部からの降格ということになってしまっていたことだろう。

 スポーツ系の部活では、小学生の大会も開かれているものもある。

 ただ、なかなか小学校単位で学校側が主催しての部活というのは、なかなかない。

 スポーツサークルの中でも、小学生から入れるところに所属している児童は、スポーツサークルからの参加ということで、参加ができることになっている。

 だが、スポーツサークルへの入部は、お金がかかるものであり、小学生から参加できる児童も限られているのだった。

 女子バスケットボールの小学生の部での参加は、ほとんどすべてと言っていいほど、スポーツサークルからの参加だった。

 スポーツサークルはお金をもらっているだけあって、そのレベルも結構高いところにある。

 小学生の部活レベルが太刀打ちできるものではないだろうが、実際にレベルの高さは、中学校の名門校から、優秀な生徒は引き抜かれるレベルだからであった。

 だが、小学校に部活があるところは珍しいので、保護者は、子供のためにと思い、無理にでもスポーツサークルに通わせる人もいたりする。

 お金をもらっている関係上、どうしてもレベルと結果が求められることで、スパルタのサークルも多い。

 親の中には、そんな競争主義のサークルではなく、伸び伸びやらせたい保護者もいて、学校に部活を求めている母親も少なくはなかったようだ。

 そのおかげで、当初は学校側と賛否両論において、何度か会議の場が持たれたが、基本的には、保護者は頭ごなしの反対はなかった。

 むしろ、

「しっかりと、学校で管理してくれるのであれば、ありがたいくらいだ」

 というほどだったのだ。

 実際に、部活の決行が決まってしまうと、運営が固まるまでは結構早く、活動開始までには、さらに短かったのだ。

 これらの部活動が始まったのは、今から五年ほど前のことで、吉塚が在学中のことだった。

 一つ問題があったのは、中学、高校などと違って、施設的に充実していないところであった。

 基本的には、小学校の体育で習うものしか、学校にはなかった。そのため、どこから調達してくるかということが問題になってくるが、ここはひとつ、教育委員会に部活を始めるということを正直に話し、その活動を容認してもらうことと、必要なものを、教育委員会を通して手に入れられるようになるというのも、必要なことであった。

 教育委員会は、その交換条件に、モデル校という提案をしてきた。

「モデル校になれば、お金も出るし、必要なものは揃えてもらえる。用具などは、その時に手に入るであろうから、問題はないのではないか? しかも、学校の宣伝にもなるしね」

 ということを提言してきた。

「なるほど、それはお互いに願ったり叶ったりですね」

 ということで、学校側の思惑と、教育委員会の思惑が一致したのだ。

 必要なものは手に入れられたが、教育委員会からも、いくつかの提言があった。

 しかし、それは、そのほとんどが、保護者との会議の時に解決していたものだったので、時間の余分にかかることではなかった。

 実際に部活を始められるようになるまで、半年もかからなかったのではないだろうか。

 元々部活を考えていたのは、現教頭というよりも、教育委員会に引っ張られた、元共用の方の意向が強く、具体的な発想とすれば、現教頭の方が強いというだけもことであった。

 それだけ、教育委員会も、

「小学校での部活」

 ということには興味を持っているようで、ひょっとすると、

「モデル校」

 という発想も、先に部活の発想があり、後からとってつけたようなことになったのではないだろうか。

 ただ、部活で使える用具のほとんどは、中古だった。

 中学校や高校に声を掛けて、買い替えたもので、まだ使用できるものなどを、引き取るという形で手に入ったもので、さすがに、大会を目指して頑張っている部活にはできないことだが、モデル校としてくらいであれば、何ら問題のあることではなかった。

 ボールなどの消耗品は、どちらにしても、いずれは買い替えなければいけないのだから、そのつなぎとしてはありがたかった。

 消耗品以外でも、元々は使用可能なものばかりだったので、少々は持つはずである。それを思えば、すぐにでも使えるものが、簡単にただで手に入ったのだから、実にありがたいことだった。

 部活の顧問たちを決めるのには、結構時間がかかったようだ。

「顧問くらいは、すぐにでも決まるだろう」

 と思っていた教頭は、この時だけ、先を見誤っていたようだった。

 特に、女子だけの部については、生徒の方で、部員を五人以上連れてきた以上、学校側で勝手に、部に昇格できないとはいえなかった。

 いろいろなルールを決めておいた学校側が、学校の都合で、

「できない」

 ということは難しいからだった。

 生徒が集めてきた人数が集まっても、それはあくまでも部として昇格できるだけの人数であって、競技に必要な人数ではない。競技によっては、十人以上いないといけないスポーツもあり、サッカーなどは十一人必要である。

 控えのメンバーも含めると、果たしてどれだけいるのかが問題なのだが、今のところ控えを気にする必要はない。

 なぜなら、彼らは試合をするわけではないので、控えを考える必要などないのだった。

 競技人数ギリギリでもいいのに、たった、五人しかいなければ、練習にもならないスポーツもあるだろう。そんな生徒たちに、

「活動ができないのであれば、サークル活動は休止するしかない」

 と、果たして言えるだろうか?

 一応、学校でも問題になったが、そこは、

「部活のそれぞれの事情を考慮して、その判断を行うのは、顧問の先生に一任する」

 ということに決まったのだ。

 そのせいで、部活の顧問の、それからの責任はさらに重たくなった。

「それぞれの部活の事情」

 ということにして、学校側が明らかに決めなければいけないことを、部活の顧問に一任しようというのは、相当なものである。

 ただ、全体的なことであると判断したら、学校側でその議題に対して会議を開いて、協議するということにもしておいて、それぞれ両面から決めていくということで、それぞれの立場を重視して事に当たるようにしたのだった。

 そんな状況において、いよいよ学校側の方で真剣に運営が始まったのが、吉塚が六年生の頃だった。

「俺たちは、もうすぐ卒業だしな」

 ということで、最初の一年くらいは、部活と言っても、わずかしかなかった。

 しかし、翌年くらいから徐々に増えてきて、最初の一年は、運動系が、四団体で、文化系が、三団体にすぎなかったので、顧問も、その数だけしかいらなかった。

 しかし、次の年から、倍以上になったので、教員の半分くらいは、どこかの部活の顧問をしなければいけなくなったくらいだ。

 正直、学校側が部活を奨励しているからと言って、先生たちも手放しに喜んでいるわけではない、むしろ、

「俺たちがどうして、こんな活動に参加しなければいけないんだ?」

 と思っていた。

 ただでさえ、文部省のカリキュラムも大変なのに、今までのゆとりなどという体制から、脱するというのが、今の教育現場なのに、それをわざわざ忙しくするということに、

「何の意味があるのか?」

 とほとんどの教師が思っていた。

 しかし、学校の上層部としては、

「部活に精を出してくれると、苛めの目を断ち切ることができて、小学校から始まっていると言われる苛めの発生を抑えることができる」

 と思っていたのだ。

 苛めを抑えることができれば、学校でも、苛めに対しての時間を割くこともなく、他のことに専念できるだろう。そうすれば、部活の時間で割いた分以上に、時間を空けることができるのではないだろうか。

 もちろん、理想なのかも知れないが、それでも学校で推し進めていくことが、いずれ芽を咲かすことになると思っていることを、一人でもたくさんの先生に感じてほしいと、教頭は思っていたのだ。

 だからこそ、元教頭の考えている、

「モデル校」

 という発想を受け入れたのだ。

「モデル校になって、世間の注目を集めれば、自分たちも注目を集めている学校の教師として、鼻高々となれるぞ」

 と教頭は言っているが、若い連中に理想論を語ったり、先のことを話しても、なかなか受け入れてもらえない。若い連中は、それだけ目の前のことで手一杯だということなのだろう。

「俺たちの学校がモデル校だなんて言ったって、それがどうしたっていうんだよな。教頭のやつ、何を考えていやがるんだ? あれじゃあ、教育委員会の回し者だと思われてもしかたないじゃないか」

 と、若手の先生たちは、そう考えていたが、この考えは半分は当たっていた。

 見た目には、学校側と教育委員会側、どちらにもいいことのように思え、部活のことまで考えると、学校側の方がさらに有利な気がするが、ところがどっこい、そうは問屋が卸さない。

 教育委員会のような団体が、いくら自分たちもいい条件になると言って、学校側がここまで得をする条件に乗ってくるわけはない。

 教育委員会としては、ぜひともモデル校として、成功してもらわなければ困るのだが、その後も、ずっとこの小学校を利用し続けようと画策していた。

 一度、引き受けさせると、後はなし崩し的に、

「あの時承認してやったろう? お前たちだって、かなり甘い汁を吸ったはずだ。だから、今回も頼むよ」

 と言われてしまうと、最初の時の恩義があるので、学校側も断れない。

 何しろ、最初に手を結んだ相手が教育委員会というのは、相手が悪い。

 一度食いつかれてしまうと、なかなか逃がしてはくれない相手だということに、教頭尾さすがに気づくのが遅れた。

 今のところはまだ何も教育委員会から言ってきていないが、最近になって、教育委員会の態度が変わってきていた。

 今までは。。

「モデル校として、教育というものに多大な功績のあった学校」

 ということで、他の学校に対しても、

「あの学校を手本にすればいい」

 などと言っていたのだが、最近では、何も言わなくなった。

 むしろ、いい話題が起こりそうになったところ、いつまで経っても話題が膨れ上がってこないことを不思議に感じた教頭が、極秘に調べてみると、

「どうやら、教育委員会の一部の連中が、裏に手を回して、おたくの小学校の話題が上がらないように、途中で遮断しているようなんだよ」

 と、いう話を聞いた。

「それは一体どんな団体なんですか?」

 というと、

「例のモデル校を推進していた連中ですね。まるで、この学校が目立つのを敬遠しているかのような様子ですね」

 というではないか。

 なるほど、その人に言われてみるとそんな感じがした。しかし、お互いに得をするといういい話だったはずなのに、なぜ教育委員会は、自分たちの学校を今度は目立たないようにしようというのだろうか?

 それを彼に聞いてみると、

「これはおそらくだけど、一つは、お前の学校をモデル校として売り込ませたことで、これからもそれをネタに、いろいろと教育委員会のために、動く組織の駒にされかねないということさ、一度は乗ってしまったのだから、教育委員会には逆らえない。睨まれると、味方になってくれないだろう? 何かあった時、教育委員会を敵に回すと、もし、保護者団体と一緒になって攻めてくると、小学校の一つや二つ、ひとたまりもないんじゃないか?」

 と言われた。

 聞いていて、背筋がゾッとしたくらいだ。言われてみれば確かにそうである。教頭の中には、

「教育委員会は、いろいろ言われていても、最後は教育に対して真摯であり、学校側の味方になってくれる」

 などと思っていた。

 しかし、世の中そんなに甘いものではない、教育委員会というのは、しょせん役所のようなものであり、そこに利権とカネが絡めば、豹変してしまうのは当たり前のことだ。

 教育委員会に対して、甘く見ていた自分に後悔したが、もうどうなるものでもなかった。後は、教育委員会に逆らわずに、何とかその場をしのいでいくかということが問題なのであった。

「ところで、他にもあるのかい?」

 と聞くと、

「そうだな、きっと、教育委員会というところは、カネが入ると、もっともっと欲しくなるところなんだろうな。第二第三のモデル校を作って、そこも自分たちの操り人形にして、カネを貪ろうとしているのかも知れないな」

 というではないか。

 そのためには、最初に餌食となった自分たちを黙らせておく必要があるのだと、教頭は思った。

 自分たちが下手に表に出ると、モデル校の果てがどうなっているのかを、悟られてしまうと、せっかくの計画が水の泡だ。目の前にぶら下がっているカネをどんなことがあっても、奪取するということに必死になるだろう。

 カネというものは、手に入るはずのものを見す見す取り逃がすと、その後はお金に見放されてしまうのではないかという疑心暗鬼に囚われてしまう。

 悪いことを考えている連中ほど、その疑心暗鬼が強く、怯えからか、強硬なことをしてしまいがちになってしまうと言えるだろう。

「モデル校なんて、幻影でしかないんだ」

 と思うと情けなかった。

 聞こえはいいが、教育委員会の傀儡であり、やつらに弱みを握られたものが待つ末路だと言ってもいいだろう。

 しかし、そのことがなんとなくでも分かってくれば、

「こうなったら、利用されながらでも、こっちも利用できることを考えるしかないではないか」

 と考えるようになった。

「目には目を歯には歯を」

 相手はまさか、こっちが感づいているなど思ってもいないだろう。

 それをいいことに、

「こっちも逆利用してやろう」

 という、ささやかな抵抗とでも言ってもいい。

 どこまで抵抗できるか分からないが、相手の策略が分かった以上、必要以上に相手の口車に乗ることはないのだ。

「こちらばかりがバカを見るなんて、これが教育現場の真実だと思うと、情けなく思えるが、こうなったら、臨戦態勢で、教育委員会に一泡吹かせるくらいのことを考えてもいいだろう」

 と考える学校も今後出てくるだろう。

 そうなった時、こちらはどのような対応をすればいいのか、考えておく必要がある。とにかく、今は、自分たちの立場を把握しておくことが大切であった。

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