最終章 1986年~再会

 ① 告白


 人は自分に都合の悪いことは忘れていくように出来ているのかもしれない。

 あの事件はなかったことにされた。

 集団ヒステリーの一種――という訳の分からないものでまとめられたのだ。

 直己、肇、洋はケガをしていたものの、命に別状はなかった。

 もちろん、僕も死ななかった。

 ただ、直己たちだけではなく、当事者の洋、そしてなぜか明子にも記憶がなくなっていたのだ。

 記憶があった僕と和也がまず疑われた。

 いたずらではないか――と。

 警察では僕らの証言を現実的に考えたようで、通り魔説で捜査が行われた。当たり前だが、犯人なんて捕まるはずがない。

 『僕と和也が犯人』説も立証できず、結局行き着いた結論が――集団ノイローゼであった。

 和也はなんとかしようとあがいた。

 それはあの夏の日の贖罪を果たすかのように――。

 しかし僕は諦めてしまっていた。

 大人の『嘘つき』と決め付けた目を見るのがもう嫌だったから――。

 だから和也を止めた。

 あの時の和也の淋しそうな顔――それをさせたのが僕であった。

 それがなにより辛かった。

 だから僕の記憶は全てを封印するように忘れていったのかもしれない――。

 幸い、和也との交流は、それで切れることはなかった。

 そのつきあいの中で、一度だけあの夜のことを話したことがあった。

 化け蜘蛛は僕を追ってきたが、線路の上で動かなくなったそうだ。

 突然現れた貨物列車が化け蜘蛛を粉々に砕いたという。

 明子はその光景に気を失って倒れた。

 後で聞いたことだが、貨物列車の運転手も、突然前方に何かが現れたという証言はしていたのだ。

 だが、周囲の捜索には何も引っ掛からなかった。

 それもそうであろう。

 和也が言うには――プラモデルのように粉砕した――である。

 そんな破片は探そうと思ってもみつかるわけがない。

 それさえも僕らのいたずらの一つにされてしまったくらいだ。

 傷をなめあうような付き合いであったが、僕にはありがたかった。

 大人の影響か、周りの子どもたちまでもが冷たかったから――。

 幸い、僕は学年が変わる前に引っ越すことになった。

 奇異と蔑みの視線から逃れることが出来たのだ。

 だが、残る和也が心配であった。

「大丈夫さ」

 引っ越す前の週に会った時、、和也はそう言って笑っていた。

 和也と会ったその流れで、僕は洋を訪ねた。

 そう、僕は今まで忘れていたが、事件後、疎遠になっていた洋と顔を合わせた唯一の機会であった。

 つまり、洋と会った最後が、その時ということになる。

 彼は図書室に入り浸るようになったと、和也から聞いた。

 図書館にはまばらにしか人がいなかった。

 そんな中、窓際の席に一人、本を山のように重ね、熱心に読みふける洋を見つけた。

 洋は僕らに気付くと立ち上がった。

 アゴにはあの時の傷跡がしっかりと残っていた。

 それには直視できない後ろめたさがあった。

 やあ――と洋は笑顔で僕らを迎え入れた。

 何か違和感を感じつつも、引っ越すことになった報告をした。

「寂しくなるよ」

「手紙を書いて」

 洋は頷いた。

 それが普通であるように感じた。

 実際に二度ほど、彼とは手紙のやり取りをしている。はっきりとは覚えていないが、他愛もないあいさつ程度のものだったと思う。

 キレイで落ち着いた字なんだと、初めて知ったものだ。

「最近、図書室にいるんだってね」

「調べ物があって――」

 彼が普通だったから、僕は普通に訊いた。

 彼の机には昆虫図鑑が何冊か載っていた。

 全て同じ昆虫のページが開かれていた。

 蜘蛛――であった。

 僕は和也を見た。彼もそこに目を奪われていた。

 知ってるかい――と洋が僕らの視線に気付き、こう言った。

「蜘蛛って害虫を食べる、いわゆる益虫なんだって」

 僕らは返事が出来なかった。

 僕の喉は緊張で張り付いたかのように声が出なかった。

「畑を荒らしたり、悪い病気を運ぶ虫を捕食してくれるんだ。良いやつだよね、蜘蛛って」

「僕は嫌いだ――」

 和也が言った。僕も同じ気持ちだった。

 洋は薄く笑うと続けた。

「地球に対しての害虫って人間じゃないかな――って僕は最近思ってるんだ」

 え――と僕の口が形づくった。

「そんな人間に対する『蜘蛛』っているのかな?」

 洋は机の上から本を一冊取った。

 それは図鑑ではなかった。

「団塊の世代って僕たちの親のことらしいよ。人口が多いって書いてあったんだ」

 洋が開いたページには、グラフが人口の推移を示していた。

 彼の指は一番高い所を差している。

「で、その人たちが子どもを作るとやっぱり人口は増えるよね」

「何が言いたいんだ?」

「その中で一番多いのが僕らの下の下――明子の学年に当たる」

「人口が多い――ってこと?」

 洋は考えると、首を横に振った。

「人口というより、子どもの数かな――」

 確かに洋の言葉は正しい。

 学校がもう一つ出来る話は聞いている。僕らが六年になる時に学区内を分けるらしい。この学校では一クラス減るが、地域全体で見れば、決して少なくなったわけではない。

「昔、神隠しっていうのがあったんだって」

「子どもが行方不明になる事件のことでしょ」

「僕らのパパやママが子どもの頃にもまだあったらしい。今の比じゃないくらいにね」

 僕は洋の真意が掴めずにいた。

「本当は今の世もそのくらいあってもよかったはずなんじゃないかな――」

「なんで、そう思うの?」

「テレビの発達による情報の伝播が子どもやその親を警戒させるようになったから、今は少ないのだろう――って考えてさ。例えば、都市伝説みたいに――」

 洋は五年生とは思えない言葉で説明した。

「ま――、僕らには関係ないけどね」

 と洋は笑った。

 そうだね――と僕と和也は空笑いをした。

 その後、僕はいつ洋と別れたか、和也と別れたか、思い出せない。

 いつしか一人になっていた。

 ずっと考え事をしていた。

 洋が言いたかったこと――それを僕は最悪な状況で思い描いている。

 あの化け蜘蛛の存在意義――それは僕ら人間が地球に対して〈悪〉だという図式にはまり込むことを意味していた。

 それは自分の否定にも他ならない。

 だから僕はそれ以降、考えないようにした。

 忘れるようにしたのだ。

 引越しの時にも、和也に会った。

 彼もその後、中学一年の時に引っ越すこととなる。その頃まで、僕らは手紙のやりとりを続けた。しかし、それ以降は年齢的なものもあり、手紙のやりとり自体が恥ずかしく、彼との親交もなくなっていった。

 だから洋がどういう人間になったのか――現地からの情報がなかった。

 以前は和也からの情報があったから、洋からの手紙も開けていた。

 洋が普通だということを聞いていたから――。

 今は一切分からない。

 洋が突然手紙をくれた理由も分からない。

 だから、何かが恐ろしくて、開けられないのだ。

 

 ② 正体


 机に放り出した手紙を眺めて時間が過ぎていた。

 いつしか雨は強まり、日も落ちた曇天の空は夜の装いとなっていた。

 僕は立ち上がると電気をつけた。

 窓ガラスに僕が映る。

 立ったついでに机に手を伸ばし、手紙を取る。

 僕はその勢いで封筒を開けた――その手が止まってしまった。

 便箋の一部が茶色く変色している。

 僕はそれを血が乾いたものだと気が付いた。

 何事かあったに違いないのだ。

 封筒を閉じて、それを知らなかったことにして過ごせるほど、僕は強くはない。

 僕は便箋を取り出していた。

 幸い、血は外側のみで折った紙同士をくっつきあうということはなかった。

 無造作に折られた紙を広げる。

「こんなにも慌てて――」

 洋の緊急事態さを言葉に出すことで、僕は自分の緊張をほぐそうとした。

 その努力も無駄に終わる。

 ある一行に僕の動悸は警鐘を打つかのように激しく高まった。

『僕たちは妹を助けるべきではなかった』

 何でこんなことを――と僕は絶句していた。

 何があったか知らないが、彼にここまで思わせた原因がこの文章にある気がした。

 だから僕は目を手紙に戻した。

『君にこの手紙は届いたであろうか。届いて欲しい。一人でも多く、あの時のことを知るメンバーにこのことを伝えたかった。和也くんとだけは連絡がつかない。頼りになるのは君と和也くんだけなのに。』

 あの時のことを知る――洋は思い出したのであろうか。

 それとも当時、記憶をなくしているふりをしていたのか。

 その一行からは知る由もなかった。

 ただ、行き場のない不安感が手紙に潜んでいるようであった。

 現実が崩壊しそうな落ち着きのなさに包まれたまま、僕は続きを読んだ。

『僕の気がついた真実を告げられるのは今は君しかいない。

 僕たちは妹を助けるべきではなかったのだ。

 あれはあの時に殺されていた方が幸せだったのだ。

 いや、僕たちにとっても』

 ここで一枚目は終わっていた。

 二枚目をめくり、僕は息が止まりそうになった。

『明子に殺される』

 殴り書きであったが、かろうじて読めた。

 どういうことだ――と僕は手紙から目を逸らした。だが視点は定まらず、何も目に入らなかった。

 明子がなぜ洋を殺す――その疑問を僕の頭は考えようとしなかった。

 その時であった.

 電話のベルが鳴った。

 しばらく耳を澄ませていたが、誰も出ない。

 ベルは止まらない。

 僕は階下へ急いだ。

 駆け足でついた勢いで、僕は躊躇なく受話器を取った。

「晃一くん、久しぶり。和也です。急だけどテレビをつけられるかい?」

 もしもし――に対して飛び出してきたのは、こんな矢継ぎ早の言葉であった。

 数年ぶりの親友の声だが、懐かしさを抱くよりも先に、さっきの手紙のこともあったため、テレビをつけた。

 ワイドショーがやっていた。

 『謎の事件? 連続死傷事件!』と隅の白い文字が目に入った。

「何だ、これ――」

 見たことのない風景が画面には映し出されているが、僕の鼓動は警鐘のように激しく打っていた。

「杜の都は恐怖の一夜を過ごしています」

 レポーターがゆっくりと言った。

 僕は画面から目を離さないまま、電話へと戻った。

「見たかい?」

「どういうこと?」

「六年前の事件が尾を引いてる――」

 和也の一言がテレビにリンクする。

 画面は見たことのある風景に変わった。

 第一の事件と称して映ったのは、洋の家であった。

 『明子に殺される』

 僕は目眩がして倒れそうになった。

 話しているのが、テレビなのか、和也なのか分からなくなっていた。

 そこでの事件の被害者は幸いケガで済み、命に別状はなかったが、入院した情報が頭に残った。

 洋は無事か――僕はほっとした。

 耳に届く和也の声が認識できてきた。

「大丈夫かい?」

 僕は頷いて、和也に続きを促した。

 画面は同じ市内で起こった殺人事件の場所を映し出していた。

「肇と直己は、残念ながら亡くなったらしい」

 平屋の田舎らしい建物はどちらかの家なのだろう。

 彼らとはあの時の付き合いだけだ。

 感傷に浸るには浅いものであった。

「この事件――南下してきている」

 和也は推測によって得た危険性を知らせるため、僕に電話してきたという。

「僕の所より君の方が北寄りだ。注意した方がいい」

「何だと思う?」

 僕は単刀直入に訊いた。

 和也は言い澱んだ。

 だが、沈黙には六年前の化け蜘蛛の関与が含まれているように感じた。

 僕は洋からの手紙を和也に話した。

 明子が化け蜘蛛として目覚め、洋を襲い、他のメンバーを手に掛けながら迫っている――僕の推理に和也は手放しで納得をしてくれなかった。

 何かが引っ掛かってるんだよな――と。

 何故か、僕も同感であった。

 それが何かは分からなかった。

「晃一くん、今日そっちへ行こうと思うんだが、構わないかい? 夜遅くなるけど――」

 それは願ったり叶ったりであった。

 正体不明の何かによる身の危険が迫っている時、和也の力はかけがえのない戦力であった。

 三時間後、駅で会う約束を取り付け、僕は電話を切った。

 雨を吸ったままの制服を着替えるため、僕は部屋に戻ろうとした。

 テレビが騒がしくなっていた。

『重症で入院中の女子中学生が姿を消しました』

 女性レポーターが興奮気味に伝えている。

 女子中学生――?

 ケガをしたのは洋ではない――?

 どういうことだ――?

 僕の頭の中と同じく、脈絡がなくなってきたテレビに見切りをつけて僕は二階へ向かった。

 僕は六年前の事件の発端をひっくり返してみた。

 まず、化け蜘蛛に狙われていたのは、本当に明子なのか――?

 そもそも一番初めに遭遇したのは洋である。

 明子は洋がいる時に見ていただけではなかろうか。

 ならば、洋の部屋の雨どいに多く足跡が残っていたのも説明がつく。

 監視されていたのは――化け蜘蛛に目をつけられていたのは――洋なのだ。

 何のために――?

 それは分からないが、目的は達せられたのではなかろうか。

 そう、あのジュース工場で――。

 あの時、化け蜘蛛は洋に何かをしていた。

 その後の彼女の動きの鈍さや脆さはそれを終えたから――。

 では、何を――?

 僕の頭は恐ろしい推測をし始めていた。

 あの化け蜘蛛は後継者を探していた。

 そして洋に目をつけ、工場でそれは受け継がれた。

「ということは、化け蜘蛛として目覚めたのは、明子ではなく、洋――か」

 僕は部屋に戻ると、もう一度手紙を持った。

 この推測から判断すると、明子は兄の洋の変化に気付き、自ら始末しようとしたのではなかろうか。

 それで逆に返り討ちにあった。

 抜け出したのは、化物となった兄を追うためか――。

 もし、洋があの事件の犯人ならここを知っている――。

 洋はここへ来る――。

 僕は背筋に暗い重みを感じた。

 雨は止んでいない――だが、静かであった。

 僕は迂闊だった。

 手紙に気をとられていたせいだ。

 いくら雨が降っているからとはいえ、これほど部屋が真っ暗になるはずがない。

 何かが窓を塞いでいたのだ。

 僕の目が窓へ移った。


 蜘蛛――


 窓を覆っているのは蜘蛛だ。

 だが、大きさが人ほどもある。

 あの化け蜘蛛のように中途半端ではない、完全な蜘蛛のシルエットだ。

 ただ――


 顔が人のままであった。

 面影がある。

 アゴの下に傷が見えた。

「洋――」

 僕はつぶやいていた。

 僕が気付くのを待っていたかのように、蜘蛛が動いた。

 アゴが大きく割れ、蜘蛛の口となって大きく開いた。

 洋らしさは――消えた。

 僕は洋を助けるべきではなかったのかもしれない――。

 そんな後悔の中、窓ガラスが割れるのを他人事のように聞いた。


(了)

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