桃に流されて

渡貫とゐち

漂流者たち


 その日は快晴だった。

 良い洗濯日和ね、と上機嫌で家を出た女性が、川で洗濯をしていると――視線の先から大きな桃が現れた。その桃は川に流され、目の前を通り過ぎていく…………、


「え、なにあれっっ!?!?」


 彼女は洗濯ものを放り投げ、距離が離れてしまった桃を追いかける。桃は段々と速度が早くなっていき、気づけば彼女の足ではもう追いつけない距離まで流されてしまっていた。

 開いた距離をじっと見つめる。

 ……もう諦めるしかないのか……と両手を膝につけた彼女は、しかし諦めなかった。


「まだよ」


 川は直線ではない。曲がったり、大回りしたり――なので彼女がショートカットをすれば、まだ追いつける。

 靴を脱ぎ、川の隣を走る。段差を飛び越え、蛇行する桃と比べ、彼女は障害物を乗り越えているので直線で走っている。やがて、離された距離を詰めることに成功した。


 桃と並走している――、このまま桃に飛びつけば、捕まえることができる!


「今よ!」


 タイミングを見計らい、桃に飛びついた――無事に、両腕で抱きしめるように、桃を確保することができた。……できたが、大きな桃なので、流されているこの状況からどう陸へ上げるのか……、彼女にはその手段がなかった……。


「あ。ちょ、これ、ど、どうしよ……」


 このままでは桃と一緒に終着駅まで流されてしまうだろう……、現時点で、かなり家から離れてしまっている。……このまま果てまで流されてしまえば……帰れない。

 洗濯をしにきただけなのだ、一人旅を謳歌する準備なんてしていない!!


「ど、どど、どうしよ!?!?」


 あたふたしても解決しない。

 時間が解決してくれる、わけがない……、逆に悪化の一途を辿る。

 加速する川の流れは、彼女をあっという間に別の地方へ流してしまった。



 川を流れていたのが、気づけば海に出ていたらしく……、流れ着いたのは無人島だった。

 鬼ヶ島じゃないの? とちょっとガッカリしたものだ。

 鬼ヶ島だったら鬼がいるから……助けを求めることができる。助けてくれるかどうかは別としても、誰かが傍にいてくれるだけで安心するというものだ……たとえ相手が鬼でも。


 相手が鬼でも嬉しくて涙が出る。

 私の目にも涙、と言えた。


 体感ではあっという間だったが、かなり時間が経っていたらしい……だからか、ぐう、とお腹が鳴った。食べ物ぉ!! と本能が訴えている。

 ……目の前には大きな桃である。

 食べてくださいと言わんばかりのこの食糧に手を……口をつけないのは愚行だ。


 そもそもどうしてこの桃を追いかけたのか。

 珍しいから、もあるが、食べたかったのだ。

 大きさと美味しさが比例するとも限らないけど……。


「い、いただきまーす」


 大きな桃に、勢い良くかぶりつく。大きいが、中はそこまで詰まっていないようだった。

 噛んですぐに先が見えた。一口で穴が空き――ゾッとした。


 内側から、こっちを見ている『なにか』がいたのだ。


「す、すっぱ……っ!?」


 誰かいるし酸っぱいしで、感情がぐちゃぐちゃである。

 彼女が酸っぱさに舌を慣らしている間に、穴から手が伸び、自力で桃を割って、中から出てきたのは――――裸の少年だった。


 そこそこ大きい。

 既に成長している。

 彼は名乗った。


「初めまして。僕は桃たろうと言います」

「…………」

「桃の中に放り込んだ僕の親がそう名付けたようです」

「ああそう……」

「ところであなたは、どうして苦虫を嚙み潰したような顔をしているので?」


 口の中は酸っぱいはずだが……?


「……私は桃が食べたかったのよ、あなたが出てきて欲しかったわけじゃない」

「そうですか。それは残念でした、大きな桃に飛びついたあなたのミスですね」


「うるさいわね……いいから、早く服を着て。年下のあんたの裸なんてなんとも思わないけど、だからって目の前にその姿でいられることを良しとするわけじゃないの。落ちている葉っぱで隠したら?」

「では、そうしましょう」


 桃たろう……は、落ちている大きな葉っぱを体に巻き付け、まるで風呂上りのようになっていた。

 胸まで隠す必要はないけれど……、葉っぱが大きいから仕方ないのか。


「……ねえ、ここ、どこかしら」

「さあ? 無人島でしょうね」

「……帰り方、分かる?」

「分かりませんよ、桃の中にいたので外の様子も分からなかったですから。来た道をただ戻ればいい、って簡単なことも実行できないわけですし」


 単純に考えればそうなのだが、来た道を戻る……この広大な海を?

 既にどの方角からやってきたのかも分かっていない。

 元々、方向音痴である彼女でなくとも、この状況では帰れないだろう……。


「……どうしよう……しかも、お腹も空いたし……」

「僕もです。この桃、全部食べてもいいですか?」

「……まあ、いいわよ。酸っぱいけど」

「時間を置けば甘くなるんでしょうかね?」

「腐るだけじゃない?」


 酸っぱい桃を二人で分け合って……、それから一時間。

 満たされない空腹に堪えながら、体力の消耗を避けるために、日陰で休む二人。


 脱出の手段がなければ帰る方角も分からない……、歩けばどこかの町に着く陸と違って、海は……意識していないでいるとぐるぐると同じところを回っていた、なんて可能性もある。

 仮にイカダがあったところで、航海術がなければ出発するべきではない。


「――あっ、あれ! もしかして――船ですか!? やったっ、助けがきましたよ!!」

「助け……? いや、そんなわけないでしょ……救難信号さえ送ってないのに……」


 はしゃぐ桃たろうだが、怪しさ満点の登場人物に、彼女は訝しむ。

 段々と近づいてくるのは、ボロボロのイカダだ。

 だが、修繕すれば船として機能する程度の破損具合だった。


「ん? 既に漂流者がいたのか」

「助けてください!! お腹が空いて倒れてしまいそうです!!」


 桃たろうが初対面の相手にすぐに土下座をして懇願した。……まあ、正しいか。ここでプライドを取って、命を捨てるのはバカがやることだ。

 脱出は、できなくともいい、なにか食べ物があれば……、そう思って恵んでもらおうとしているのだろう。


 彼女も、空腹にはさすがに堪えられなかったので、彼に倣って土下座をする。


「どうする?」

「あげてやれば? ……おいあんたら、これをあげたら、オイラたちの手伝いをしてくれるんだよな?」

「はいっ! 家来でもなんでもします! 雑用係としてこき使ってください!!」

「え、私も!?」

「当たり前でしょう!!」


 桃たろうに頭を掴まれ、無理やり下げさせられる……年上だよねえ!? そう口から出そうになったところで、放り投げられた『それ』を受け取って、空腹に負けてかぶりついた。


 きびだんごだった。


 いくら空腹とは言え、日射病に近く、憔悴した中でのきびだんごは正直なところ、辛いものがあったけれど、わがままも言っていられない。なので無理して食べる……。

 多少、胃が溜まった二人は、全身に力が戻ってくるのが分かった。


「さて、それを食ったなら、イカダの修繕を手伝ってもらうぜ――オレは猿、そしてコイツが犬だ……見ての通りだがな」

「二人旅ですか?」

「二匹旅な。キジもいたが、仲間割れしてな……あいつは今、こいつの胃の中だ」


 わん、と犬が吠えた。

 彼女はゾッとして――三歩も後退してしまう。


「冗談だっての」

「わ、笑えないわよ……ッ!」

「とにかく手伝え。早く直して陸地に帰らねえとな。こんな無人島に何日もいたら餓死しちまう。せめて、鬼ヶ島には辿り着きたいもんだぜ」



 ……結果を言えば。

 イカダが直っても彼女たちは鬼ヶ島どころか陸地にさえ辿り着けなかった。

 無人島にも戻れなかったのだ。


 あっちだこっちだ、と船頭が多いためか、あっちこっちにいってしまい、イカダは右往左往……、自分たちの居場所も分からなくなり、海の上で遭難である。

 どれだけ進んでも、目的地に着かない。

 目的地でなくともいいから着いてほしいのに――見えるのは海、海、海だ。


「…………」


 太陽の熱さで意識が朦朧としてきた彼女は、見た。

 海の上に浮かぶ、桃を。


「あ……っ、桃、桃が――食糧ッ、がッッ!!」


 手で漕いでイカダを進ませ、近づいた桃に手を伸ばすが……掴めなかった。

 まるで水面に映る月のように。

 そこにはなにもなく。


「あぁ…………あぁああああああああああああああッッ!!」


 悲鳴を上げる彼女は背後の仲間に声をかけることもしない。

 猿も犬も桃たろうも既に……。

 彼女を生かすための犠牲になっているのだから。


 漕いでも漕いでも一向に辿り着かない船旅は。

 決して、彼女が方向音痴だから、ではないだろう。



 …了

 お題「歩けど歩けど一向に着かない。どんだけ方向音痴なんだよ。」

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桃に流されて 渡貫とゐち @josho

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