第六話 ドキドキ? 同棲生活一日目

 「ようこそ、我があずま家へ!」

 ついに謎に包まれた東の、その全貌が明らかになる。

 扉を開けた先にまずあったのは廊下。右側と正面に扉があるL字型の廊下だった。

 「向かって右側の扉が洗面所とお風呂、こっちにトイレもあるっす」

 靴を脱ぎながら東が説明する。

 しかし、の目に真っ先に入ったのは、正面の扉のそばに設置されているハンガーラックだった。

 「このラックにかかっているのは……全部ジャージですか?」

 そこに並んでいたのは六、七着程のジャージ。全て全身黄色仕様である。

 「全部ジャージっすよ。違う種類の服があったらいちいち選ぶの面倒だし、何より安いっしょ?」

 「……」

 香菜は既に、東との同棲が不可能なものであるということを感じ始めていた。

 そんなことを考えていると、不意に水の流れる音が聞こえた。

 「ほら、早く手を洗って! リビングにご招待するっす」

 右側の扉が開いた状態にあり、東が石鹸を出していた。


 東家の間取りは2LDK、広さはLDKが合わせて二十五帖、二つの洋室があって東の部屋は八帖、そして空き部屋、すなわち香菜が過ごすことになろう部屋が六帖半である。

 ちなみにこのビルは東の所有物であり、購入時の価格は一億二千万円である。

 香菜がその部屋を一目見て、まず驚いたことは、圧倒的な内装のシンプルさである。

 ダイニングの真ん中にはテーブルと椅子が二脚あったが、それだけである。多くの家庭にあるようなテーブルクロス等の装飾品、及びその他一切のものはテーブルに置かれていなかった。

 それからリビングの方は小さなラップトップが一台。それだけである。動画をゆっくり見ようにもソファはおろか座布団一枚すらない。

 未体験の恐怖に耐えられず、香菜は尋ねた。

 「東さん……ここ本当に住める家ですか?」

 「なにいってるんすか! 僕はここに七年住んでるんすよ?」

 「こんなあまりにも殺風景な部屋に七年間も? 壁は真っ白だし、カーペットとかも無いし……SF作品にこういう『刑罰』があったような……」

 「……香菜さん、もしかして君、結構『失礼な奴だ』とか言われたことないっすか?」

 「え~? まさか、この私が失礼な奴だなんて……はい、結構言われます……」

 「よくそれで社会人やってこられたっすね」

 「それはお互い様じゃないですか?」

 「それもそっすね!」

 「「アハハハハハハハ!」」

 二人は笑う。

 そして数秒間、謎の間ができた。

 「……さて、昼飯作ろっと」

 「なんだったんですか今のやりとり!!?」



 二十分後。

 「できたっす!」

 東の喜ぶ声が聞こえた。

 「遅いですよ! 私もうお腹ペコペコです!」

 部屋の中に食欲を刺激する匂いが漂い、香菜の摂食中枢をフル稼働させる。

 「悪かったっすよ……はい、東特製『節約焼きそば』っす!」

 木製のテーブルに焼きそばが盛り付けられた皿が二つ置かれる。

 その時、香菜の目が死んだ。

 それは焼きそばのレシピに気づいた瞬間にあった。


 『節約焼きそば』レシピ(二人分)

 ・焼きそば麺 二玉 60円

 ・もやし 一袋 20円

 ・豚バラ肉 50g 70円(セール品30%OFF)

 合計150円


 「わぁ~……すっごくシンプル……」

 「多少栄養は偏るっすけど、食費を抑える事に関しては最強っす!」

 「……東さん、もしかして毎日こんな感じですか?」

 「そりゃそうっすよ? 契約書に書いてあったでしょ、『食事は保証する』って」

 香菜はあることを決意した。

 しかし、今は食べよう。胃が有機物を求めている。

 「いただきます……」

 気が進まなかったが、香菜は麺を口に運んだ。

 ……おいしくない。

 決してまずいわけではないのだが、これを食べていることに幸せを感じない。

 それもそのはず、まず焼きそばにはソースがかかっていなかった。

 ソースが無ければ麺はただの細長い小麦粉の塊でしかない。

 そして、レシピからもひしひしと伝わる具材の少なさ。

 ただでさえカロリーが成人にとっての最低限なのに、体育会系出身の香菜にとっては腹八分目にすら届きもしない。

 十分後、香菜は焼きそばを完食した。

 「ごちそうさまでした」

 そして、決意を思い返し、内容を口にした。

 「これからここのご飯は、私が作ります!」

 「えぇ!? そりゃ悪いっすよ」

 東は困惑したが、香菜は聞かない。

 「違います、私のためです! こんな家畜一歩手前みたいな食事を続けてたら、食の幸せをいつか完全に忘れますよ!?」

 「……まあ、香菜さんが作るのはいいっすけど、食費は一日500円以内に……」

 「食費は私が決めます!!」

 「そんな! まず食費から節約しなきゃ」

 「黙れ守銭奴!!!」

 香菜は椅子から立ち上がって叫んだ。東が初めて聞く、香菜の本心からの怒りの声だった。

 東は香菜の勢いに気圧されたのか、黙りこくってしまった。

 香菜は自分の発言に気づき、顔を赤らめて挙動不審になった。

 「す、すみません!! 私助手の分際で東さんに暴言を……」

 東は下を向き、黙りこくっていた。肩がかすかに震えていた。

 「あの、東さん? ごめんなさい、不機嫌になっちゃいましたよね……」

 「……くくくくく……」

 「え? 東さん?」

 てっきり香菜は、東が怒りで体を揺らしているものかと思った。

 しかし、次の瞬間、

 「ひゃっはっはっはっは!!」

 突然、東が大声を上げ笑い始めた。

 「……あれ? 東さん?」

 「ヒーッ、ヒーッ、嫌、ごめんごめん、あまりにも反応が面白すぎて……」

 東は笑いすぎて息絶え絶えになり、香菜はかなり引いていた。

 二十秒ほど笑い声が響いた後……

 「ごめんなさいっす、別に毎日こんな食事なわけじゃないっすよ。ただちょっとふざけてみただけっす」

 「はぁ!? 何ですかそれ……」

 笑いが止まらない東に、ドン引きする香菜。彼女は既に、東との相性が最悪であるということを確信していた。



 「ところで……私の部屋はどれですか?」

 香菜が東に汚れた食器を渡しながら聞いた。

 「ああ、それならそこの左側の扉っすよ。右側は僕の部屋なんで、勝手に入ったら慰謝料取るっすよ?」

 「絶対に入りません!」

 まだイライラが残っており、思わず声を荒げた。力任せに扉を開ける。


 生活感がほとんどないリビングと違い、その部屋には結構物があった。長い間掃除されていなかったのか、ホコリはかぶっていたが。

 使い古された跡のある布団とベッド、カーテンがかかっている本棚、白色電球のランプが置いてある机……

 確実に東以外の誰かが住んでいた形跡が残っていた。

 「ねえ東さん……これ誰か住んでましたか?」

 「ああ、前の助手の私物が残ってると思うけど、好きに使っちゃっていいっすよ?」

 今、東はせっせと弁当作りに励んでいた。おそらく夜まで「からんころん」を見張るつもりでいるのだろう。

 そんな数時間後から始まる恐怖の重労働の予感すら、香菜は感じていなかった。むしろ(とりあえず布団と枕は新しいのに変えよう……)などと思っていた。

 「さて、そろそろ行くっすよ、準備はできたっすか?」

 弁当を作り終え、カバンを肩にかけた東が香菜に話しかける。

 「あ、ハイ! 直ちに!」

 意識の外から話しかけられたので、香菜は動揺し、なぜかその場に気を付けの姿勢をっとった。

 すると、

 「……う~ん、その服装じゃまずいかもっすね……」

 東が香菜の全身を見つめながらそう言った。

 「え? まずいって、どういう……?」

 この時の香菜のスタイルはオフィススーツであった。

 「これから多分と思うから……」

 「え? 汚れる?」

 「しかもと思うからなー」

 「結構動く!?」

 そんなことを言った東は廊下の方へ行ってしまった。

 東の言動が理解できず、激しく困惑する香菜。

 しかし次の瞬間、ようやく香菜にも東の意図が理解できた。

 戻ってきた東の腕には、あの黄色いジャージが抱えられていたのである。

 東は香菜に、何かしらの形でその体を酷使させるつもりなのである。

 それどころか、あのダッサいジャージを着せ、なおつ公衆の面前にさらすつもりなのである。

 それに気づいたとき、まず最初に香菜の心に巣食う感情は、「恐怖」であった。

 東ほどの探偵ならば、今までのやり取りと香菜の心境から察するに、次に香菜が発する台詞は

 「ちょっと! 私に何をさせる気なんですか!?」

であると予測できる。

 そして香菜の発言を「ちょ」の部分で遮り、ジャージを投げ渡し、

 「ほら! とっとと着替えるっす!」

と香菜を回れ右させ、部屋に放り込むことなど容易い。

 東がジャージを取りに行ってから、わずか八秒にも満たない早技であった。

 一方、ジャージを抱えたまま部屋に放り込まれた香菜は、一瞬何が起こったのかわからず惚けていたが、何が起こったのかを理解した時、こう思った。


 (あの守銭奴探偵、いつか必ず訴えてやる!!!)



 結局、香菜は渋々、不本意ながら、東とお揃いのジャージに着替えた。

 「ん~、似合ってるっすよ、香菜さん! これで名実共に我が東探偵事務所の立派な職員っす!!」

 東がそんな風に言うが、香菜はその「東探偵事務所の立派な職員」であることを既に恥じ始めていた。いくら(File.1参照)で東の能力を目の当たりにしても、ここまで人格に問題があるのならば、その下で働く助手は相当苦労するだろう。

 「じゃあ早速、お化け退治にレッツゴー!」

 意気揚々と歩き出す東の後ろを意気消沈してついて行く香菜の姿は、他人が見れば確実に背後霊と認識されていただろう。

 「あれ、香菜さん? 大丈夫っすか? 顔色悪いっすよ?」

 ここで留意すべきことは、東はあくまでも、香菜の体調を善意で気遣っているということである。決してあおっているわけじゃない。

 香菜は答えた。

 「大丈夫です……ただちょっと、先行き不安だな~って……」

 「そりゃまあ探偵なんて初体験でしょうし、でも大丈夫っすよ。何かあっても俺がサポートするっすから!」

 香菜は思った。で気遣えるのなら、まず私を着替えさせなさいよ!!! と。



第七話 正体見たりからんころん に続く

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