第五話 亡霊の足音

 「ほら、ここがあずま探偵事務所っす」

 駅から歩いて十分ほどのところに、カラオケ店とオフィスビルの間に位置する三階建てのビルがあった。

 「ここが東探偵事務所……」

 十分前に東の助手になった女性・ももやまがつぶやいた。

 一階は不動産屋であり、二階が分かりやすく探偵事務所だということをアピールしている。三階より上は居住域だろうか。

 不動産屋の入り口の右側に階段がある。ここから上の階へ行けるようだ。

 「事務所は二階っすよ、香菜さん。僕についてきてくださいっす」

と、階段を上り始めた。

 香菜は素直について行く。

 三十回ほど膝にかかる負荷を感じると、遂に東探偵事務所の扉が目の前に現れる。

 「さあ、ここが今日から君の職場になる、東探偵事務所っす!」

 東は意気揚々とガラス戸を開けた。

 からんころんという、名前がさっと出てこないあの物体の音が聞こえた。


 内装はいたって普通、東用のデスクが一つ、応接間に置かれているような長テーブルと、それをはさんでソファが二つ置いてある。

 「こっちには給湯室があるっす。お客さんが来たらお茶とかコーヒーとか出してくださいっす。トイレは入り口から左側のところに……」

と、自身の城ともいうべき事務所を紹介する東。

 それに対して香菜の感想は以下の通りである。

 「思ったよりシンプルで清潔ですね……」

 「なんすかそれ、僕って世間一般でどのようなイメージなんすか?」

 「噂では、金にがめつく、生活感もなく、常に贅沢三昧な暮らしをしているなんて言われてますよ?」

 「はぁ~!? なんすかそれ! 名誉棄損っすよ!! 僕は依頼料こそ高くとるけど、大した贅沢なんて探偵初めてからしたことないっすから!!」

 「えっ、じゃあ生活感は備わっているんですか……?」

 「当たり前っすよ! 自炊が一番節約できるし、ゴミを溜め込んで劣悪な環境で病気にでもなったら、それこそ金の無駄っす」

 「え~? 意外ですね……」

 その話を聞くと、香菜は東がなぜ理外な依頼料を取っているのか、ますます気になった。



 「さて、香菜さんには早速、事件の解決に協力してもらうっす」

 そう言って東がデスクに広げたのは、三人の少年の個人情報であった。

 「誰ですか? この子たち」

 「今月二十三日から昨日まで(二十九日)に行方不明になった少年っすよ」

 三人の足跡が途切れたのは、いずれも北東部・都立武蔵金山跡自然公園付近である。

 事の始まりは四月二十三日、午後十時ごろ、少年ほそしゅんぺい(十歳)が塾から帰ってこないことを心配した両親が、黄金警察署へ捜索願を提出したことにある。

 警察は直ちに捜査を開始し、細谷少年が消えたのが公園付近であることを突き止めた。しかし捜査中、さらに二人の少年が公園付近で行方不明になってしまう。警察は同一犯による誘拐事件であると断定し捜査を進めたが、なかなか進展しない。

 そして警察だけでは手に余ると判断した捜査三課課長・みずぬまゆう警視が、二十九日に東探偵事務所を訪れたのだった。

 「誘拐……ですか?」

 資料を見た香菜が東に聞いた。

 「警察はそう見てるっすね」

 「あれ……? 水沼さんって、この前の事件(第一章参照)の水沼さん?」

 「そっすよ?」

 「水沼さんって捜査三課ですよね? 確か捜査三課って、誘拐事件は担当じゃなかったような……」

 「いいところに気づいたっすね! 確かにああいうのは捜査一課のやることっすよ。本来はみっちゃんの出る幕じゃないんす」

 「じゃあなんで水沼さんが?」

 「……この子の情報をちゃんと見ればわかるっす」

と、東が三枚の資料のうち一枚を取って、香菜に手渡した。

 香菜がそれをよく読んでみると、彼女の表情が真剣さを帯びた。

 「この子……水沼さんのお子さん!?」

 「そう、水沼よし君、八歳。二十七日に行方不明になってるっす」

 我が子の消息が分からなくなり、胸が張り裂ける思いをしていた水島は、各方面に頭を下げて今回の事件の捜査に参加させてもらっていた。本来は極秘である個人情報も、水沼が東に依頼するならと特別に貸し出されたものだった。

 「あのみっちゃんが僕に頭下げてまで頼んできたんすから、必ずその思いにこたえなきゃすね!」

 「そうですね! ……でも、何か手掛かりはあるんですか?」

 「それがね、あるんすよ」

 今度はスマホを何やらいじり始めた。

 そして

「今朝放送されたラジオ番組っす」

と、その音声ファイルを再生した。


 「DJモニカの、ゴールドモーニングレディオー!」

 突然、明るい女性の声が探偵所内に響く。

 その音声を聞いた香菜が興奮して叫んだ。

 「あ! この人知ってる! 黄金区ご当地アイドル『ラッキーセブン』のセンター・モニカちゃんだ!!」

 「それはどうでも良くて! ほら、お便りコーナー聞いてくださいっす」

 東に注意され、香菜はしょんぼりとラジオの内容に耳を傾ける。

 「ラジオネーム『銀と金』さんからのリクエスト! 『モニカさん! オレも見たんです、からんころんを! 二十六日の夜、自然公園でランニングしてたら、突然周りに霧が立ち込めて、寒気がしたんです! びっくりして周りを見渡していると、どこからともなく、からーん……ころーん……からーん……ころーん……と下駄の音が響いてきて……霧の奥から、編み笠を被った侍の影が……! オレは怖くて無我夢中で逃げ出しました。 やっぱり武蔵金山跡には侍の亡霊が出るって本当なんですかね?』……お便りありがとうございます! 『からんころん』を見た、あるいは足跡を聞いたというお便りはこれで六件目ですね。お便りを送ってない方の中にも見たことある人が多いと思います。侍の亡霊……私、怖いですぅ!」


 音声ファイルはそこで終わっていた。

 「なんですかさっきの怪談は!! 絶対やばいやつじゃないですか!!」

 話を聞き終わった後の香菜の顔は大変青ざめていた。

 「そうっすね、この『からんころん』とかいう奴、十中八九事件にかかわってるっすよ。だからそれを調査するっす! 今日から!」

 対称的に東の顔はいつものさわやか笑顔である。

 「嫌! 絶対に嫌です! 私こういうの大の苦手で……!」

 香菜がどんどん東から遠ざかっていく。

 「探偵っていうのはこういう仕事もつきものっすよ!」

  東がそれを追いかけ、いつの間にか二人は一定の距離を保ったまま入り口付近まで来ていた。

 「まあ大体オバケなんて嘘なんすけど。この侍もただのコスプレイヤーじゃないかと思ってるっす」

 「それはそれでやばいじゃないですか〜!!」

 香菜はこの事件に関わることを拒否し、拒絶し、駄々をこねたが、労働契約書にサインしたからには東の指示は業務命令である。香菜は調査の協力にしぶしぶ従った。



 「ほんじゃ、早速現地に調査に行きたいんすけど……」

と東がいつもの探偵カバンを持とうとすると、突然東の胃が収縮する音が聞こえた。いわゆる「グ~」という奴である。

 「お腹すいたっすね……」

 不審に思った東が壁にかかっている時計を見ると、短針が12を、長針が3と4の間を指していた。

 「やっべ、もう十二時過ぎてるじゃないっすか! お昼食べてから行こ……」

と、カバンを置き、事務所を出ようとした東だったが、ドアノブに手をかけたところで止まり、振り向いた。

 「あ、そうだ。香菜さんも食べるっすか?」

 「はい!? あ、えーと……」

 先程まで忙しなく動いていた東にきょとんとしていた香菜は、不意を突かれて気を取り乱した。

 「ど、どこで食べるんですか?」

 「どこって、僕ん家に決まってるじゃないっすか? 今からご飯作るけど香菜さんも食べるっすか?」

 「は、はい! ぜひ!」

 守銭奴探偵と名高い東の手料理と聞いて、香菜は興味を隠せなかった。


 東の自宅はビルの三階にある。

 「そういえば、香菜さんはここに住み込みで働くことになるし、しっかり見学しといてくださいっすよ?」

 「……え?」

 東家の扉の前で、香菜は動かなくなった。

 「え?」

 東もきょとんと動かなくなった。

 「え? 私住み込みで働くことになってるんですか?」

 「え? ちゃんと契約書に書いてあったじゃないっすか、『全寮制』って」

 「え? マジですか!?」

 読者諸君も一話前に戻って確認してみよう。以下は第四話「涙の痕は乾かない」より引用した一節である。


―——東はあらかじめ用意していた契約書を香菜に手渡した。

 内容はいろいろ書いてあるのだが、読者の興味を引きそうな点のみピックアップする。

 ・役職:探偵助手

 ・職務内容:探偵業の補佐及び事務所全体の庶務

 ・給料:月給35万8000円から昇給あり

 ・全寮制


 全寮制。


 全寮制……!


 全寮制っ……!!


 全寮制っ……!!!


 「うわー、マジで……書いてあるじゃん……」

 高給に目がくらんで即刻サインした香菜は意気消沈、もっと契約書を読んでおけばよかったと後悔した。

 香菜が意気消沈したのは、引っ越しの費用や面倒臭さを意識してではない。

 いまだに得体のしれないこの男・東としゆき

 この二人と一つ屋根の下で二人っきりの生活、すなわち「同棲」をしなければならないというである。

 (東さんって大学生くらいの年かな? もし年下だったらギリギリオーケーだけど……)

 「あ、あの、東さんっておいくつなんですか?」

 意を決して聞いてみた。

 「僕の年っすか? 二十五っすよ」

 「……二十五!!? え? 二十五歳なんですか!?」

 「そっすよ? 1997年7月4日生まれっす」

 「私の一個上……」

 微妙であった。

 東敏行二十五歳、桃山香菜二十四歳、カップルとしてみれば決して違和感はない、むしろ普遍的な年齢差だが、年下好きの香菜にとってはなんだかしっくりこない組み合わせであった。

 (誰がどう見てもランニング中の大学生じゃないのよ……まさか年上だったなんて……二十歳だったらちょっと悪くなかったのにな)そんなことを考えていると、

 「それより、僕もうお腹ペコペコっすよ……さっさとご飯食べて事件解決っす!」

 東は香菜の葛藤もいざ知らず、鍵を鍵穴に差し込んで開くと、ドアを引き開けた。

 今度はからんころんという音は聞こえなかった。



 第六話 ドキドキ? 同棲生活一日目 に続く

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