第一話 盗まれた涙

 二〇二三年四月二十日早朝、一人の男がビルから現れる。

 彼は、この街一番の有名人であった。

 明るく、希望に満ち溢れた表情。この世の全てに新鮮味を感じている。それはまるで、たった今上り出た黄金色の朝日のようにも。

 肩にかけられたボストンバッグ、一体どれほどの荷物が詰め込まれているのかわからない。

 そして、何よりも目立つのが、全身に纏われし

 彼はこれから仕事に行く。しかし、ごく一般的な朝仕事に行く人との格好は、目を凝らすまでもなくかけ離れている。

 第一、多くの人にとって黄色という色彩はあまりにも仕事には向いていないはずだ。

 しかし、彼は今日も明日も黄色いジャージを着る。最早彼のアイデンティティである。

 そのの男は自転車にまたがり、目的地へと漕ぎ出した。

 「よし、今日も一稼ぎすっか!!」



 男の名はあずまとしゆき、二十五歳。人は彼を、関東一の(守銭奴)探偵と呼ぶ。



 東京の都心からちょっと離れたところに、とある町があった。

 古来金山として朝廷や幕府の保護を受け、明治維新後は数多くの金持ちたちが移住し、「日本の金持ちの一割は」とまで言われている町があった。

 その町の名は、がね。人口380000人。文字通り、財と欲望にあふれた町である。

 この町は、黄金区民ならだれでも使うターミナル駅「黄金駅」を中心に、中心部、北東部、北西部、南東部、南西部の五つに分けられて呼ばれることが多い。

 中心部は東京都心にも劣らない摩天楼の群れ。北東部は広々とした豪邸が立ち並ぶ高級住宅街。北西部はどんなブランド物も販売しているという高級店のエリア。南東部は「黄金学院大学」を中心とした、様々な教育機関・研究機関が設置されている学問のエリア。そして南西部は中央部に本社を置く大企業が運営している工場街である。

 そして二〇二三年四月十一日、事件は南東部にある「黄金弁財天美術館」で起こった。



 一人の警備員が、深夜の美術館を見回りしていた。

 照明の消えた美術館内を、懐中電灯の光を頼りに進む。

 響くのは自分の足音のみ。警備員というのは、何もなければとても退屈な仕事だ、と彼は思っていた(同時に自分が暇なほうが世間は良くなるとも思っていたが)。

 特別展の「天才・ダ・ヴィンチの生涯」のエリアに異常がないことを確認し通り抜け、常設展の「世界の宝石」エリアに足を踏み入れた、その時。

 突然ガシャンとガラスが割れる音がした。さらに誰かが走って遠ざかっていく音も聞こえた。今まで自分以外の存在を確認できなかったその場所に、のである。

 警備員は仕事モードになり、素早く音の出場所に近づき、懐中電灯で照らす。

 「な、ない!! 『貴婦人の涙』がない!!」

 ガラス製のショーケースは粉々に砕かれ、そこにあったはずの世界最大のエメラルド「貴婦人の涙」は消えていた。

 美術館最大の目玉ともいうべき展示品が消えてなくなったことに、警備員はものすごく動揺した。しかし、動揺していては仕事ができぬ、と我が身を震わせ、今度は足音の方へ走った。

 遠ざかっていく犯人と思わしき人物に懐中電灯を当てて、初めて気づいた。(あいつは懐中電灯どころか、一切の光源を使っていない! なぜ真っ暗の中で、性格にエメラルドの位置が分かったんだ? ていうか、なぜ暗闇の中でもすいすい動ける!?)そんなことを考えていると、犯人がT字の通路を左に曲がったので、警備員も左に曲がった。


 そこに犯人はいなかった。

 犯人が角を曲がってから、警備員が角を曲がるまでの間に、犯人はいつの間にか警備員の視界の外へ行ってしまったのだ。

 警備員は思わず立ち尽くし、オロオロして周りを見渡した。

 しかし、どこにも人の姿は見えない。

 恐怖を覚えた警備員は、すぐに警察に通報した。


 静寂を切り裂いてサイレンが、闇を切り裂いて紅色のパトランプが走る。

 三台のパトカーが五分で来た。

 事態を報告された美術館館長のおおたけひろしも駆け付けた。

 「刑事さん!! 犯人は見つかったのかね!?」

 大竹は心から焦った様子で刑事に縋りつく。

 「申し訳ありませんが、犯人の行方は不明です。これから捜索に当たります」

 しかし、数時間の捜索もむなしく、犯人は見つからなかった。

 捜索が一時中断となったとき、既に東の空が黄金色に光っていた。しかし、大竹の心は深く沈んでいた。



 「貴婦人の涙」が消えてから一週間、いまだに犯人の足跡は掴めず。大竹は館長室の中で右から左、左から右へとせわしなく歩いていた。

 「父さん、そんなにイライラしないで下さいよ」

 館長に話しかけているのは大竹博の息子、大竹たかしである。彼もまた美術館の一職員として、美術館の経営について学んでいる。

 「ここでは館長と呼べと言っておろうが!! それに、『貴婦人の涙』が盗まれたって言うのに、まだ犯人の手がかりすらつかめてないというじゃないか!! 警察の役立たずどもめ!!!」

 博は今にも体が爆発しそうなのを必死に抑えていた。

 そんな父を見かねた息子が口を開く。

 「そんなに警察が信用ならないのでしたら、探偵を雇いましょうよ」

 「探偵だと? わざわざ金払って探偵なんぞ呼んでどうする!?」

 「ご存じないのですか? 黄金区には凄腕の探偵がいるそうで。確か東敏行って言ったような」

 「東敏行? そんな奴がいるのか」

 興味を持った博は怒りを収めた。

 「はい、なんでも報酬は相場の何倍もするのですが、担当した事件で迷宮入りはゼロ、警察からも一目置かれている名探偵なんだそうです」

 「そうか、そんな凄腕の探偵が黄金区にいるんだな? だったら今すぐ連絡を取れ!!」

 「はい、館長」


 早速隆は、ネットで東探偵事務所の番号を調べて電話をかけた。

 「うっす、こちら東探偵事務所っす」

 電話に対応したのはやる気のなさそうな青年の声。隆は少し癪に障ったが、スルーして用件を伝えた。

 「黄金弁財天美術館の大竹隆と申します。えっと、うちの美術館からエメラルドが盗まれたって話、ニュースで見ましたか?」

 「ああ、それなら知ってるっすよ。『貴婦人の涙』とかいう馬鹿でっかいエメラルドっしょ?」

 「そうなんです。あれから一週間たつのに犯人の情報がつかめていないそうで……どうかご協力を依頼したいのですが、東さんに代わっていただけますか?」

 電話越しで相手に見えるわけがないが、日本人の特性故頭を下げる隆。

 「あ、僕が東っす。日時はどうするっすか?」

 「あ、東さんでいらっしゃいましたか、えーと日時は……て、え!! あなたが東さん!?」

 なんということだろう。今応対している生意気な青年が、かの有名な東敏行だったとは。さすがに彼の性格までは知らなかった隆は絶句した。

 


 探偵・東敏行は、二日後に二人の前に現れた。

 大竹親子はこの日を待ち望んでいた。なぜなら、ついに犯人が捕まると思っていたからだ。それほど東に期待を寄せていた。

 しかし、関東一の名探偵と呼ばれる彼は、二人のイメージとは全く違う姿で現れた。

 美術館裏口のインターホンが鳴る。

 隆がモニターを見てみれば、そこにいたのは全身黄色のジャージで身を包んだ若い男。

 「こんちゃーっす、お待ちかねの東敏行っす!」

 青年はさわやかな笑顔で話した。

 「ああ、東さん、お待ちしておりました。どうぞ中へ……」

 隆は二日前、電話を終えた時に東敏行の写真をネットで調べていたので、黄色ジャージ姿の青年を見てすぐにわかった。

 ちなみに隆が写真を見て一番初めに思ったことは(こいつ……ランニング帰りの大学生みたいな見た目しやがる……)であった。

 東は応接室に招かれた。

 「隆……この男、本当に名探偵なのかね?」

 東と初対面の父は、東を信用しようとしていなかった。

 「ま、まあ一応腕は確かな……はずですし……」

 そういう隆だが、正直自分も東の腕を疑っていた。

 「そんで、改めて依頼内容の確認っすけど、『貴婦人の涙』とかいうエメラルドを取り戻せばいいんすね?」

 「そうです」

と隆が答えた。

 「あのエメラルドは美術館の大目玉であり、我が大竹家の家宝なんだ!! 絶対に取り戻してもらいたい!!」

と博が付け加えた。

 「おまかせくださいっす!」

と東は笑顔で答えた。

 「それで依頼料の話っすけど、今回は刑事事件、それも窃盗の犯人探しということで、基本料500万、犯人が見つかったら1000万で、最大1500万円頂戴するっすけど、いいっすか?」

 「せ、1500万!? それは法外じゃないですか!!」

 隆は思わず立ち上がった。

 「法外っすよ? でもうちはそれでやらせてもらってるっす。この町はいいっすよね、金持ちばっかりだから1500万くらいポンと出してくれるっす」

 東は真顔で言い放った。

 「館長、さすがにほかの探偵に変えたほうが……」

 隆は探偵一人に1500万も払うのは納得いかなかった。

 しかし館長は

「いや、依頼する。君、現金500万持ってきなさい」

と、そばに控えていた従業員に命じた。


 「はい、現金で500万円、確かに頂戴したっす。」

と、札束をカバンに入れた東は満面の笑みを浮かべていた。

 「それじゃあ早速準備してくるんで、閉館後にまた来るっす。」

と、東は立ち上がって帰ろうとした。

 「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。今から調査してくれるんじゃないんですか?」

 隆はもう帰ろうとする東を引き留めようとした。

 しかし東は

「何言ってるんすか、お客さん今日も来てるんでしょ? 迷惑になるんであとで来るっす。あと、警備会社の人と担当の刑事さんにも話しつけといてくださいっす。それじゃ」

と、さっさと応接室を出てしまった。

 「じゃ、じゃあせめて見送りを……」

と大竹親子は玄関先までついて行った。


 「ほんじゃ、ちゃんと警備会社と警察に連絡しといてくださいっすよー!」

 東はそれだけ言い残すと、自転車にまたがって颯爽と行ってしまった。

 博は息子に聞いた。

 「……もう一度聞くぞ、本当に名探偵なんだな?」

 隆は父に答えた。

 「ちょっと……わかりません」

 黄金区の一日は、まだ続く。



 第二話 避けて通れる道を涙のように に続く

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