AI創作と共存

 私が初めてAIを使ったのは3年前になります。当時は、AI自体がまだまだ有名じゃなくて、今みたいにそこらかしこに採用されてるわけじゃなかったんです。本当に専門家くらいしかそれの説明ができない、一般の人々には未来の話のような扱いでした。

 私は初めてAIを知った時、それは執筆に向いていると思いましたね。その時の私は、作家として行き詰まっていたんです。史上最年少で文学賞を受賞したものの、売れたのは受賞作とその後の数冊のみ。まだ若いはずなのにこれから先が真っ暗だった。もう自分の作品を読んでくれる人はいないんじゃないかとも思ってしまった。でも、そんな時学習型AIという物の存在を知った。私はこれなら面白い作品が書けると思いました。だからすぐに調べたんです。どういった学習型AIが存在しているのかを。そして出会ったのが、今話題になっている学習型生成AIの走りになっている物でした。この時はまだ、作品を学習しても今ほど精度の高い物語は生み出せませんでした。辿々しい日本語に、なんとか読み取れる物語の流れがあるだけ。でも私にはそれで十分でした。



「ではAIでできたものを修正して、作品を発表していたんですか?」


 そんなことはしませんよ。ただ執筆の合間、息抜き程度に遊び半分で使っていた程度でしたね。それに何より、何を学習させるかによっては著作権侵害にもなりかねませんから。昔も今も、AIに関する著作権法は曖昧すぎる。権利を侵害していないと法が言っても、それが『パクリ』だと世間が思えばその作品は盗作と言っても過言じゃない程です。そんなリスキーなことはできないですよ。

 だから私が学習させたのは、著作権の権利が切れたフリーの作品たちです。文豪と呼ばれ、青空文庫で誰もが目にすることのできる先人たちの作品を学ばせました。もちろんそこから生んだ物語を世間に発表したことはないんですけどね。私だけが楽しむための本たちです。

 そういえば、AIも面白いことに、学習させた作者ごとにファイル分けできるんですよ。だから同じあらすじで物語を作っても、文豪によって言葉の選び方や文章の構成などが変わってくる。面白いと思いませんか? 私はこれの使い方の正解を見つけた気分になりました。言うなれば文豪語彙辞典ですかね(笑)。



「文豪語彙辞典……ですか」


 いきなり何言ってるんだって思いますよね。そりゃあ、これだけ言われても何言ってんだという話です。例えば、夏目漱石が「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳したように、他の文豪たちならどう訳すかをAIに推測してもらい、それをテキストとして出してもらうという活用方法です。今の例えは英語から日本語でしたけど、日本語から日本語の言い回しも人によって全く違う言葉が出てきます。私は言葉選びにしっくりこないときに、先人たちの言葉を聞きます。それを参考に自分の言葉を生み出す。わたしはこの方法でAIを用いつつ自分の手で作品を書いているのです。



「なるほど。ただ、今のAIの精度なら、あらすじさえ考えれば面白い話が作れると話題になっています。先生が書いた今までの作品を学ばせたら先生の書き方や言い回しで面白い作品ができてしまう気がしてしまいます。失礼ながら、この質問をさせてください。先生はAIに作品を預けようと思ったことはありますか」


 ありますよ。実際、さっきも言ったように文豪たちの言葉で私用として何作か作ってはいますからね。もちろん自分の作品も学ばせてファイリングしてます。創作の手助けになる可能性がありますからね。ただそれを使った作品は世間には出さないですけれど。面白いですよ。私はそんなふうに書くのかと、第三者視点で本が読めますね。不思議な体験をしている気分になります。



「その作品たちが世間に発表されることはないと?」


 ないですね。これは絶対にないです。だって私を学習したとしてもそれは私が書いた物語ではないので。



「先生はAIが書いた作品については否定的なのでしょうか」


 そんなことはないですよ。AIは自分の書きたい話を忠実に再現してくれる便利な隣人だと思います。面白い話を書きたいけれど自分の筆に自信のない、そんな人にとってはいいきっかけにもなるでしょう。実際、AI創作をきっかけに自ら筆を握った作者さんも最近は出てきましたしね。私も使っていますし、使い続けると思いますよ。語彙を豊かにするという目的の手段として。ただ、今後も作品は私自身が書くと決めていますが。



「なるほど。その理由をお聞きしても?」


 ええもちろん。先ほども言いましたが、AIはとても面白い存在だと思います。しかし使い方を誤れば自分を殺す存在でもあります。無断で他人の作品を学ばせたら、それを自作品と公表したら。もちろんそんなことはしませんが、それが全ての人に起こらないとは言い切れません。AIは使い方次第で作者を生かすことも殺すこともできるのです。

 殺すといえばAIに頼りすぎた作者の物語は成長するのでしょうか。AIは100点の物語を簡単に書けます。しかし、読者が求めているのはいつだって120点の衝動と150点の面白さだと思うのです。我々のような創作を生業にしている人間はそれに応えないといけない。AIには書けない150点を、いつだって創り出す使命があると思うのです。だから私はAIに物語を頼らない。



「ではAIが進化して150点の物語を書いたら?」


 そうくると思っていました(笑)。きっと近い未来にそうなるでしょう。でもそれは今の我々から見た150点であり、その未来の時点では100点の物語に過ぎないかもしれません。AIが進化するように我々もまた日々成長しながら物語を書きます。そう簡単に150点の壁を壊させはしませんよ。



「なるほど。貴重なお話をありがとうございました。またよろしくお願いします」


 こちらこそありがとうございました。




 記者は会社に戻りパソコンを開いた。


『AIを取り入れる創作者たち(仮)』

『AIを取り入れ|』


 記者は黙ってパソコンの画面に映された文字をひとつひとつ消していく。こんなタイトルではダメだ。あの人が生きるAIの世界はこんな陳腐なタイトルで書いていいものではない。記者は悩みに悩んで思い浮かんだタイトルを打ち込む。

 そして、早速記事の作成に取り組むのだった。



《タイトル:AI創作と共存》

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AI創作のすゝめ 李都 @0401rito

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