【34】夫vs弟 → ???

 ジェドとウィリアムは、睨み合って静止している。初めて顔を合わせた二人だが、お互いに思う所があるらしく、背中から噴きあがっているのはまごうことなき敵意であった。


(……? ジェド様? ウィリアム? ど、どうしちゃったんですか、ふたりとも)

 クララは戸惑いながら二人を見守っていた。


 先に口を開いたのは、ウィリアムだ。

「お初にお目にかかります、レナス様。結婚から四か月経っていますが、お顔を拝見できて、光栄です」

 爽やかな笑顔とは裏腹に、言葉の端々からは嫌見っぽさが露呈している。


「あぁ。君がクララの弟か。挨拶が遅れて大変失礼した。クララがよく、君のことを教えてくれるよ。あのは優しくて可愛い、だと。昔、麦粥を食べさせてあげたら、目をキラキラさせて喜んでいたと」


「くっ……」

(こ、こいつ、僕と姉さんの甘やかな思い出を穢す気か!? しかも『子』のところ、わざと強調して言いやがった!)


「君のようなしっかり者のがいて、クララは幸せ者だな。私も彼女のとして、今後は積極的に君を支援したいと思う。末永くよろしく頼む」

 

 きらきらという音が出そうなほど快活に、ジェドは大きな笑顔を作ってみせた。ライバル心が丸出しだ。『大人げない』という言葉は、今の彼にこそふさわしいのかもしれない。


 ウィリアムは、わなわなと震える拳を体の後ろに隠して顔面に笑みを張り付けていた。

(殺す殺す殺す殺すこいつ殺す。……契約結婚のくせに旦那ぶってんじゃねぇよ!)


 契約結婚のくせに! と、この場で糾弾してやりたい――という衝動に駆られたウィリアムだが、理性で踏みとどまった。王子ルシアンや王室騎士団の騎士たちのいる今、不名誉な情報を開示するのは諸刃の剣となる。


 ちなみにウィリアムは、ルシアンに対しても姉の契約結婚のことは伏せてあった。ただ『出会ったその日のうちに強引に結婚を取り付け、いまだに結婚式もしていない』という非常識な点だけを不満点として告げていたのである。

 

「……クララ姉さん。姉さんが元気そうで、僕は嬉しいよ!」

 ウィリアムは、クララへと話を向けた。


「姉さんは、なにか大変なことはない? 本当は辛いこととか、相談したいこととか、あるんじゃないの? どんな些細な事でも、僕に言ってね。どんなときでも、駆けつけてみせるから」


(……くそ。父上たちがバカなことをしでかしたせいで、が狂ってしまったじゃないか!)


 そう。マグラス家の断罪に際して、ウィリアムは数カ年に及ぶ壮大な計画を立てていたのだ。


 まずは父らの詐欺行為を暴き、自分が成人したら当主となる。

 その後、クララをレナス家から奪い返して、自分の屋敷に住まわせる。


 ジェド・レナスがクララに与えた五十平米の農地を越える、さらに広大で良質な農地をプレゼントして、クララを取り戻そうと思っていたのだ。


 そのためにも、まずはウィリアム自身が当主になって実権を握る必要があった。

(……なのに! まだ、今の段階じゃあクララ姉さんを連れ戻すなんて不可能だ。畜生!)


 ウィリアムの心中を知ることもなく、クララは幸せそうな笑顔を浮かべた。


「ありがとうウィリアム。でも、大丈夫。つらいことなんて、ひとつもないわ」


(ね、姉さん……?)

 とろける笑みを浮かべ、クララは頬を染めている。こんな表情を、ウィリアムは見たことがなかった。


「私、毎日がとても幸せなの」


 そう、それはまさに、恋する乙女の表情である。


「ジェド様も、お屋敷の皆さんも、本当に良くしてくださるの。こんなに幸せで良いのかな……って、いつも思ってしまう。だって私、ジェド様たちになにもお返しできていないもの」


「そんなことはない。俺が幸せなのは、すべて君のお陰だ」

 ジェドは、ウィリアムと張り合うことも忘れてクララに向き直った。真摯な表情で、クララだけを見つめている。


「君はいつも、俺を救ってくれている」

「ジェド様……」


 見つめ合う二人の姿は、ただの契約関係とは思えないものだった。とても仲睦まじく、理想の夫婦にしか見えず、そして、


(うぁあああああああああああああ!! 見たくない! こんな絵、全然見たくない!!)


 絶叫したいのを必死でこらえつつ、ウィリアムは姉に笑顔を向けていた。


 本当はジェド・レナスを殴り殺したい。見栄も外聞もすべてかなぐり捨てて、今すぐ姉を取り返したい――でも、それは不可能だった。社会的な意味合いで不可能なのは言うまでもなく。

 

 ……なにより、姉の幸せをぶち壊すような真似だけは、絶対にしてはいけないと思ったからだ。



「そっか。姉さんは今、本当に幸せなんだね」

「ええ!」

「そっか。……そっか」


 声がふるえるのを、ウィリアムは必死に押し隠そうとした。


「……姉さんが幸せなら、それでいいんだ! 僕にとっては、姉さんの幸せが一番重要だからね」


 自分が愚行を働けば、間違いなく姉が悲しむ。ウィリアムにとって何より優先すべきなのは、自分の独占欲ではなく姉自身の幸せなのだ。


「……でも、困ったことがあったら、いつでも僕に言うんだよ? 僕がマグラス家を立て直しておくから。姉さんがいつでも帰ってこられるように、この家をきちんと守っておくからね」


「ウィリアム……!」

 クララは、感極まった様子でウィリアムに駆け寄った。弟をぎゅっと抱きしめ、涙ぐんで礼を言う。


「ありがとうウィリアム。あなたも、決して無理しないでね。困ったことがあったら、私を頼って。あなたのところに駆けつけるわ」


「……うん」

 こぼれる涙の止め方も分からないまま、ウィリアムは姉を抱きしめ返していた。


 互いを思いやる姉と弟の姿はとても美しく、ジェド・レナスは力の抜けた笑顔を浮かべて姉弟を見守っていた。


 ――そのとき。

 

 ぎん。と目を見開いたウィリアムが、姉を抱きしめたままジェドを睨みつけた。姉にバレないように配慮しつつ、目つきだけで『てめぇ、いつか、コロス』と宣戦布告している。


 あまりに邪悪なその表情に、ジェドは思わずドン引きした。



 やがて、クララは顔を上げた。ウィリアムに優しく微笑みかけてから、ジェドのところに戻っていく。


 ジェドは、クララの肩をそっと抱いた。

「……ルス。いろいろ世話になった。俺たちはそろそろ帰る」

「帰るの? どうやって。君は、身ひとつで来たんだろう?」


「俺がクララを運ぶ」

 言うと同時に、ジェドは巨大な霊獣の姿に変化していた。背に乗るようにクララを促し、しっかり掴まらせると軽やかに跳躍する。

 

 ジェドはそのまま、壊れた天井から屋敷の外へと飛び出した。


 大雨だった屋敷の外はいつの間にやら晴れ渡り、大きな虹がかかっている。屋根を力強くひと蹴りすると、虹に飛び込むように跳躍し、ジェドは空中で転移魔法を展開した。


 青空に消えたジェドとクララを、マグラス邸にいた全員が見上げていた。


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