【18】夫視点「俺のクララだ」

「俺のクララだ。誰にも口出しさせない」


 俺の口が、勝手にそう断言していた。


 頭に血が上っていた俺は、クララの肩を抱いたまま応接室を出た。なおも引き留めようとするビクター・リンデルを無視して、歩調も荒く廊下を歩き続ける。


「あ、あの。ジェド様……?」


 長い廊下の曲がり角に差し掛かるころ、クララがためらいがちな声を漏らした。見れば、彼女は頬を真っ赤に染めて、戸惑った目で俺を見上げている。

 

 俺は、我に返って彼女の肩をパッと放した。

「どうしたんですか。急に怒って……」

「別に。俺は何も怒ってない」

 

 クララは俺より二つ年上だが、かなり小柄で頭一つ分くらい身長差がある。長いまつげに縁どられた彼女の瞳は、琥珀のようでとても綺麗だ。


 ――クララを手放したくない。それが、俺の本心だった。


「もし検査して君が『調律師』だった場合、国中の魔術師が君に注目するだろう。君がこの屋敷でのんびり暮らしたいと思っても、周りが放っておかないはずだ。他人に日常を壊されたくない……だから、この話は打ち切りたいと思ったんだ」


 クララが、驚いたように目を丸くする。

「ジェド様は、私のことを気遣ってくれたんですか?」


 うなずくべきか、迷った。俺が話を打ち切ったのは、クララのためなのだろうか? それともクララを手放したくないというエゴなのだろうか……?


 ……たぶん、俺のエゴだと思う。俺はワガママな性格だし、相手の都合より自分の希望を通そうとする癖があるからだ。


 押し黙っている俺に、クララは優しい笑顔を向けた。

「ありがとうございます、ジェド様」


 その美しい笑顔につられて、思わず俺も頬が緩んだ。しかし――


「私の草花に触れれば、ジェド様はずっと健康でいられるんですよね? だったらこれからも、毎日お野菜たっぷりの料理を作りますし、きれいなお花もご用意します。ジェド様の役に立てるなら、ずっとここに居させてほしいです」


 そう言われた瞬間、俺の顔はこわばった。


 ――クララは俺の健康を維持するためだけに、屋敷にとどまる気でいたのか?

 

 彼女はきっと、と同じ感覚で俺の面倒を見てくれているんだ。……そんな彼女の優しさに甘えて、俺は自分勝手な勘違いをしていた。


 彼女が俺のことを、憎からず想ってくれているのだと――そうあってほしいと、俺は願っていた。


 だが、そんなのは勘違いだったのかもしれない。……クララが俺を好く理由がないからだ。


 一方的な契約結婚で束縛し、「一日二分だ」とか「料理を作れ」とか、身勝手な要求ばかり押し付けてくる俺のことを、彼女が好きになる訳がない。


「私、もっと色々な植物を育ててみますね! 『調律魔法』のことはよく分かりませんが、ジェド様が元気になれるなら――」


「すまない」

「……え?」


 俺は頭を下げていた。

 俺の健康は、クララの自己犠牲によって支えられている。そう思うと、罪悪感が湧いてきた。


 俺に束縛されるクララが、かわいそうだ。


 クララは優しくて可愛くて、才能にもあふれている。だから本当は、もっと幸せな生き方ができるはずなのに。


「……クララがいなくても体調を維持できるように、なにか方法を探していきたいと思う。だが、当分の間は君の力を借りることになると思う。迷惑をかけてすまないが、もうしばらく俺のそばにいてほしい」


 申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら、俺はその場をあとにした。クララは取り残されるように、そこに立ち尽くしたままだ。


 俺は本当に自分勝手で、ワガママだ。相手の気持ちを考えるのが苦手で、いつも自分の都合ばかり優先させてしまう。


 自分の部屋に戻って、ベッドに突っ伏した。


 ――なんだか、ひどく疲れた。数年ぶりに魔法の鍛錬をしたせいかもしれないし、クララの『調律魔法』のことを知ったからかもしれない。あるいは、自分の身勝手さを自覚して、ショックを受けたためだろうか。ともかく疲れて、頭が重い。


 ほどなくして夕食の時間になり、メイドが呼びに来たが「今日の食事はいらない」と答えた。何も食べたくないし、このまま突っ伏していたい。


 息苦しさとともに強い眠気に襲われて、俺は意識を手放した。


   *


 その日の、夜遅く。

「ジェド様ったら、どうしちゃったのかしら。やっぱり、私にお世話されるのが嫌だったのかな……」


 私は寝室のベッドで仰向けに寝転びながら、ぼんやりと天井を見上げていた。


 肩を抱かれてドキドキしてしまったけれど。急に態度が変わって冷たくされたから、悲しかった。


「せっかく、ジェド様のお役に立てると思ったのに。私がいなくても体調を保てるようにする――って、つまり私に出ていって欲しいという意味よね……?」


 育てた植物でジェド様の役に立てると知って、本当に嬉しかったのに。……寂しいな。


「契約妻のくせに、出しゃばりすぎたのが良くなかったのかしら……」


 いつか終わってしまう婚姻関係だとしても、私は彼に感謝している。彼にはずっと健康で、長生きしてほしい。だから――


 と、そのとき。


「にゃあ……」

 可愛い鳴き声と、窓を外から引っ掻くようなカリカリという音が聞こえた。驚いてカーテンを開けると、黒いもふっとした猫が窓枠でお座りをしていた。


「……仔猫ちゃん!?」

 窓を開けた私の手に、にゃん。と甘く鳴いて黒猫が擦り寄ってくる。

「そういえば、ここ数日会わなかったわね。なんだか、急に体が大きくなったみたい」


 最近ちょっとずつ体が大きくなってきたと思っていたけれど、姿を現さなかった数日間のうちに急激に成長していた。抱き上げてみたら、艷やかな黒い体にずっしりとした重みを感じた。


「すっかり大きくなって……。猫って、こんなに成長が激しいものなの?」

「にゃぅ?」


「……さすがにここまで急成長するなんて、普通の猫じゃないのね。もしかしたら、魔物の一種だったりするの? なんといっても、魔境伯レナス家のペットだし」


 まぁ、細かいことはどうでもいい。成長しても甘えん坊で可愛いところは変わらないし、凛々しさも加わって、むしろ素敵だ。


「もう仔猫じゃないわね。これからはあなたのこと、『猫ちゃん』って呼ぶわね?」


 機嫌が良さそうに喉を鳴らしているから、『OK』という意味と理解することにした。


「猫ちゃんが私の部屋に来るなんて、初めてね。……入る?」


 にゃあ! という元気な鳴き声は、きっと『Yes』の意味だと思う。床に下ろすと、トコトコ歩いて部屋の中を散策し始めた。


「ふふ。やっぱり甘えん坊ね」


 ――ジェド様に冷たくされて少し寂しい気分だったし、今日はこの子と寝ようかな。


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