【17】スローライフを希望します

「奥方様はきっと、『調律師』に違いありません……これは素晴らしい栄誉です。ただちに魔法庁に申告して、詳細な検査を受けるべきかと」


 応接イスに腰を下ろした魔術師ビクター・リンデルさんは、緊迫した面持ちでそう言った。


 私達は今、応接室にいる。リンデルさんの対面に座っているのは、ジェド様と私。応接室の中にいるのは全部で四人だ。あと一人はというと……。


「おい、ビクター。『調律師』って、あの伝説みたいなやつだろ? お前、本気で言ってるのか?」

 首を傾げてそう尋ねているのは、騎士兼ジェド様お世話係のディクスター・リンデル卿だ。


「もちろん本気です、兄上。私は魔法の探求に人生を捧げる生粋の魔術師ですので、古今東西の魔法の気配を肌で感じることが可能です」

 と、魔術師リンデルさんが答えた。


 並んで座る魔術師リンデルさんと騎士リンデル卿の顔を、私はぽかんとしながら見比べていた――この二人、まったく同じ顔をしている。「こいつらは双子なんだ」と、ジェド様が教えてくれた。リンデル家は魔法に秀でた家柄で、代々レナス家に仕えているとのことだった。


(弟のビクター・リンデルさんと兄のディクスター・リンデル卿……。紛らわしいから、今度から名前で呼び分けてみようかしら)

 などと呑気に考えていたとき、ジェド様が重々しい声を発した。


「……『調律魔法』だと? とんでもなく希少な魔法じゃないか。理論体系はいまだ不明で、一般の魔術師や魔法騎士には発動できない魔法のはずだ。過去六十年、『調律魔法』を使える魔法使い――つまり『調律師』は一人も生まれていない。そうだったな、リンデル?」


 ビクターさんがうなずいた。


「その通りです。人と魔がより身近な存在であった数百年前――混沌の時代には、調律師も多く生まれたと言われております。しかし大陸の秩序が保たれて人が魔から遠ざかるにつれ、調律師は減少したとされています。現在、我が国の調律師は三名――魔宰相クルド様と大賢者リザリー様、魔導司書ハミル様のみでございます。奥方様が調律師だとすると……これは、大発見です!」


 ジェド様とリンデル兄弟の視線が私に注がれた。

(……話が難しくて、よく分からないわ。私のことを話しているみたいだけれど)


 頭の中を疑問符でいっぱいにしていると、ジェド様が私に説明してくれた。


「クララ。調律師というのは、とても珍しいタイプの魔法使いなんだ。……君がその調律師なのかは断定できないが、一応説明だけはさせてくれ」

 

 調律というのは、簡単に言うと『心身の調子を正常化すること』らしい。人間や動植物の内部には魔力や栄養分、水分などがあり、生命の機能を正常に保つために循環しているそうだ。


 でも、それらの流れが乱れると、心身のバランスが崩れて病気や不調が起きるらしい。


「つまり調律魔法というのは、魔力などの巡りを正常化するための魔法なんだよ」


「回復魔法や回復薬ポーションと、同じようなものですか?」


「いいや、根本的に別モノだ。回復魔法やポーションは負傷部位だけに効き、傷の修復を高速で行なうためのモノだ。一方で、調律魔法はタイプの魔法……と言うと分かりやすいか?」


 うーん……分かるような、分からないような……。


「魔術師にとっては、回復魔法やポーションよりも『調律魔法』のほうが価値がある。体内で魔力がうまく巡らないと、具合が悪くなったり魔法を発動できなくなったりするからな」


 ジェド様の言葉を継いで、ディクスターさんが説明を加えた。


「クララ様。若がずっと不調だったのは、魔力が滞っていたせいなんですよ。ほら、最近の若ってなんだか元気でしょ? つまり、若の調子が良くなったのはクララ様が調律魔法をかけてくれたおかげなんじゃないか……と、私の弟は言ってます」


 なるほど。ディクスターさんの解説は、ざっくりしていて分かりやすい。


「でも、私……魔法なんて使えません。私の実家は、魔術師の家系でもありませんし」


 魔法というのは生まれながらの才能であり、基本的には血筋に宿るものだと聞いているけれど……?


 私が戸惑っていると、今度は弟のビクターさんが声を投じた。


「調律師は遺伝ではなく自然発生するものですから、奥方様が調律師だとしても不思議はありません。一般的な魔法は理論体系が解明済なので『魔術』として学ぶことができますが、調律はいまだ不明点の多い魔法でして」


「……あの。ごめんなさい、お話が難しくて」

 私が困っていると、ディクスターさんが翻訳してくれた。


「要するにですね。クララ様は調律魔法を、無自覚のうちに使いまくってたらしいんです。『育てた野菜にクララ様の調律魔法が賦与されてしみこんで、野菜を食ってた若が元気になりました』……みたいな感じです」


「……! 私が畑で育てた植物に、そんな力が?」


 信じられない。私はただ、好きなように花や野菜を育てていただけなのに。まさか、ジェド様が元気になった原因が、畑の植物だったかもしれないなんて……。


 私は思わずジェド様を見た――ジェド様はなぜか、深刻そうな顔をして黙り込んでいる。


「そういえば病気の弟に育てたハーブを食べさせたら、日に日に元気になっていきました。あれもまさか、『調律』の効果だったんでしょうか……?」


 私が尋ねると、魔術師のリンデルさんが目を輝かせた。


「その可能性が高いです。若君、ただちに魔法庁に報告いたしましょう! もし奥方様が調律師として認定されれば、国内四人目の調律師として多大なる功績を――」


 しかしジェド様は、じろりとビクターさんを睨んだ。


「勝手に話を進めるな。クララがすごい能力を持っているということは、理解した。だが、まだ可能性の話だ。クララにどんな才能が眠っていたとしても、申告するかは自由意志だろう? 法的な義務はなかったはずだ」


「おっしゃる通りですが……、このような才能を持ち腐れにするなど……」


「クララ自身の意向も聞かずに、まわりの者が勝手にクララの生き方に口を出すのはおかしい」

 そしてジェド様は、どこか不安そうな表情で私を振り向いた。


「……クララは、どう生きたいんだ?」

「え?」


「君は、すばらしい才能を持っているかもしれない。魔法庁に申告して検査を受け、調律師として認定されれば貴重な人材として好待遇が約束されるはずだ。調律魔法の研究をすると言って王立研究所の研究員になれば、好きなだけ植物を育てたり料理を作ったりできる。調律は未解明な魔法だから、この国の魔法研究に貢献することにもなる。あるいは調律魔法の使い手として、どこかの魔術師団で働くことも可能だ」


 ――君がこの屋敷を出て活躍したいというのなら、俺は止めたりしない。と、ジェド様は言った。


「……ジェド様。お話が唐突すぎて。正直言うと、半分くらいしか理解できていません」


「だったら結論は後日でいい。じっくり考えてくれ」

「いいえ、あの……」


 私はひとつ息をついてから、ジェド様に伝えた。


「私の本音ということでしたら、もう決まっています。私、研究とか魔術師団とかには興味がありませんし……できれば、このままジェド様のお屋敷で暮らしたいです」


 ジェド様は、私の言葉に目を見開いていた。


「このお屋敷で、これまで通りに野菜や花を育てて暮らしたいです。可能なら、今後もジェド様に育てたものを食べてもらったり、お花を愛でていただいたりしたいんですが。……そういう生き方じゃあ、ダメですか?」


 私がそう尋ねると、ジェド様の美貌に笑みが広がった。


「ダメなものか! だったら、この話はこれで終わりだ」

「し、しかし若君……!」


 ジェド様が、唐突に私の手を取った。そのまま立ち上がり、私のことも椅子から立たせる。


「クララ自身が、俺の妻としてここで暮らすことを希望している。だからクララが調律師かどうかを、わざわざ調べる必要はない!」


 そして私の肩を抱き、ぴたりと身を寄せてきた。

(――ジ、ジェド様? 何してるんでしょうか!?)


「俺のクララだ。誰にも口出しさせない!」


 強い口調でそう言うと、ジェド様は私の肩を抱いたまま応接室から出た。

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