15.第2日 徳寿宮(中和門と大失敗)

 さて、徳寿宮トクスグンのご紹介も、いよいよ今日が最後になりました。残すは中和門チュンファムン中和殿チュンファジョンだけです。


 素敵な茶店で一息入れたボクたちは、中和門チュンファムン中和殿チュンファジョンに向かいました。


 中和門チュンファムン中和殿チュンファジョンについても、説明はインターネットから引用したいと思います。


『中和門(チュンファムン)

 1902年に創建された木造建築で、徳寿宮の正殿である中和殿の正門にあたります。正面3間、側面2間の重軒多包系八作屋根(四隅の軒の先が上に反り返っている韓式の家)様式。本来の中和殿は重層正殿だったのですが、1904年の大火災で焼失、1906年に再建され、また1982年にも大幅に改装され現在の姿になりました。創建当時の中和門は現在の門よりはるかに大きかったと考えられています。大韓帝国初期の慶運宮の平面図を見ると、中和門の南側には徳寿宮の正門である仁化門(イナムン)が、大漢門と中和門の間には朝元門(チョウォンムン)がありました。しかし全て焼失してしまい、現在見る中和門はまるで単独建築物のようになってしまいました。また本来は他の王宮と同じように左右に行閣があったのですが、今では全てなくなり、中和門の南東にその行閣の一部だけが残っています。中和門は中和殿とともに宝物(国宝と重要文化財の間)819号に指定されています。』


『中和殿 (チュンファジョン)

 1902年に建立された徳寿宮の正殿で、李朝時代末期に使用されました。正面5間、側面4間の八作屋根形式の中和殿は、中和門とともに1902年に建設されましたが、1904年に火災で全殿閣(チョンジョンガッ)とともに焼失、1906年に再建され、現在の姿になりました。中和殿は一般的な王宮の正殿の使用目的にふさわしく、王の即位式、家礼式、外国使臣の歓迎儀式、朝賀礼儀式など公式行事が行われた場所。中和門から中和殿に続く朝廷の庭には三道と品階石(プンゲソッ)、月台(ウォルデ)など、中和殿内部には御座(オジャ)や透刻曲屏(トゥガッコッピョン)、日月五獄屏風(イルウォロアッピョンプン)などを見ることができます。また内部の天井に刻まれた竜は、王とは品格が異なる皇帝の権威を象徴しているそう。中和殿は中和門とともに宝物819号に指定されています。』


 では、近況ノートをご紹介しましょう。最初の近況ノートが中和門チュンファムンです。URLはこちらです。

 https://kakuyomu.jp/users/azuki-takuan/news/16817330661567551292


 一番上に地図があります。前回ご説明した石垣道トルダムキルの正面に中和門チュンファムンがあり、その奥に中和殿チュンファジョンがあります。


 左1段目が石垣道トルダムキル側から見た中和門チュンファムンの全景です。門の奥に見えているのが中和殿チュンファジョンです。


 左2段目は、同じく石垣道トルダムキル側から見た中和門チュンファムンの上部です。左3段目は、石垣道トルダムキル側ではなく、逆の中和殿チュンファジョン側から見た中和門チュンファムンの上部です。


 右1段目は石垣道トルダムキル側から見た中和門チュンファムンの下部です。奥に見えているのが中和殿チュンファジョンです。右2段目は同じく石垣道トルダムキル側から見た中和門チュンファムンの石段です。


 次の近況ノートが中和殿チュンファジョンです。URLはこちらです。

 https://kakuyomu.jp/users/azuki-takuan/news/16817330661567554481


 左の1段目から3段目までは、中和殿チュンファジョンの全景です。


 右1段目は、中和殿チュンファジョンから中和門チュンファムンを見たところです。写真の奥に見えるのが中和門チュンファムンです。道に石碑のようなものが並んでいるのがご覧いただけると思います。これは位階を示した、品階石プンゲソッと呼ばれる石碑で、近くで撮った写真が次の右2段目です。臣下が整列して王に謁見するときに、自分の位階の石のところで立つようになっています。右3段目は中和殿チュンファジョンにあったので、写真を撮ったのものです。日本に帰ってから調べれば分かると思っていたのですが、調べてもこれが何かよく分かりませんでした。スミマセン!


 さて、ここで、徳寿宮トクスグンで、ボクたちが犯した大失敗のお話をしたいと思います。


  ボクたちが訪問した当時、徳寿宮トクスグンの正門である大漢門テハンムンでは、王宮の伝統行事であった兵士たちの勤務交代式が、平均して1日3回行われていました。


 この兵士の交代式は、朝鮮時代の王宮で門の開閉や警備を担った守門軍(スムングン)の交代儀式を、専門家による歴史考証を通じて再現したもので、正式には「王宮守門将交代儀式(ワングンスムンジャンキョデウィシッ)」と呼ばれています。 そして、ソウルの中心部にある人気観光スポットの、徳寿宮トクスグン景福宮キョンボックンだけにおいて、酷暑時・極寒時を除き、常時行われており、外国人旅行客に大変人気があります。


  すなわち、兵士の交代式は徳寿宮トクスグン見学の売り物の一つだったです。 当然、ボクたち、アホバカ夫婦もこの交代式を見物するつもりでいました。


  しかし、開始時間はガイドブックによると、その時々で変わると書いてあり、ボクたちは徳寿宮トクスグンの入場チケットを買う際に、開始時間を確かめるつもりでいました。


 しかるに、今朝、ホテルでのんびり過ごしてから徳寿宮トクスグンまで歩いているうちに、ボクたちはそのことをすっかり忘れてしまいました。 さらに、大漢門テハンムンの兵士の方がアホバカ妻と並んで写真に納まってくれたりしたので、ボクはますます交代式のことを思い出せなくなってしまったのです。


 徳寿宮トクスグンの入場券を買ったとき、入場券売り場には結構な数の人がいました。このため、アホバカ夫婦は急いで入場券を買って、兵士の交代式のことを何も確かめることもなく、人の波に合わせて流れるように、そのまま徳寿宮トクスグンの中に入ってしまったのです。


  恐ろしいことに、徳寿宮トクスグンの中を散策していても、兵士の交代式のことは、すっかり忘れていました。


 すると・・・前にご紹介した即祖堂チュクチョダンから凌明堂チュンミョンダンへボクたちが歩いている時に、ボクたちの耳に大漢門テハンムンの方向から太鼓の音が聞こえてきたのです。兵士の交代式は太鼓の音に合わせて行われます。


 ボクたちはやっとここで、「しまった。交代式が今、始まったのか!」と交代式のことを思い出したというわけです。 しかし、すでに時遅しで、もう間に合いません。


 前に10時ごろに徳寿宮トクスグンに着くように、ゆっくりホテルを出たことが失敗だったと記載しました。


  もし、もう30分でも早く徳寿宮に着くようにホテルを出たならば、交代式の始まった時は大漢門テハンムンの近くに戻っていたはずですので、兵士の交代式を見ることができたのでした。


 ここでアップする内容は、一応は紀行文の形を取っています。このため、徳寿宮トクスグン見学の売り物である『兵士の交代式』のことが、紀行の中に一行も書かれていないというのは、誠にお粗末な話なのですが・・・この紀行文は、ボクたち、アホバカ夫婦のドタバタ旅の顛末記でもありますので、何卒ご容赦いただければ幸いです(💦)。


 こうして、失敗続きのまま、ボクたちは徳寿宮トクスグン見学を終えたのでした。


 さて、徳寿宮トクスグンを出たボクたちは、次に、徳寿宮トクスグンの近くの崇礼門スンネムン南大門市場ナンデムンシジャンに向かったのです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る