書籍化記念SS

アレンの休日 1

 大陸暦一九〇二年、夏、アルスター。

 アレンは一人、上機嫌でアルスターの駅に降り立った。


 本日のいでたちはごく普通のスーツ。トランク、手袋、革靴。うん、どこにでもいる「普通の紳士」だ。帽子を目深にかぶれば、顔の半分くらいは隠れるし。

 帽子のつばの奥から赤い目で駅のホームを見渡す。


 人々は一目散に改札を目指しており、誰もアレンに注意を払わない。

 よしよし。


 まあ誰もこんなところを国王が一人で歩いているなんて思うはずもない。

 ポケットから懐中時計を取り出して時間を確認する。我が国の鉄道は今日も定刻通りに運行中だ。素晴らしい。

 今日は鬱陶しい護衛も口うるさい侍従もいない。

 快適である。


 別にあくどい方法で自由を手に入れたわけではない。


 ――休暇だからな。どう過ごそうとオレの勝手だ。


 まあ、黙って出てきたのはよくなかったかもしれないが、書置きは残してきたし、毎年のことなんだからみんなわかっているだろう。たぶん。


 アレンが国王に即位して四年。忙しくなることは覚悟していたが、なんと、国王は夏と冬にまとまった休暇をもらえるのである。東方軍司令官時代には存在しなかった長期休暇だ。

 素晴らしい。


 この休暇を使って、アレンはいつも国王即位前に過ごしていた王国東部、東方軍司令部があるグレンバーを訪れていた。司令官として赴任した際に購入した別荘で過ごすのが、アレンの長期休暇の過ごし方だった。

 グレンバーは、国防の要であるが、それ以外にこれといった特徴がない地方都市である。

 すぐに退屈する。


 そこでアレンはよく、グレンバーから列車で四時間ほど離れたアルスターを訪れていた。

 田園風景が広がるアルスターには最近、大きな紡績工場ができたため、活気が出てきている。

 その紡績工場の経営者こそ、アレンがアルスター訪問の目的にしているドワーズ夫妻だ。

 まあ、ドワーズ夫妻なんてどうでもいい。

 どうでもいいといっては失礼か。あの二人をからかうのも目的だが、アレンの主な目的はあの夫妻の一人娘だ。今年で四歳になる女の子がいるのである。


 めゃくちゃかわいいのだ。

 もはや、彼女に会うためにアルスターを訪れているといってもいい。

 その話をすると、今や側近となっているスコットが世にも恐ろしいものを見る目付きになるのがちょっと気になるが。


 ――そういやそろそろスコットが書置きに気付いて騒ぎ出す頃かな。


 コードネーム「青」ことスコットの顔を思い浮かべ、アレンは小さく笑った。非常に優秀だが、スコットは胃が弱いのだ。

 初めて会ったときに青白い顔をしていたので、コードネームを「青」にしてしまったくらいだ。もっとも彼の胃痛の原因の八割がたは自分にあることを、アレンとて自覚している。


 アレンは懐中時計をパチンと閉じてポケットにしまうと、うきうきと彼女のために選びに選んだ土産を詰め込んだトランクを持って、改札口へと向かった。




 辻馬車を見つけて乗り込み、アルスターの領主の屋敷に向かう。

 駅前は毎年賑やかになっていくが、少し離れると見慣れた田園風景が広がる。


 鮮やかな緑の波を、目を細めて見つめながら馬車に揺られ続け、アルスターの領主、ドワーズ家の広大な敷地に到着してみれば、誰も迎えに出てこない。

 来ることを予告していなかったとはいえ、玄関をノックしても誰も出てこないのはおかしい。

 しばらくドアを叩き続けたが、埒が明かないので勝手にドアを開けて中に入る。

 人の気配がない。


「……玄関に鍵もかけないで出払っているなんて、不用心だな」

 帽子を脱いで屋敷の中を探索していると、

「……え、アレン……陛下……?」

 透き通った声が聞こえてきた。


 目を向けると、家族用の居間のドアを開けてこの屋敷の女主人セシアが顔をのぞかせている。


 ドワーズ侯爵夫人セシア。アレンが夢中になっている女の子の母親である。


 とてもきれいな女性だが、今日の彼女は青白い顔にひび割れた唇、落ちくぼんだ目。長い茶色の髪の毛はゆるくまとめて背中に流している。

 明らかに体調が悪そうだ。何より、寝間着にガウン姿。人前に出る姿ではない。それでも出てきたということは、何かがあった。


「セシア夫人。久しぶりだね……なんだか様子がおかしいが、みんなはどこへ?」

「実は、オリヴィアが見当たらなくて、みんなで探しているんです」

「なんだって?」


 オリヴィアは今年で四歳になるセシアとクロードの娘だ。

 アレンが成長を楽しみにしている女の子である。


「わ……私が夏風邪で寝ているものですから、私を元気づけようと、何かを捜しに出かけたらしくて」

「何かって?」

「それがわからないのです。森の方に向かったらしいので、夫と使用人たちは総出で森を捜しに行きました。森の奥に迷い込んだらそれこそ無事ではいられませんから」


 言いながらずるずるとセシアがドアにもたれるように座り込む。アレンはその場にトランクと帽子を放り投げると、セシアに駆け寄った。


「オレも捜しにいこう。あなたは横になっていなさい。まだ熱があるじゃないか」


 抱き上げたセシアは華奢で軽く、その上、じっとりと熱かった。

 でも、とぐずるセシアを問答無用で居間のソファに下ろして寝かせ、着ていた上着を脱いでかぶせる。


「クロードが捜しているんだろう? なら大丈夫。あいつはオレの工作員の中でも優秀だった」


 安心させるようにそう言って、アレンは居間を飛び出した。

 四歳児、といえば、好奇心が旺盛で怖いもの知らず。ちょろまか走り回って大人を困らせるお年頃だ。

 おてんば娘だったというセシアに似て、オリヴィアもまたかなりのおてんば娘で、母であるセシアを嘆かせ、父であるクロードを振り回している。

 休暇ごとに訪れているので、アレンもオリヴィアのことはよく知っている。


 赤ん坊にはなんの興味もなかったが、あの、無表情で冷徹な工作員だったクロードが赤ん坊のご機嫌とりに必死になっている姿がおもしろくて眺めているうちに、アレンも赤ん坊のご機嫌とりをやってみたくなったのだ。


 最初は大泣きされて「面倒くさい」と思った。こんなに小さいのに意外に赤ん坊は重い。じっとしていない。こんなものをずっと抱っこしてあやしているなんて、クロードすごいな。右腕は傷ついたまま元に戻らなかったはずなのにな、と思いつつ、それでも預けられた赤ん坊を放り出す気にはなれなかった。

 腕に感じるずっしりとした重みと体温、ふんわり甘いにおいに、この子は自分が守らなくては。そんな気持ちにさせられたのだ。


 そのうち赤ん坊が慣れてニコニコしてれるようになると、かわいくてしかたがなくなった。今は彼女の成長を見守るのが楽しくてならない。

 その、オリヴィアの一大事!


 屋敷を出たところで、アレンは目を細めた。

 森の方角には屋敷の人間が総出で向かっている。

 森でない可能性は?

 この近くには川が流れている。大きな川ではないが、四歳児には危険かもしれない。

 水辺の近くにいなければ喫緊の問題はないとみなしていいだろう。


 ――とりあえず、川だ。


 アレンは川に向かって走り始めた。

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