第20話 新婚旅行なんて、本気なの? 2
旅行は七月下旬の予定である。出発までしばらく時間があるので、せっせと荷造りをしていたある日、セシアのもとに手紙が届いた。
差出人は母方の祖父母。開けてみると「私たちもオリッサへ行くことにした。孫娘の夫に会えることを楽しみにしている」という内容だった。
「……寝室は別々でも……」
「まあ、無理だろうな」
手紙を見せてルイに相談すれば、ルイがあっさり答える。
「どうするの。あなたと一緒なんて」
「俺は床でも眠れる。気にするな」
「気にするわよ」
「じゃあ廊下で寝る」
「向こうのおじい様とおばあ様に変に思われるじゃない」
セシアは溜息をついた。
何かいい案はないかと考えを巡らせたが、何も思い浮ばない。オリッサの別荘に行ったことはあるのだが、なにぶん幼かったので記憶はおぼろげだ。とはいえ、別荘の作りなんてどこも一緒だろうから、きっと寝室と居間が一緒になっているタイプの部屋に違いない。ルイには悪いが、ソファに寝てもらおう。ルイがごねたらセシアがソファでも構わない。寝相には自信がないので、床に転がるはめになるかもしれないが……。
そこまで考えて、「それじゃ、ルイと同じね」と思い至りおかしくなった。
「……何がおかしい?」
心の中で笑ったはずだったのだが、ルイに聞かれてしまった。思わず笑みを浮かべていたらしい。セシアはあわてて表情を引き締めた。
――まあ、もう、着いてから考えよう……。
アルスターでいくら悶々と考えたところで、解決策が出るわけもない。現地を確認して臨機応変に対応しよう。セシアはそう結論付けた。
それから二週間の間は、追悼式に参加した人への礼状を送ったり、時々訪れる弔問客を相手したり、しばらく顔を出していなかった地域の集まりに出席したり、貧困院を訪問したりして過ごした。
セシアとしては、軍に絡んでいるうえに、いつになるかは不明ながら離縁前提の結婚であるため、あまり自分の結婚の話が広まるのは避けたかったのだが、なにぶん領地を治める侯爵家のお祝い事である。話はすっかり広まっており、お披露目として「夫」を紹介せざるをえなかった。
会う人会う人、いい人に巡り会えてよかったと喜んでくれると同時に、子どもを期待されることには辟易した。
軍の捜査終了後、セシアの名誉は回復してもらう約束をしている。つまりセシアは軍に協力しただけであり、この結婚が「白い結婚」であること、そして結婚という事実そのものを消してもらうのだが、ビジネスパートナーというドライな関係でしかないルイとの関係を「夫婦」として見られるのはなんだか……。
ルイとは相変わらず別室である。当然、既成事実も何もない。そもそもセシアには男性経験がないこともあり、「肉体関係がある」という目で見られると気持ちが落ち着かない。
そして、ジョスランを焦らせるために仲良くすると、「白い結婚」であると信じてもらえなくなるのではないか? そんな危惧が胸に沸き起こった。
――でもそこまでの責任を取れとは言えないわよね。叔父様の悪事を暴くために、私も「結婚」を利用したんだもの。
第一、セシアの経歴に離婚歴が加わったところで、きちんと理由はあるのだし、どうせ結婚をするつもりはないのだし、
――私の評判なんて、別にどうでもいいか……。
そんなこんなで二週間が経過し、いよいよセシアとルイは新婚旅行へと出かけることになった。滞在期間は一週間。夜明けの早い夏の、それでもまだオレンジ色の朝日が差し込む時間帯に屋敷の人間に見送られ、セシアの世話係となるメイドを一人引き連れた三人で、馬車に乗り込む。
駅に到着し、ルイが乗車手続きをしている間、セシアとメイドは一等客用の待合室にいた。時間が早いせいか、人はまばらだ。ルイが切符を手に戻ってくる。しばらくして、駅員が列車の到着を告げに来た。
やがてプラットホームに黒煙を吐き出しながら、鋼鉄の先頭車両が入ってくる。鉄道の利用は数えるほどしか経験していないせいか、セシアはいつもその迫力に圧倒されてしまう。よくこんな大きなものを、人の手で作り出せたものだと思う。
プラットホームと車両の間には隙間があるからか、ルイが左手を差し出す。その薬指にはセシアと同じデザインの指輪がはまっている。それにしても、なぜ左手なのだろう? マナーでは右手のはずだが……。
若干の違和感を覚えつつ、ルイの手を借りて列車に乗り込む。乗り換えを含んで十二時間、王都よりも遠いオリッサへの旅が始まった。
***
オリッサに着いたのは夕方になってから。到着時刻を連絡していたので、迎えの馬車が駅の前で待ってくれている。馬車の御者とルイで荷物を運び、馬車に乗って別荘に移動する。
「まあ、よく来てくれたわね」
玄関で、祖父母が待っていてくれた。久しぶりに会う母方の祖父母にセシアは嬉しくなり、二人に抱き着いた。近づいてみて、二人がずいぶん小さくなってしまったことに気付く。それに髪の毛も真っ白になっているし、顔には深いしわが刻まれている。
歳月の流れを感じる。遠くにいるからあまり意識していなかったけれど、母方の祖父母も確実に老いている。
――……ドワーズのおじい様だけでなく、この二人も、私を置いて逝ってしまうんだわ。
それは当たり前のことだけれど。
「いくつになるのかしら。ルイーズに似てきたわ」
「二十二になります、おばあ様」
「なかなか嬉しい便りが届かないから、心配していたのよ。素敵な方ね」
祖母がルイににっこりと笑いかける。ルイのことは前もって手紙で知らせていたからか、「身分差が」「働いているなんて」などという反対意見が出てくることはなかった。時代の流れとして、平民の富裕層が力を増す一方、経済力のない貴族の存在感はどんどん薄れていっている。背に腹は代えられないと経済援助を目的に平民の富裕層と結婚する貴族も少なくないため、昔ほど身分差に関しては言われなくなってきているとは思う。……それでも、裕福な侯爵令嬢のセシアと、子爵家の出身で表向きは会社経営者であるルイとでは、やはりちぐはぐな印象を与えてしまうようだった。
晩餐を囲みながら、祖母から「どこで出会ったの?」「どんな方なの?」「ルイさんは、どんな仕事をされているのかしら」などなど、出るわ出るわ質問のオンパレード。打ち合わせしていない質問もバンバン飛び出し、視線をさまよわせるたびにルイがきっちり受け答えしてくれたので、なんとか祖母の質問攻撃はかわすことができた。
しかしここまで詳細に聞かれてしまうとなると、おそらく祖母の関係者に孫夫婦の噂は一気に広まるだろう。期間限定の偽物夫婦である、できればあまり噂を広めてほしくなかったのだが……。
「でもよかったわ。ドワーズ侯爵の悲報には本当に驚いたけれど、何よりセシア、あなたが一人ぼっちになってしまうことが心配でたまらなかったの」
にこにこしながら祖母が言う。その笑顔は、すっかり遠くなってしまった母の笑顔にも似ている気がして、セシアは胸が詰まった。
「こんなにしっかりした男性と一緒になれたのだから、きっと大丈夫ね」
「ええ……ええ」
「ルイさんも、セシアをよろしく頼みます。私の娘の忘れ形見なの……本当にルイーズに似ているわ。きっとあなたたちの子どもは、かわいらしいでしょうね。ああなんだか、元気が出てきたわ。私、ひ孫を抱っこするまで元気でいることに決めたわ」
うふふ、と笑う祖母に「気が早いわよ」と笑って答えながら、セシアの胸には申し訳ない気持ちが広がっていった。
ルイとの結婚は偽物なのだ。だから、子どもはできない。そういう約束だから。
祖母にひ孫を抱っこさせてあげる日は来ない。少なくとも、夫がルイである間は。
――こんなに喜んでくれているのに。
実は軍の依頼で結婚したフリをしていただけなんです……なんて、言えない……。
晩餐後は「疲れたでしょう。ゆっくり休んでね」という言葉とともに客間に追いやられたのだが、当然、寝室にはベッドがひとつしかなかった。
「長椅子がある。俺はこっちでいい」
居間のほうには長椅子やテーブルなどの調度品が置いてある。ルイはその長椅子に寝室から自分の枕だけを持ってくると、どさりと横になった。長身なので、膝を曲げるかひじ掛けに乗せるかしなければ、脚の置き場がない。
「でも、そこじゃ疲れが取れないでしょ?」
セシアは寝室と居間をつなぐドアの前に立ち、無駄に広いベッドと、硬くて狭い長椅子を見比べながら言ってみた。
「真ん中に仕切りみたいなものを置いて、ベッドを半分こするのはどう?」
「あんたはバカか?」
ルイは長椅子に寝っ転がったまま、呆れた視線を寄越してくる。
「バカって何よ、バカって。一応気遣ってあげただけじゃないの」
「悪いことは言わないから、さっさと風呂に入って寝ろ。あんたが戻ってきて、寝室に鍵をかけたら俺は風呂に行くから」
「……あんた、と呼ばれるのは、好きじゃないわ。前にも言ったでしょう」
「わかった、セシア嬢だ」
「それもだめ。他人行儀すぎるわ。これからはセシアと呼んで」
いつか呼び名を改めてもらおうと思っていた。ようやく切り出せてほっとしているセシアに、長椅子に転がったまま、ルイが青色の瞳を向ける。
青い瞳は苦手だ。クロードを思い出す。
「……わかった、セシア。俺は眠い。さっさと風呂に入って寝室に戻り、鍵をかけてベッドに入るんだ。あまり俺に気を許すな」
それだけ言うと、ルイは目を閉じてしまった。
このまま寝てしまうのではないだろうか? 昼の服装のままで?
この別荘に客人用の浴室はひとつしかないから、交代で入るしかないのだ。
ルイのためにも早く入浴を済ませなければ。セシアは隣の控室にいるメイドを呼び出すと、あわてて浴室に向かった。
たっぷりの湯につかって汚れを落とし、体がポカポカしてくると急速に眠くなる。半分瞼が閉じた状態で部屋に戻ると、ルイが驚いたような顔をするのが見えたが、お構いなしにセシアはさっさと大きなベッドに飛び込んで意識を失った。もちろん、寝室の鍵はかけ忘れた。
「無防備すぎるだろ……」
上掛けもかぶらずに広いベッドで一人ひっくり返っているセシアに、ルイが呆れたように呟いて上掛けをかけてくれたことなど、もちろんセシアは知る由もなかった。
少し湿り気を帯びたセシアの髪の毛をかき上げて、そっと白い頬を撫でていたことにも。
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