第二章 偽装夫婦の始まり

第13話 偽装夫婦の始まり 1

 ルイの訪問から二週間後、セシアはアルスターの教会に立っていた。

 着るつもりはなかった母の形見の花嫁衣装をまとい、ベールをかぶって。


   ***


 祖父の死から三週間しか過ぎていない。いくらなんでも性急すぎやしないかと思ったが、ルイに啖呵を切った手前、そうせざるを得なかったのだ。祖父の死去の知らせとともに自分の結婚の知らせまで新聞に載せることになるなんて、事情を知らない人が見たらどう思うだろう。しかも、セシアの結婚に関してはごくわずかな人間しか招かないことも書かれていた。


 ――明らかに相続のためにあわてて結婚したのがバレバレよね。


 自分の味方であり早く結婚しろと言ってきたトーマですら、セシアの結婚話には大いに慌てて「相手は信頼できるのか」「挨拶にも来ない人物と結婚なんて非常識」とやいのやいの騒いだので、セシアははしかたなく一度ルイに来てもらったくらいだ。


 王都で貿易関係の事務所を経営している、という設定で現れたルイは信じられないくらい社交的で、セシアは度肝を抜かれた。

 話に破綻もなく、上流社会の話題もきちんと押さえていた。セシアにすら親しみを感じさせる笑顔を向けてくるので、もうセシアはそんなルイに合わせるので精いっぱいだった。

 ルイは子爵家、セシアは侯爵家。身分の差が一番のネックだったが、恋愛結婚という設定である、セシアも頑張ってニコニコし「この人以外とは結婚できない」とまで言ってのけた。

 その甲斐あって、保守的な考えのトーマも「よい方と結婚することになって、本当によかった!」と感激してくれたのだが。


 ――全部嘘です作りものです……。


 しかも遠くない将来、離縁……というか結婚自体がなかったことになる予定だ。

 セシアにとってトーマは父親のようにも祖父のようにも感じる存在だ。騙していることに、うしろめたさがないわけではない。


 そして一難去ってまた一難。次に待っているのはジョスランへの連絡だった。連絡を入れるのが憂鬱でたまらなかったが、何しろ期日が迫っていたため、悪い考えにとらわれて身動きできなくなる前にジョスランに対し手紙を送ることができた点だけは、よかったのかもしれない。


 案の定、これから人を殺す勢いでジョスランが屋敷に乗り込んできたのは、式の三日前だ。引きずられてきたのだろう、カロリーナの動揺した目が憐憫を誘う。連絡を受けてすぐに王都を出発したに違いなく、トランクの数からまともに荷造りもできなかったことがうかがえた。


 いきなり現れたジョスラン夫妻に、使用人たちがあわてて客間の準備を始める。そしてセシアはというと、到着早々のジョスランに玄関ホールで詰め寄られていた。残念ながらルイは東方軍司令本部のあるグレンバーに戻っている。セシアは一人でジョスランの相手をしなければならなかった。


「前から結婚するつもりだったのなら、なぜ僕に紹介しない?」


 しごく当然のことを言われ、セシアは返答に詰まった。


「それは……、まだおじい様にも紹介していなかったから……」

「父の許可も得ていない人間と結婚するのか? ドワーズ家は由緒ある家柄だぞ、それも当主は侯爵の称号を得ている。誰とでも結婚できるわけじゃないことくらい、わかっているだろうが」


 それはもうその通りである。

 さあどう言い逃れようか。ジョスランが心配しているのは、世間体ではなく財産の行方だろうから、財産のことについて話題を持っていこうか。


「確かにお相手の方は子爵家で、ドワーズ家よりも低い立場ですけれど、れっきとした上流社会の一員です。それにきちんと仕事も持っていらっしゃる」

「仕事! 仕事をしないといけないような人間と侯爵家の人間が結婚するのか」

「この国の王子様だって、お仕事をしていらっしゃいますわ」


 労働は労働階級がするもの。それはジョスランが否定した古臭い貴族階級の考えなのだが、こういうところにはこだわるようだ。

 セシアは東方軍司令部の司令官が第二王子であることを思い出し、そう切り出した。


「あれは名誉職だ。一般人と一緒にするな」

「それに誰と結婚しようと、この家の相続人は私なんです。私が頷かなければ、たとえ私の夫であってもこの家の財産に触れることはできません。何一つ、彼は持っていくことができない。ドワーズ家は私が守ります」

「……セシア、おまえはその男を愛しているか?」


 きっぱり言い切ったセシアに、ジョスランが聞いてくる。

 突然の話題転換に面食らいながら、セシアは頷いた。セシアが身分の垣根を超えても結婚したいと思う相手だ、愛していなければおかしい。土壇場で結婚したのが相続のためだというのは見え見えかもしれないが、相続人としての権利を奪う行為を公然と行っていると知られたら、セシアだけでなくドワーズ家の評判も地に落ちる。イヴェールの捜査にも支障が出るだろう。


「もちろんです」


 セシアの答えに、ジョスランが「ハッ」と小さく鼻で笑った。その態度にかちんとくる。


「女はすぐに愛とやらに盲目にされる。愛している人間のためならどこまでも愚かに振る舞えるようになるんだ、セシア。男に入れ込んで身を滅ぼした女の話には枚挙に暇がない。実例を知りたいなら教えてやろうか? そういう女は何人も知っている」

「それは私が、彼を愛するあまりにこの家の財産を渡してしまうと言いたいの?」


 セシアはジョスランをキッと睨みつけた。


「私はこの家を愛しているわ。とても大切に思っているし、守りたいとも思う。いくら彼を愛しているからといって、それとこれとは別よ。この家を傷つけるようなことはしない!」

「おまえのその盲目的な愛が、この家を滅ぼすんだ」

「は……? どうしてそうなるんですか?」


 話が飛躍しすぎだろう。セシアはジョスランを睨みつけたまま聞き返した。


「前にも少し話したが、時代の主役は貴族から商人たちに変わりつつある。今まで通りのやり方では生産性に劣る。この家を今まで通りに維持しようとしても、やがてお金が足りなくなるんだよ。時代に合致した新しい方法で資産を増やしていく必要があるんだ」

「それで、この家の財産をお金に代えていたわけですね。その新しい方法とやらに失敗したらどうするんです、財産を失うだけじゃないの! 今までだって、そうやって……」

「おまえに何がわかる!!」


 ジョスランが大声で怒鳴る。その声にセシアだけでなく玄関ホールにいた人が全員、ジョスランに目を向けた。


「王都に来ることもなく、アルスターの屋敷でドワーズ家の名前に守られてぬくぬく過ごしてきたおまえに、何がわかる。知ったような口をきくな!」


 ジョスランの剣幕に、セシアは呆気にとられた。


「……僕はおまえを許すつもりはない。この結婚だって相続のために仕組んだものだろう。証拠をつかんで絶対に暴いてやるからな……おまえも、兄上も、父上も、どこまで僕をばかにすれば気が済むんだ……! とにかく僕はこの結婚には反対だ!」

「叔父様が反対されても、国王陛下からお許しはいただいております」


 ルイからは結婚許可証は取れたという連絡が来ている。

 セシアの冷静なツッコミに、ジョスランが顔を歪めた。


「わかっているさ。僕が反対したところで、おまえは結婚するだろうよ! 家を守るためにな!」


 言うことは言い終えたのか、ジョスランがくるりと背を向けて去っていく。

 ジョスランがセシアの結婚に反対することはわかっていた。目の前で遺産が横取りされるのだから。


 ――偽装結婚だとバレたら、何かの罪に問われるのは間違いなさそう。


 選択肢がなかったとはいえ、なんと面倒なことに足を突っ込んでしまったのだろうか。セシアは今さらながらにうんざりした。なんでこんなことになったんだか。

 はああ、とセシアは盛大に溜息をついた。


 できる気がしない。失敗したらどうしよう。偽装だとバレたら? 弱気になる自分の脳裏に浮かぶのは、セシアを小ばかにしたようなルイの姿だ。


 彼は「任務はきっちりこなす」と言った。そんなルイに対してセシアも「あなたなんかいなくたって立派に侯爵夫人をこなしてみせる」と叫んでしまった。

 言ってしまった手前、ルイを頼ることも弱音を吐くこともできない。

 やるしかないのだ。


 セシアはほっぺたをたたき、気合を入れた。

 そのセシアのもとにリンから「ジョスラン様がお嬢様の寝室の場所を知りたがっておいでなんですよ。なんと答えたらいいか……」という報告があがってきたのは、しばらくしてからのこと。セシアは大慌てで両親が使っていた寝室に向かった。


 ルイとは偽装結婚なので、セシアは自分が使っている部屋をそのまま使い、ルイには客間を使ってもらうつもりでいた。だがジョスランが乗り込んできて「偽装結婚である証拠」を探しているのだとしたら、そんなことはできない。恋愛結婚の二人の寝室が別々なのは明らかにおかしいからだ。

 だからセシアとルイは同じ寝室でなければならない。


 ――最悪……。


 祖父はまだ追悼式を迎えていない。新婚用におおっぴらに改装するのも憚られて、寝具のカバーだけ取り替えることで改装を間に合わせることにした。

 問題は……、


 ――私、どこで寝よう……。


 真新しいベッドカバーと交換された両親のベッドを眺めながら、セシアは再び盛大に溜息をついた。

 当然だが、両親の部屋にベッドはひとつしかない。

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