第12話 来訪者 4

 セシアの言い分。


・祖父は叔父に殺害された可能性がある。だが証拠がない。証拠がほしい。

・叔父がドワーズ家の当主になると、この家も自分もどうなるかわからない。執事のトーマは叔父の相続には反対の立場。

・そのためには今からひと月以内に結婚しなければならない。


 イヴェールの言い分。


・祖父は叔父に殺された可能性がある。

・その際に使われたのは、軍の研究所から逃げた研究員が開発していた試験薬。

・叔父がドワーズ家を継いで財産を相続し、研究員を応援するようなことになっては困る。

・だからセシアにドワーズ家を相続してほしい。だが相手がいないので、形だけの結婚をしてほしい。

・そうすれば叔父が怒って研究員から試験薬を提供してもらい、セシアに使ってくる可能性が高い。……ここを捕まえる。

・協力に応じれば、叔父が祖父を殺害した証拠を提供してもらえる。

・これは軍事行動だからセシアに拒否権はない。


 セシアとしてはドワーズ家の遺産よりも、祖父を殺害したという「証拠」がほしい。それが事実なら叔父には罪を償ってほしいし、当然、祖父が大切にしていたドワーズ家の財産には触れてほしくない。……強欲な叔父はきっと、ろくなことに使わないから。


 ――作戦がうまくいかなかった場合でも、証拠は提供してもらえるのかしら。


 そもそも証拠とは何だろう……。




 誰にも相談できないので、セシアはぐるぐるとそのことを考え続けた。

 そしてイヴェールとルイの訪問から二日後、今度はルイだけがセシアのもとを訪れた。

 玄関で出迎えれば、今日もきっちり軍服を着こんでいるが、入ってきてすぐに帽子は脱いだ。「似ていない」という結論を出したはずなのに、目に飛び込んできた瞬間のルイが「大人になったクロード」に見えて、ドキリとなる。


「今日は、イヴェール少佐はいらっしゃらないの?」


 応接間に通しながらどぎまぎしながらルイが一人だけであることを指摘すれば、彼は素直に頷いた。


「東方軍司令部司令官の書面を届けに来た」

「……一昨日の話なのに、ずいぶん早いのね。本当に司令官ご本人のものなの?」


 この人が夫になる。拒否権はない。好きで弱い立場になったわけではないのに弱者にされたのは納得しかねる。なので、どうしても言葉に険が混じってしまう。

 訝しがるセシアの前で、ルイが鞄の中から一通の封筒を取り出した。

 手に取ると、ばらに剣が交差する王家の封蝋がしてある。王家の紋章。


「東方軍の司令官は第二王子のアレン殿下だ」


 ちらりと目を上げたセシアに、ルイが答える。なるほど、それで王家の紋章。

 封を切らなければ、と思っていたらルイが鞄の中からナイフを取り出し、差し出してきた。セシアは受け取ると封筒に差し込み、一気に引く。ナイフをルイに返して中身を取り出してみる。


『セシア・ヴァル・ドワーズ嬢のために、証言の提供と名誉の回復を誓う アレン・デイ・クレーメル』

 

 王家の紋章入りの書状にたった一行。セシアは呆気にとられた。なんというか、ものすごく簡潔。

 この結婚が、間違いなく軍の捜査のためのものだということがこれで証明された。

 セシアは書面とルイを交互に見つめた。


「最初に言っておく。俺にとってこれは任務であり、それ以上でもそれ以下でもない。俺の目的はフェルトンであり、あんた本人にはこれっぽっちも興味はない」

「――!」


 なんと声をかけたらいいか迷っていたセシアに対し、ルイがずばりと言う。セシアは思わずたじろいだ。


「だから余計な心配はしなくていい。その代わり任務以上のことはやらない。そこは肝に銘じておいてくれ」

「……そんなの、言われるまでもないわ」


 セシアは険しい目つきでルイを睨んだ。


「好き好んであなたと結婚するわけじゃないもの。あなたになんて、何も期待していないわ」

「そうか、安心した。女はいろいろ面倒くさいからな」


 セシアの言葉にルイが頷く。

 面倒くさい!?


「ご安心を。あなたなんかいなくたって、りっっっっっっぱに、侯爵夫人を務めて見せますから! あなたこそ、ドワーズ家の名前をふりかざしたり私に命じたりなんてことは、絶対にしないでくださいね?」


 セシアは嫌味を隠すことなく、思いっきり顔をしかめて言い放ってやった。


「期待するわけないだろう。貴族社会なんて面倒なばかりで関わり合いになどなりたくない。それで軍に所属しているのに」


 ルイの瞳には侮蔑の色が浮かんでいる。貴族に対して? それとも貴族の中でも地位が高い侯爵家を守ろうとしているセシアに対して?

 これは明らかな侮辱だ。

 ルイがどう思おうと、セシアは伝統と格式があるドワーズ家を愛している。ばかにされる謂れはない。


「ちょうどいいわ、あなたにも書面で約束をしてほしいの。言葉だけなんて信用ならないから」


 セシアはそう言うと大慌てで応接間を飛び出して書斎に向かい、祖父の文箱をつかむと応接間に取って返した。

 なんだか無性にイライラする。ばかにされたからイライラするのは当然だが、イライラを増長させる要因として、やっぱりクロードに似ているというのもある気がする。セシアにとって大切な人物のイメージを、このルイ・トレヴァーという男によって汚されているような気持ちになるのだ。

 乱暴に文箱を開けて中から便箋を取り出し、ルイの前にバンと置く。


「私にも、ドワーズ家の財産にも指一本触れない。ドワーズ家を貶めるような行いはしない。そう書いて、誓って」

「……あまりこういうものは残さないほうがいいのだが」

「私の気が済まないの。それともあなたは私に言葉だけで信頼されるほど、私の信用を得ているとでも?」


 セシアが睨むとルイが鼻白んだ顔をしたが、セシアを納得させるのは無理とわかったのか、右手でペンを取りインクを付けて、真っ白な便せんにゆっくりと、セシアの言葉をそのまま書いていく。


 ――あら……?


 ペンを持つ手が震えている気がするのだ。

 ルイを見ると、切れ長の目をぎゅっと寄せて、慎重に字を記している様子が見てとれる。


 ――軍人だから字を書きなれていないとか……?


 だが彼は子爵家の人間。貴族の令息なら寄宿学校を出ているはずだ。

 たっぷり時間をかけて出来上がった誓文は、お世辞にも上手とは言えない字だったものの、読み取れないというほどではない。


「……いいわ。何かあったらこれを盾にアレン殿下に言いつけるから」

「ご勝手に」


 誓文を見て宣言したセシアに、ルイはペンを置きながら答えた。


「上からの指示で、結婚はなるべく早めにと言われている。結婚許可証が取れるのは最短でも一週間から十日くらいかかるから、二週間後だな」

「そんなに早く!?」


 素っ頓狂な声を上げたセシアに、ルイがうるさそうに目を細めた。


「ドワーズ侯爵の逝去からひと月以内の結婚が条件なんだ、しかたがない。形だけなんだから特別な準備も不要だ。ああそうそう」


 ルイが右手を差し出す。約束成立の握手かと思っておとなしく右手を差し出したが、ルイはその右手を無視してセシアの左手を取り、大きな指先でセシアの指をなぞる。

 ゾク、とわけのわからない感覚が背筋を駆け抜けた。


「……指輪はこちらで用意する」


 ルイが手を離すや否や、セシアは左手を奪い返して右手で握り込んだ。


 ――指輪のサイズを確かめただけ……。


 そうはわかっても、いきなり手を取られたことの動揺はなかなか引かない。

 断りもなく触って来るなんて卑怯よ、びっくりするじゃない。心臓がドキドキする。そのドキドキがなかなか引かない。

 それはそうだ、知らない男性にいきなり指をなぞられたことなんて一度もないんだもの。動揺して当然だ。


「軍内部での段取りがあるからな、それが決まったらまた連絡する。あんたは」

「セシアよ。あんたなんて呼ばれる筋合いはないわ、私はそんなに安っぽい女ではないの。私もあなたのことはルイと呼ぶ。夫になる人ですものね」


 セシアは動揺を隠すように挑戦的に睨みつけた。


「……いいだろう。セシアは、まず俺と結婚することをまわりの人たちに告知してくれ。くれぐれも偽装結婚であることを悟られないように。ちなみにフェルトンと俺は司令部で顔を合わせているから、軍人と結婚するというと警戒するおそれがある。だから結婚相手は民間人という設定でお願いする。だからあんた……セシア以外には素顔を見せていないだろう」


 ルイがマナー違反だが室内でも帽子を取らないままでいたのは、そのせいだったのか。

 話はそれで終わったのか、ルイが立ち上がる。


「……それはいいけれど、あなたとの馴れ初めは? それくらいはすぐに聞かれるわよ」


 セシアはソファに座ったまま、ルイを見上げた。


「貧困院慰問で出会ったとでも言っておけばいいだろう」


 なんともそっけない答えだ。


「ええ、そうする。ということは、ルイと私は恋愛結婚ね」

「そうなるな」

「私たちの結婚が偽装だとバレてはいけない」

「ああそうだ」

「じゃあ、せいぜい頑張りましょう、恋愛結婚の夫婦役を」


 嫌味をたっぷり込めたつもりだが。


「……そっちこそな」


 ルイは表情を変えることもなく返事を寄越してきた。

 帽子をかぶるとルイは執事が現れるよりも前にさっさと屋敷を出ていく。

 ああなんだかイライラする!


「セシア様、先ほどの方は先日の……?」


 挨拶の一言もなく去っていった客人に対し、トーマは戸惑いを隠せないようだ。


「どのようなご用件だったのですか?」


 そういえば「秘密にしろ」と言われていたので、イヴェールとルイの訪問理由について、トーマには説明していないことを思い出す。

 ルイと結婚するのだから、彼は再びここを訪れる。

 トーマに同一人物だと思われてはいけないということか。

 

「……おじい様の軍歴について少し確認したいとのことだったんだけれど、なんだか人違いだったみたい。もう来ることはないと思うわ」


 祖父の来歴はセシアよりもトーマのほうが詳しいのだが、セシアはそう言ってトーマに微笑んだみせた。

 トーマは依然として困惑した表情を浮かべている。


「そうそう……それとね。私、結婚することにしたの」


 セシアはイヴェールとルイの二人から巻き上げた書面を握り締めたまま、トーマに告げた。


「えっ」


 当然、トーマが驚きの声を上げる。


「結婚することにしたの。二週間後よ」


 それは結婚を告げるというよりも、むしろ宣戦布告のほうに気持ちは近かった。


「ど……どちら様とですか? 私も存じ上げている方でしょうか」

「いいえ、ここに連れてきたことはないわ。……貧困院での奉仕活動で出会った方よ。結婚の話は出ていなかったのだけれど、私の状況を知って……」


 トーマの顔が険しくなるので、セシアは肩をすくめた。


「つまり、そういうこと」

「つまりじゃありませんよ、身元はしっかりされている方なんですか? ご結婚について軽く考えられているのでは?」

「……子爵家の方だから身分差は少しあるけれど、この家の実質的な当主は私になるのだから……そのあたりは問題ないでしょう。それに、きちんとお仕事をされている方よ」

「本当に?」

「本当よ」

「騙されている可能性は? 結婚なんて、いきなりすぎます」

「……おじい様のことがなければ、もっとゆっくり話を進めていたわ。でも、時間がないんだもの。しかたがないでしょう」


 セシアはトーマを睨んだ。


「私が結婚するのが一番だって言ったのはあなたよ、トーマ」


 言いながら自分の状況を思い返し、セシアはむかむかしてきた。

 実にばかばかしい。なんの冗談かと思う。

 だが王家の紋章入りの書面が届いたのでは、無視もできない。


「それはおじい様のリストにあるような、身元がしっかりしている方の場合で」

「身元なら問題ないと言ってるじゃないの。この話は終わり! 私は騙されていないし、万が一私を騙してきているんだとしても、この家の財産には指一本触れさせないわ」


 セシアはそう言い放つと慌てるトーマをよそにさっさと歩きだす。数歩進んだところで、「あ、しまった」と思わず小さく呟いた。

 万が一、このフェルトンを捕まえるという作戦が失敗に終わったとしても、たぶんセシアに責任はない。ないはずだ。協力したことには変わりはないのだから、万が一失敗に終わっても証拠をもらえようにしておかなくては。

 でなければ、本当に利用されただけになってしまう。


 こうしてセシアの「まったくなんとも思っていない(どころか、好感度はマイナス)男性と」「形だけの」「しかし偽装結婚だとは決して知られてはいけない」結婚が決まった。

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