奏汐音には逆らえない2

 小田急江ノ島線にガタゴトと揺られる事十分弱、俺と奏は藤沢駅へと降り立った。


 藤沢駅は三つの鉄道会社が乗り入れるターミナル駅で一日の利用客は四十万人とも言われている。


 そして、今日はあいにく夏休み最後の日曜日だ。

 そのせいも合ってか藤沢駅のホームはとても混雑していた。

 これから、この人混みの中を掻き分けながら買い物をするのかと思うと、それだけで気分が落ち込むってもんだ。


 俺とは対照的に奏は臆することなく、ぐんぐんと進んでいく。


 人の波を掻き分けて、奏の後をなんとか追って改札口を出る。

 奏は比較的人の少ない改札端に移動すると、そこで足を止めて俺の方に向き直った。


「翔君?顔色悪いけど大丈夫」


 言葉とは裏腹に心配しているのか、心配していないのか判断に困る屈託のない笑顔だ。


「悪いけどもう無理だ。帰ろう。今日はここまでだな」


 遠慮することもない。本当にもう無理だと思ったのだから。


 人嫌いの俺にこの人混みはハードルが高すぎた。

 来た道を引き換えそうと踵を返すと、腕をふんわりと優しくつかまれた。

 多少は気を使ってくれているつもりらしい。


「それはダメ!!せっかくここまで来たんだから。少し休む?」


「ダメなのかよ……はあ……それで、これから何を買いに行くつもりなんだ?それによっては少し休みたい」


 『ジャジーン』と奏SEのファンファーレが鳴り響く。

 そして、一枚の紙をポシェットから宝物でも扱うように慎重に取り出し、俺の眼前に突きつけた。


「これよ!!」


 何かの契約書のような物だ。

 判子も押してある所を見ると公的な書類なのだろうか?

 しかし、その書類が何に関するものなのか、一目見ただけでは、よく俺にはわからない。


「なんだこれ?」


「同意書よ。お母さんの」



「同意書?なんの?」


 なんでわからないの?と頬を膨らませる。


「スマホよ。スマホを買いに行くの!!」


「持ってなかったのか……というかそれ、俺必要か?」


 よくよく考えてみれば、奏がスマホを触っている所を一度も見た事がなかったな。

 奏と連絡を取る必要性が無かったから、今まで考えた事すらなかったわけだけど。



「お母さんの教育方針でね、自分で稼げるようになるまではダメって言われていたの。お父さんは別にいいんじゃないかって言っていたんだけど、お母さんが厳しいから……」


 奏は遠くを見ていた。

 その視線は天井に向けられているのだけど、実際はさらにその向こうを見ているのだろう。

 いわゆる遠い目ってやつだな。


「奏も奏なりには苦労してるんだな」


 奏にも敵わない相手がいるんだ。

 是非、今後の為に奏のお母さんと番号の交換を……


「そりゃ、私だって人間なんだから苦労だってするわよ。ん?……今なんか変な事考えてなかった?」


 俺より頭半分ほど小さい奏が俺から半歩ほどの距離まで詰め寄るとジト目で見上げてきた。


 こいつ心が読めるのか!?


「いやなんにも考えてないけど……」


 俺は思わず目を剃らした。


「ふーん、まあ良いけど」


 じゃあと仕切り直し、奏は続ける。


「今日、翔君が必要な理由、聞きたい……?」


「聞きたいもなにも、どうせ俺がなんと言おうと付き合わされるんだろ?」


「もちろん」


 今日見せた一番の笑顔だ。


「はあ……だったらいいよ。もう行こうぜ」


「翔君、ため息多くない?」


「そんな事ないぞ。あーたのしいー」


「なにその棒読みー」


 頬いっぱいに空気を溜め込んで不満を表しているみたいだけど、怒気は全く感じられない。


「……で、どこに行くんだ」


「翔君と同じキャリアにしようと思ってるの」


「おお、だったらMODOCOか」


「うん!!それそれ!!」



「それだったら早く行かないと、めちゃくちゃ混むぞ、さっさと行こう」


「うん!!」


 元気よく返事をしたまでは良かったのたが、奏は動きを止めたままだ。自ら動こうとはせず、ニコニコとこちらを見ている。


「どうした?」



「場所がわからないの。だから案内お願いしまーす」


 なるほど。それで俺を連れてきたのか。言わばスマホのナビ代わりってわけね。

 良いだろう。

 一応大和さんからも頼まれているだ。

 奏がスマホを手に入れるまでの間、俺が奏のナビになってやろうではないか


「南口を左方向、そのまま道なりです」


「えっ?なにそれ?きも……普通にお願い」


 残念ながら翔ナビは大不評のようだ。

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