奏とランタンと手持ち花火1

 どうもここ最近、奏の様子がおかしい。

 俺を避けているような、なるべく顔を合わせないようにしている様に感じる。


 ここ一週間、夕方のさくらの散歩も丸々俺が行くようになり、バイト中だと言うのに何もする様子もなく事務所にこもりきりなのだ。


 まあ、それを大和さんが許しているのだから、俺から何をとやかく言うこともないのだけど。


 しかし、奏が事務所に籠りきりな事で、逆に良い事もある。


 奏が無理に絡んでくるような事が無いこの頃は、精神的にはかなり楽ではあった。


 しかし、なんなのだろう。この言葉にはできないモヤモヤは……


「なあ、ハアトどう思う?」


 ハアトとは、はあちゃんの事だ。

 雄であると言うことが判明して、ちゃん付けはいかがなものか?と奏が言い出した。


 その結果、以前の名前と大差無いのだけれど、我が家内では『ハアト』と呼ばれる事になった。


 どちらにせよ『はあちゃん』と呼ぼうが『ハアト』と呼ぼうが、彼が俺に返事をする事は決してない。

 そもそも自分の名前を認識しているのかも怪しい所だけど。


 返事はしないくせに、ハアトは俺の部屋にかなり馴染んでいる。

 俺のベットを占領し、ど真ん中に丸まって寝ている。

 二週間ほどの短い時間で、ずいぶんと馴れたものだ。最初はあんなに威嚇をしていたのに。



 夜、俺が寝ようとベットに潜り込む時もいつもベットの真ん中にハアトは寝ていて

『あー?なんだよお前?ここで寝るつもり?俺の寝場所なんだけど?どういうつもりなの?』と目だけで文句を言ってくるのだ。


 おかげで威嚇される事は無くなった。その変わりと言わんばかりに、飼い主としての威厳なんてものはあったもんじゃない。


 ため息を一つ吐いてから、壁に掛けられた時計に目を向けると五時丁度だった。


 今日は、さくらの散歩に早く出発するようにと大和さんから言われていた。

 そろそろ頃合いか。


「じゃあ、ハアト散歩に行ってくるから、お留守番よろしくな」


 そうハアトに告げると、返事はしないものの短い尻尾をパタパタと動かた。もしかしたら返事をしているつもりなのだろうか?

 

 少しの所作にすら意味を見出だそうとしている。そう思われるかもしれないけど、きっとこれはハアトなりの意思表示なのだ。


 その姿を横目に部屋を出ると、階段を掛け降りる。

 奏がキッチンで何やらやっているようだったけど、かなり集中しているようでこちらには目もくれなかった。


 事務所の方では大和さんが書類を広げて整理をしている最中のようだ。


「じゃあ、さくらの散歩に行ってきますね」


 大和さんは顔をあげると腕時計と俺の顔を交互に二度見た後言ったのだ。


「もう行くのかい?少し早いような気もするけど」


「えっ?大和さんが早めにって言ったんじゃないですか?普通の時間でいいんですか?」


「あー、いや、そうだったな!!今がいいよ!!よろしく。あとね、急ぐ事は無いからゆっくりしてくるといいよ」


 大和さんが、キッチンの方を気にするような素振りを見せながら、そんな矛盾のある事をのたまったのだ。


 ……まさかこの二人、そんな関係な訳じゃないよな?

 なんだろう……甥っ子としてとても不安を感じる。

 きっとその不安が俺の顔にも出ていたのだろう。


「大丈夫だ。翔が心配するような事は何もない。だから早く行ってきなさい」



「いや別に何も……行ってきます」


 大和さんの圧に押される形で、俺は事務所を出る運びとなった。

 最後、扉を閉める時に奏が奥から覗くようにこちらを見ていた。


 俺と目が合うと「ひゃっ!」と小さな悲鳴のような物をあげてキッチンに隠れてしまった。


 ……本当にあの二人、どうかなってしまってるんじゃないよな?大丈夫だよな……?

 なんて事を不安に思いつつ弁天橋へと向かった。


 弁天橋にたどり着くと、ちょうどこの時間は江ノ島観光から家路に付く人が多いようだ。今日は良く晴れていたせいか、帰る人の流れがいつもより多く感じられた。


 弁天橋からまっすぐに伸びる商店の建ち並ぶ参道も、江ノ島駅に向かう人の流れでずっと坂の上までギッシリと詰まっているようで路面が全く見えない。


 この様子だと当分道が空きそうにはない。

 この人混みを歩くのは老犬のさくらには辛いだろう。


 だから今日の散歩は江ノ島を出ずに、大堤防を中心にするとしよう。

 そんな構想を練りながら鳥居を見ながら、進路を左に取った。

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