第8話 中学二年・四月


井神いかみはいいよな~、イラスト文芸部で」


 そう語りかけてくるのは、サッカー部所属の悪友・松清まつきよだった。


「は?なんでだよ?」

 別に羨ましい要素なんてゼロだろう。我が校の運動部の花形・サッカー部で日々大活躍の松清からすれば、文芸部なんて地味な部活だ。


 だが、松清は大仰に首を振る。


「違う違う。俺が羨ましいって言っているは篠川しのかわだよ、篠川しのかわ。あんな高スペック女子と、毎日放課後いつも一緒にいれるお前が、めっっっっっちゃ羨ましいわけ」


 はあ・・・・・・またこの話か。俺は心の中で最大級のため息を吐く。だが、そんなことはおくびにも出さず、あくまで平坦な表情を繕い、素知らぬふりを続ける。


「篠川がどうかしたか?」


 松清は人類史上最大級のバカを見る目になる。


「お前、それマジで言っているの?目、大丈夫?」

「なんの話かさっぱりだが」


 松清が何を言わんとしているのかは、とっくに察してはいたが、俺はあくまでもしらを切り通す。


「いや、だからさ・・・・・・井神は男として、何の興味もないわけ?篠川のあの最高級の爆乳にさ」


 はあ・・・・・・俺は心の中で二度目のため息を吐く。ここまで度々話題にされると、少々うんざりしてくるな。だが、こういうときの返答は、既にテンプレとして決めている。


「ないよ。そもそも俺、誰が巨乳で誰が貧乳だとか、全く興味がないんだよ。いや、というかまず三次元女子そのものに興味がないんだな。俺は二次元一筋なんでね」


 多少の嘘も交えつつ、俺はそう返す。


 松清は、俺をさげすんだ感情をその目に浮かべる。


「ないわぁ・・・・・・あんなのと毎日一緒にいて、二次元一筋とか。篠川とうちの坂上さかがみと交換して欲しいくらいなのに」


 坂上というのは、サッカー部のマネージャーだ。


「ん?お前、坂上と付き合っていなかったか?」


 もう別れたのだろうか。


「いや、それはそうだけれどさ・・・・・・だってあいつ、胸がないんだもん・・・・・・」


 大げさに肩を落とす松清。


「だったら文芸部に入部したらどうなんだ?部員はいつでも大歓迎だが」

「バカ、男子の俺がそんなとこに入るなんて、論外だろ」


 俺も男子なんですけど。さりげなく俺をディスるのはやめやがれ。心の中で毒づく。


「ねえ、お前さ、篠川の連絡先知ってるだろ?教えてくれよ」

「教えない。そもそも知り合いの連絡先を勝手に第三者に教えるなんて、しちゃいけないことだろう?」

「またまた~、つれないこといっちゃって」

「そもそも素朴に疑問なんだが、篠川の連絡先を知って、どうするつもりなんだ?」


 俺の質問に松清は目を泳がせる。


「そりゃあ・・・・・・今度のゴールデンウィーク、食事とか買いもの行きませんか、とかさ」

「つまりデートのお誘い、とな。坂上とはやはり別れたのか?」

「いや・・・・・・でも最近、あいつとはあまり上手くいっていないからさ・・・・・・つまり保険っていうか・・・・・・」


 しどろもどろに答える松清。俺は最大限の侮蔑の感情を込めた視線を奴にぶつける。


「ったく・・・・・・モテる男はいいよな。だがひとつだけ言っておくが、篠川は百パーセントのってこないぞ、お前のデートのお誘いには」


 俺の断言にプライドが傷つけられたのか、松清は心外だという顔をする。


「なっ・・・・・・どうしてそんなこと言えるんだ?」

「あのさあ。お前みたいなプレイボーイなら知っていると思うが、篠川は告白されることそのものにもううんざりしているんだよ」

「はあ?意味分かんねえし」

「知らないのか?一年のとき、篠川は二十人以上の男から告白されたんだぞ」

「え・・・・・・そんなにいたわけ?いや、モテるモテるとは聞いていたけれどさ。まさかそこまでとは・・・・・・」

「で、全員ことごとく玉砕した」

「マジ?ひとりもOKされなかったわけ?」


 当たり前だろう。これは瀬奈から直接聞いた話だが、告白してくる男子は全員自分の巨乳目当てだ。中には篠川の名前すらロクに覚えていない状態でアタックしたという、清々しいまでにゲスい輩もいたとか。


「告白を振るたびに、篠川は精神的にダメージ喰らっていたからな。その度に愚痴を文芸部で聞かされる俺の身にもなってくれ」

「おおっ、のろけ?このこの~!」


 さすがに松清のしつこさが嫌になってきたので、俺は強引に会話を打ち切る。


「まあ、そういうわけだ。篠川には脈無しと考えておくのが無難だ。分かったら、とっとと解散解散。部活行けよ」

「ちぇっ・・・・・・」


 つまらなそうに去って行く松清だった。


「んじゃ、俺もそろそろ帰るとするか」


 立ち去る松清の後ろ姿を眺めながら、俺は呟く。 


 イラスト文芸部の活動は基本的には週三回、月、水、金だ。今日は火曜日なので、俺は帰宅する。



 家に帰り、着替えて、自分の部屋に戻る俺。 ベッドの上にごろんと横になる。


 俺は枕を腕に抱え――ベッドの上で暴れ始める。


「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ」


 心と身体のの奥底から湧き出る、情熱と悶々とした気持ちを発散させるように、唸り声をあげながら、枕をドッタンバッタンと布団に叩きつける。


 ばっきゃろぉぉぉぉぉぉっ!俺が瀬奈の胸に興味がないだと?二次元にしか嫁しかいないだと?


 んなわけあるかあぁぁぁぁぁぁっ!あの破壊力抜群のボディを持つ瀬奈と、こんなにしょっちゅう一緒にいて、意識しないわけないだろうがぁぁぁぁぁぁぁぁっ!


 心の中で、力の限り叫ぶ。


 俺とて、ヘテロセクシャルの健全な男子中学生だ。女性の身体にだって、当然の如く興味があるに決まっている。ましてや、ド迫力の巨乳を抱える瀬奈みたいな女子が隣にいるのなら、なおさらだ。


 しかし、だ。俺は決してそのことを表面に出さないようにしている。いくら松清のようなゲスな悪友どもが色々と言ってこようと、絶対に乗らない。俺は瀬奈の身体にも胸にも、一切関せず興味なし、そういう態度を貫徹するのだ。瀬奈の胸元にも、一切視線を向けることはない。


 どうしてそこまで自分を偽るかって?簡単だ。彼女に嫌われたくないからだ。


 あいつが自分の胸を一番にコンプレックスに思っていることなんて、鈍感を絵に描いたような俺でも、そのくらいはよく分かる。中一に引き続き、中二の今年もクラスは一緒、おまけに放課後は文芸部でこれまたいつも席を並べている。


 そんな俺が、もし仮に、松清のようなゲスな性欲を丸出しにしたら、どうなる?


 その結果はあまりにも明白。俺は瀬奈から、蛇蝎の如く嫌われることになり、文芸部にもいられなくだろう。


 なによりも、瀬奈を深く傷付ける。それだけは、絶対に避けたい。


 だったら、瀬奈の胸が気になって気になって仕方がなくっても、そんな素振り一切出すことなく、学校生活を送ることに、決めているのだ。

 

「まーた、おにいが発狂しているし・・・・・・」


 いつのまにか勝手に部屋の中に入ってきていた妹の香澄かすみが、ゴミを見る視線を俺にぶつけてくる。


「発狂してるだと・・・・・・失礼な、これには立派な事情があるんだぞ」


 せめて発情と呼んで欲しいものだ。いや、そっちの方が余計に嫌か。


「はいはい分かりました。おにいさ、ちょっと三十センチ定規貸してくんない?」


 俺の気持ちなど微塵も考えずに、そう要求してくる香澄。まったく、ミンチにしてやりたいほど生意気な妹である。


 俺は言われるままに、妹に定規を差し出す。


「ん。さんきゅ」


 そう短く告げる香澄。


「ったく・・・・・・そんなに気になるんなら、いっそ思いを告げたらいいのに・・・・・・」


 ぶつぶつとよく分からないことを呟きながら、さっさと俺の部屋から去って行く我が妹だった。

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