第5話 中学三年・五月

 ゴールデンウィークも終わり、運動部の方はいよいよ大会に向けての練習に、本腰を入れて取り組み始めている。心なしか、このパソコン室に聞こえてくるかけ声も、力が入っているような気がする。特に俺たち三年生は、今回の大会が中学最後だ。サッカー部の松清まつきよも、最近はなんだかんだと忙しそうだ。


 とはいえ、文芸部にはとりたてて大会らしいものもないので、いつも通りの平常運転だ。一応、運動部に合わせて三年生は引退、ということになるらしいのだが。


 ということは、この文芸部での活動もあと一ヶ月ばかりか。瀬奈せなとこうして机を並べて、日々物書きに精を出すのも、あと少しだと考えると、一抹の寂しさを感じる。


 文芸部の活動が終わると、俺と瀬奈の関係はどうなるのだろうか。同じクラスなのだが、実は俺たちはクラスではあまり会話を交わさない。なんとなく、そうなっている。となると、俺たちはこのまま会話を交わさないまま疎遠になってしまうのだろうか。


 ・・・・・・嫌だなそれは。ただそう思う。


「ごきげんようっ、井神いかみくん!」


 沈みがちになっていた俺の思考を、部室に入ってきた瀬奈の元気な声が、吹き飛ばす。


「ああ。ごきげんよう」

「井神くん、元気ないな~。もっとさ、快活にいこうよ!」

「いかない。逆にどうしてお前は、そんなにご機嫌なんだ?」


 なんというか、元気いっぱいという表現がぴったりだ。見ているこっちが不安になるくらいに。


「ふっふ~。それでは井神くんに問題です。どうしてわたしは今、こんなにテンションが高いのでしょう?」

「さあな・・・・・・」

「ねえ、ちょっとは考えてよ!今の井神くん、考えようとすらしていないじゃない!」


 はいはい分かりました。心の内で密かに呟く。


 まったく、近頃の瀬奈には、どうにも調子を狂わされる。元々、おとなしいってほどでもなかったが・・・・・・最近のこのハイテンションぶりには、ちょっとついていけない。


「そうだなあ・・・・・・千円拾ったとか?」


 なんとかひねり出した俺の答えに、瀬奈は返す。


「千円って・・・・・・うん、確かにそれも嬉しいけれど。でも違います。さて、なんでしょう?」

「ギブ。分かんねえよ、そんなの」


 俺は大げさに両手を上げて、降参の意を示す。


「もう、仕方ないなあ井神くん・・・・・・正解は・・・・・・わたし篠川しのかわ瀬奈せな、先日めでたくグラビアアイドルのコンテストに、書類を送りました~!」

「お、おう・・・・・・そうなのか」


 瀬奈の明るい迫力にされそうになる俺。


 つーか、マジでグラビアアイドルになるつもりなのか。いや、ここ一ヶ月ほど、散々瀬奈の気持ちは聞いてきたが・・・・・・。いざ実行に移し始めたとなると、また違った印象を受けるというか・・・・・・。


 瀬奈は誇らしげに胸を張る。


「どう?ちょっとは見直した?」

「見直すも何も、俺は瀬奈のことを軽蔑したことはないからな。よって、見直すこともない」

「あ、そうなんだ・・・・・・」


 俺の返事が意外だったのか、キョトンとした顔になる瀬奈。


 しかしなあ・・・・・・。もし仮に、瀬奈がコンテストに通ったとしたら、あと何ヶ月か後には、瀬奈の水着が全国に晒されることになるわけか。そう考えると、胸がちょっとざわつく。


 だけれど、今ならまだ、それを止められんだよな?いや、瀬奈がグラビアアイドルになるのを止めたいのか、ていうと微妙なんだが・・・・・・。結局は彼女の決断を尊重するつもりだし。


 だが、このままはいそうですかと引き下がるわけにはいかない。


「あのさ、瀬奈。ひとつ言っておくが・・・・・・別に、開き直る必要はないんだからな」

「はい?」


 首をかしげる瀬奈。そんな彼女に畳みかけるように話を続ける俺。


「瀬奈はさ、ずっと胸が大きいのがコンプレックスだっただろ?男子どもが、盛りのついたサルみたいに、いつもお前の胸に注目してくる。特に男たらしとかでもないのに、いつも性的な視線にさらされる。だからお前は考えたんじゃないのか?ならいっそ、そのコンプレックスを武器にしてやろう、て」

「うん・・・・・・それは・・・・・・」


 先程までのテンションはどこへいったのか、瀬奈が口ごもる。


 言い過ぎたかな。俺といえど、男子だ。あまり露骨なことを言うと、下手したら絶交されるかもしれない。


 だが、それでもだ。たとえ瀬奈にとって耳に痛くとも、俺は言わずにはいられない。


「別に、無理して開き直る必要なんてないんだからな。胸が大きかろうと小さかろうと、瀬奈は瀬奈だ。もう随分と昔だが、瀬奈には胸の大きさ以外にも良いところがいっぱいあるって話をしただろう?ま、俺が言いたいことはそれだけだ。じゃあな」


 話していて、段々と顔が熱くなってきた。多分、今の俺はゆでだこみたいに真っ赤な顔をしているんだろうな。


 そのことがバレるのが嫌で、俺はいそいそとパソコン室を出る。


 廊下を歩きながら、心の中に自己嫌悪がじわじわと広がっていく。


 ああ、そうか。結局俺は、瀬奈がグラビアアイドルになるのが、嫌だ。それだけなんだな。


 彼女の水着姿が、不特定多数の無数の男に晒される。そうなると、まるで彼女が遠くにいってしまった気分になる。それが嫌なのだ。


 つくづく、自分が嫌になる。己の欲で、彼女の意思を揺らがせるようなことを言ってしまった。


 帰宅してからも、ずっと負の感情が連鎖反応的に増え続けていた。増えて増えて、もうどうしようもなくなった末に、俺は一つの結論に達する。


 明日、瀬奈に謝ろう。

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