第13話 副大隊長

「うわぁ!」


 甲板から見る大海原は、部屋の窓から見るものとは全くの別物だった。海風は気持ちよく、潮の香りが濃い。そして、海の青い色がとても美しい。


「キレイです」

「イオリちゃんがいた所は、海がなかったの?」

 側にいるのは一番年が近い女性軍人、ミソールだ。今日もカワイイ笑顔を見せてくれている。彼女はジェイドからの命令で、イオリの側に付く事が今日の仕事だ。気分転換に、甲板へ案内してくれ、遠慮がちだったイオリであったが、美しい景色を見れば気持ちも切り替わる。

「山の方が近かったです。海は旅行の時です」

「そっか。私達の本部があるリオマスって町は海の側だから、これからいつでも海が見られるよ。見飽きるかもね」

「海が側なんて、素敵です!」

 毎日こんなキレイな海が見られる事に心が踊るイオリ。しかし、ここで思い出した。

「そうです! 私、お金ないです。住む所もないです。町に着いたら仕事を探さないと……」

「真面目だねぇ。保護されてるんだから、それに甘えちゃえば?」

「でも……、いつまでもお世話になりっぱなしは悪いです」


「難しい顔して、どうした?」


「あ、副大隊長」

 そこには見覚えのある顔があった。

「えっと、ルクスさん」

「覚えててくれたんだ。改めてよろしく。ジェイドの右腕やってます」

 にこやかに笑うルクス。茶色の短髪がふわりと風になびいた。この笑顔に女性達もなびいてしまうのだろうか。

「副大隊長はね、奥さんが大っっ好きなの! こうやって遠い海に討伐に出たら、数日は帰れないでしょ? もう、奥さんが足りなくてイライラしちゃうの」

 まるで、タバコのニコチンが足りなくてイライラしているかの表現だ。どれだけイケメンでも、奥さんが一番だというので、イオリの中の彼の評価は上がって行った。

「当たり前だろっ! 妊娠中だから、何かあったらと思うと焦るよ。早く帰りたいっ!」

「へぇ。何カ月なんですか?」

 イオリが聞いてみた。

「もうすぐ五カ月。でもつわりがしんどそうなんだよ」

 眉を寄せて心底心配しているルクス。

「つわりは個人差あります。でも、安定期に入れば落ち着いてくるって聞いた事あります」

 “安定期”など難しい言葉だが、今まで夢の中で聞いていた言葉がどんどんイオリの中に馴染んできていた。

「本当に!? イオリはそういうの、詳しいのかい?」

「いえ、そこまで詳しいわけではないです。知り合いの人から妊娠出産した時の話をいろいろ聞いて、覚えてるだけです」

 イオリは大学の図書館が好きだった。いろいろなジャンルの本が揃っており、いつも入り浸っていたので、そこの司書とも仲良くなった。同じ大学の卒業生で、人生の先輩でもあり、話し好きな彼女は、いろいろな経験談をイオリに聞かせていたのだ。

「そっかぁ。異世界の妊娠事情も気になる所だ。もしうちの奥さんと会える機会があったら、話を聞かせてくれるかい? きっと参考になると思う」

「はい。思い出しておきます」

「よろしくね。で、何の話だっけ?」


 イオリが難しい顔をしていた事を思い出したルクス。話を戻した。


「イオリちゃんが、本土に到着後の生活基盤をどうしようかと悩んでおります」

 ミソールが代弁する。

「あ~、なるほど。自立心がある事は良い事だ。元の世界ではどういう仕事をしていたの?」

「えぇと、私は学生で、仕事をした事ないです。図書館司書の勉強をしていました」

「図書館シショ?」

 あまり馴染みがないらしい。ジェイドとミソールは首をかしげた。

「図書館の本を管理する人の事です。勉強ばかりしていました」


(バイトの一つでもしておけば良かったなぁ……)


 仕事なんて、卒業して就職してからでいいや、などと思っていた自分を恥じた。社会経験の一つでもしていれば、自分に合う職種も、自己アピールも出来ただろうに。

「なるほどねぇ。じゃあ、家事は出来るかい? 料理とか、洗濯、掃除」

「まぁ、それくらいなら」

 ルクスは手をあごにあて、ふむ、と少し考えた。

「分かった。こっちでも考えてみるよ。身一つで、こっちの世界に飛ばされたんだから、不安なのは理解できる。少しずつ、こっちの世界に慣れていけばいいからね」

「は、はい」

 彼のものすごく優しい言葉に、イオリは心がじーんとした。思わず目頭が熱くなってしまった。泣き出すのは恥ずかしいので、必死に堪えたが。


 じゃあね、と言って再び船内に入って行ったルクス。その後ろ姿を見送り、イオリはつぶやいた。

「すごく、良い人ですね」

「頭も良いよ。大隊長の隣に立てるんだから、ものすごく優秀なの。大隊長と副大隊長は同期の親友なのよ。だから、気が合うし、お互い何を考えてるのか分かり合ってる」

「へぇ。あのお二人の下で働けるなんて、すごく良い事ですね」

「訓練は厳しいけどね。でも、確かに自慢よ!」

 にっと笑ったミソールは、この部隊にいられる事に誇りを持っているようだった。


(やっぱりジェイドさんは、夢の通り、凄い人だったんだな)


 自分の判断に間違いはなかったと、イオリも嬉しくなる気持ちだった。

「じゃあ、どうしようか。部屋に戻る?」

「もう少し、海を見たいです」

「良いよ」


 波しぶきが二人の顔に当たり、冷たいと笑い合った時だった。





「見つけた」


「!?」

 ゾッとするほど、低い声がイオリの後ろから聞こえた。聞き覚えがある声。ゆっくりと振り向いたその先に見た人物に、イオリは全身が震えだす。


 黒いフードをかぶった例の襲撃者が、そこにいたのだ。

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