遥香は私の質問に答えなかった。まるで別のことを私に言った。


 「七海。あなた、この前、綾乃にトイレの個室に閉じ込められて、よっぽど怖かったみたいね。でもね、七海。・・私はトイレの個室に閉じ込められても、ちっとも怖くなんかないわよ。・・・怖いっていうのはね、七海。こういうことを言うのよ。あなた、ちょっと後ろを振り向いてごらんなさい」


 えっ?


 私は後ろを振り返った。


 綾乃がナイフを右手に持って立っていた。ナイフの刃渡りは30cm以上あるだろう。小刀と言っていいようなものだ。綾乃が、振り返った私を見て、ニヤリと不気味に笑った。綾乃の笑いとともに、ナイフの長く鋭い刃がキラリと部屋の照明に光った。私の背中が凍りついた。


 「あ、綾乃。な、何をするの? やめて・・綾乃」


 綾乃は逃げようとする私の肩を空いている左手で押さえつけた。ものすごい力だった。そして、綾乃は、私のブラウスの上から、ナイフを私の左胸に突き当てた。乳房のすぐ下だ。ナイフの鋭利な刃が、ブラジャーの樹脂製のワイヤーを切り裂くのが分かった。次の瞬間、ナイフの刃が私の左胸の乳房の下に深々と侵入していった。


 えっ?


 ナイフの刃の冷たい感触が私の左胸を深く貫いていく。不思議に痛みは感じなかった。綾乃のピンクのスマホが、私の手から床のピンクのカーペットの上に滑り落ちた。私の口から声が出た。


 「あ、綾乃。どうして?」


 綾乃の声がした。


 「どう、七海。今回の『13日の金曜日』は? 前回の『13日の金曜日』より少しは怖いかしら?」


 そう言って、綾乃はナイフを私の左胸に、さらに深く突き刺していく。私の乳房の下に突き刺さったナイフの長い刃が、部屋の照明に鋭く光った。私は、その光を上から呆然と見下みおろした。何が起こっているのか、まるで理解ができなかった。あまりのことに、少しも痛みを感じない。


 綾乃が『13日の金曜日』で私を怖がらせるために・・私を殺すことまでするなんて・・どうして?


 思わず、私の口から再び声が出た。


 「あ、綾乃。『13日の金曜日』のために、どうして、私を殺すことまでするの?」


 床のピンクのカーペットの上に転がった、綾乃のピンクのスマホから、遥香の甲高い笑い声が部屋の中に響いた。


 「あはははは。あはははは・・」


 遥香の笑い声の中で、綾乃の声がした。


 「七海。あなた、いい加減に気づきなさいよ。・・遥香はね、去年、女子寮の、私たちがいつも使う、この2階のトイレで焼身自殺したのよ。トイレの一番奥の個室に入って、ガソリンをかぶって火をつけたのよ。そのとき、火災が女子寮全体に広がって・・あなたも私も逃げられなくて・・焼け死んだのよ。いいこと、七海。あなたも私も遥香もね、みんな、もう、とっくの昔に死んでいるのよ・・・」


 えっ・・


 私の眼に映る綾乃のピンクのかわいい部屋が・・みるみる崩れていって・・無残な焼け跡に変わった。


               了

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

女子寮 永嶋良一 @azuki-takuan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ