ダイイング・ラブソング

日比谷野あやめ

麻里子組曲


「うーん、なんか少年漫画の世界観を水で1000倍に薄めて、さらにそれを寄せ集めた……みたいな感じ?」

「くっ……!辛辣……っ!」


 彼女に自作の歌に手厳しい評価をされ、俺は大袈裟に仰け反った。10曲作ったうちの10曲がこんな評価なので、俺としては芝居がかった動きで評価の痛みを脇へ逃さないとやってられない。


「あなたはさ、一体何を書きたいわけ?『今手招いてる』って何が?誰を?急にそんなこと言われても分からないんだけど?」

「いや、それはさぁ、残酷な運命とか?これから出会う新たな仲間たちとかが?誰をっていうのはもちろん主人公でしょ!」


 俺の必死の訴えに、彼女は少し俯きあごに手を当てた。


「この曲さ、1番は主人公とヒロインのことを言ってて、2番目は世界を救いたい的なこと言っててるじゃない?」

「まぁ、そうだね」

「結局どっちが大事なわけ?」

「は?」

「だから、どっちが大事なの?世界と彼女」

「そりゃ……もちろん……どっちも?」


 突然の質問に俺は口篭ってしまう。


「彼女はさ、主人公の動機なんだよ。彼女のために世界を救いたいっていうさ!」

「じゃあ、それをもっと詳しく描かないと。ただ「愛してる」って言われてもあまり伝わらないよ」

「うう……」

「あともうひとつ」

「まだあるのかよ!?」


 俺はまた後ろに仰け反った。今度は首がそのまま後ろに転がるんじゃないかっていうくらい振って、評価のナイフを躱して、ついでに今まで突き刺さった分のナイフや針も頭から振り落としておいた。嫌なことは振って振って振り落とすのだ。


「あなた、何頭振り回してるの?」

「心の痛みは振り落とすんだよ!こう!こうやって!」

「別に良いけど。もう一つ言いたいのはね、あんたの歌詞には血が通ってないの」

「血が通ってない?どういうことだよ?俺は丹精込めて作詞してるよ?」

「そういうことじゃないの。どれだけ一生懸命になったかじゃなくて、どれだけそこに自分を込められたかなの」


 彼女の真剣な目線に、俺は自然と佇まいを直す。ソファに座ってこちらを見下している彼女と、その前に正座している俺はさながら道場の師範と弟子だった。


「自分を込められたか?」

「そう、あなたの歌詞には自分がいないの。どれもこれも、もうあるような物語をなぞった歌ばかり。これじゃあ、面白みもなんもないよ」

「……でもさ、完全なるオリジナルって難しくないか?人間の歴史ってずっと長く続いてるわけだし」

「そうだね。完全なるオリジナルっていうのはもう無いと思う。けど、個人の生き様は、似ているものはあれどみんな違うでしょう?それを加えるのよ」


 言いたいことは分かる。要は、俺の音楽には俺個人の考え、生き様、信念みたいなのが足りないってことだ。俺の曲には俺がいない。俺が主人公じゃない俺の歌。テンプレートに則って作成した劣化版しかないんだ。


「はあ……わかったよ。俺が売れない理由がわかった……。要は、売れるためには、俺自身をもっと出さなきゃいけないんだよな……」

「ちょっとちがうかも」

「え!?」


 いや、今話まとまりかけただろ!まだ何かあるっていうのかよ!?俺の頭はもう針の筵だぞ!?


「どう言えば伝わるかな……あ、そうだ。ちょっと待ってて」


 彼女はリビングのドアの隣にある棚からカッターを取り出した。そして、俺の前に戻ってくると、あろうことかその白くて細い腕にカッターナイフを当てがった!


「お、おまえ、何やって!」

「良いから。これが1番伝わるから」


 カッターナイフでリスカ未遂をして伝わることって何だろうか。一刻も早くやめてほしい。


「ねぇ、もし私が今からこのカッターで手首を切って、その血であなたにラブソングを書いて渡したら、あなたどう思う?」

「キモいと思う」


 即答だった。突然何を言い出すのだろう。俺の彼女は遂にメンヘラになってしまったのだろうか?


「そうだよね、キモいと思うよね。でもこれが表現するってことなの」

「は???」

「考えてみて。確かに渡された方は気持ち悪いと思うかもしれない。けど、渡した方はどうだろう?」

「渡したやつの気持ち?それは……相手のことが大好きとか、愛しているとか?だいぶ歪んでると思うけど」


 俺は血塗れになった手紙を思い浮かべて顔を顰めた。そんなラブレターはいくら人気なホストでもバンドマンでもなかなか貰わないだろう。


「そう、手首を切った方は、その表現方法が正常だと思っている。自身満々でそれをやってるわけ。これってさ、表現者と受け取り手の関係性に似ていると思うの」


 俺はホス狂いでリスカばかりしているメンヘラ女を思い浮かべた。本当にそうだろうか?彼女たちは、まぁ血塗れラブレターを実行している時点であまり異常性を感じていないというのはあるだろう。でも、それと同じくらい、焦りの感情があるんじゃないかと思う。大好きな彼を取られたくないから、彼の気持ちをこちらに向かせたいから、血で書かれたラブソングでも書かなきゃ、気持ちが離れてしまうかもしれないと思っているからそういうことをするんじゃないか?焦りに駆られて、きっとそうでもしないと自我が保てないのだ……。


「で、関係性に似てるって?」


 なーんて、今の俺には反論する勇気がなかった。だって、彼女の方が高学歴だし?大企業に勤めてるし?俺はそんな彼女に養ってもらってるしがないシンガーソングライター(自称)(ニートとも言う)だし?元のパワーバランスが全然違うんだよな。


「つまりね、自分で表現したものは他人にすんなり受け入れられるようなものじゃないの。だから、もしそこで自分を上手く表現出来たとしても、他人から見たら気持ち悪いものの塊なの」

「自分から見たら宝石でも、他人から見たらただの石ころってわけか……」

「そういうこと。ただ、時々それが深く刺さる人間が現れることもある」

「生き様を描いているから?同じ考えを持っていれば、それが宝石に見えることもあるってこと?」

「そういうこと。まぁ、地道にやっていくしかないわね」


 なんだか。結局またいつもの結論に辿り着いてしまった。「地道にやっていく」ねぇ。本当にトドメの一撃だよ。聞こえはいいけどな。でも、俺はもうそれを15年くらいやってるんだよ。30を目前に迎えた俺には自分がこのまま冴えないジジィになる未来がぼんやりと待ち構えていた。


 その後も彼女のダメ出しは続いた。


「これさ……言葉は合ってるの?」

「思いが溢れそうって歌詞がある割には、理由が書かれてないよね」

「で?これって結局なんの曲なわけ?」


「うるせーーーー!!!!!俺の音楽にケチつけんじゃねーーーー!!!!!俺がそう思ったらそうなんだよ!!!!なんでもかんでも理由があると思うなよ!!!!!!俺が描きたいのは愛とか!平和とか!恋とか!そういうものなんだよ!!!!ラブ&ピースなんだよ!!!!!」


 自分でも自分が言っている言葉の意味が分からない。でも俺はもう荷物をまとめずにはいられなかった。俺には芸術の何たるかなんて全くわからない。作詞法とか作曲法とか、ちょっとやってみたよ?流行りの音楽のコードとか、展開とかも突き詰めて、言われた通り歌詞の分析もしてみた。でもさ、それでも俺は最後に人の心を動かしているのはそのアーティストの心なんだと思うんだよ。俺が求めるのは崇高な芸術じゃなくて、もっと身近な存在なんだ。もっと人の心に寄り添ってくれて、もっと人の心を元気づけられるようなそんな歌なんだよ!もう、売れるとか売れないとかどうでもいい。俺は、俺の音楽を追求するんだ!


「お前抜きでな!!!!!」


 とは言ったものの。


「うーん。やっぱりあいつの言う通りか?」


 俺は古びたアパートの小さな机に向かってうなった。ただ「愛」だの「平和」言ってみても何も思い浮かばない。やっぱり俺は漠然としたイメージしか持ってない。てか、俺は何を描きたいんだ?みんなを勇気づける歌?慰める歌?そんなもの今の状況で書けるわけねぇだろ!?だって俺は今こんなにイラついて、ムシャクシャしててさ……。


「そうだ」


 今の感情をそのまま書こう。このムカつくって気持ちを歌詞にぶつけるんだ。この心に渦巻くイライラや憎しみをこの白紙にぶちまけてやろう!絶対人々を元気づける、幸せな歌にはならないな。でも、どうしてだろう。すごくワクワクする。こんなの久しぶりだ。


「クソ女」

「バカ」

「あばずれ」

「くたばれ」

「うるさい」

「足の小指を箪笥の角にぶつけろ」

「誰も通りかからないようなど田舎で交通事故に遭え」

「一生ソースの小袋がうまく切れない呪いにかかれ」

「エレベーターの扉がいつも目の前で閉じろ」

「自転車で帰る時、いつも虫が口に入ってくるようになれ」


 流れるような悪口の数々。こんなのはまだまだ序の口で俺はその後も白紙に彼女への呪詛を吐き続けた!小さいことから大きいことまで、ありとあらゆる嫌なことが彼女に起こるように願った。やがてA4用紙5枚になった呪いは、適当なコード進行と音符たちでまとめられ、曲という形になった。そうそう、あいつが普段から言っていた「動機」、俺があいつを嫌いになった「理由」も100個くらい詰め込んでやった。10分超えの超大作。せっかくだから、あいつの名前をつけた組曲にしてやった。ま、組曲がどうやって作られるのか分からないけど。はぁ、スッキリした。これでやっとゆっくり寝られる。


「麻里子組曲、いい曲じゃないか?個人情報丸出しで、場合によっては訴えられそうだが、なかなか面白い。君、CDデビューしてみないかい?」


 あの日、確かに寝たところまでは良かった。朝おきて、猛烈に恥ずかしくなった俺はあの曲を消そうと思った。だってあれ、ほとんど実体験だぜ?いわば独白みたいなもんなんだよ?なのにさ、起きてサイトを見てみたらめちゃくちゃバズってるわけ。俺の意図しない形で。俺は消さないよりかはましか……と思ってサイトから消したけど、動画は無断転載でどんどん広まって行って……今に至る。まさかこんなことになるとは……。あんなに待ち望んでいたメジャーデビューはもう目の前なのに、俺は恵比寿のオフィスでぼんやりと立ち尽くしていた。

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ダイイング・ラブソング 日比谷野あやめ @hibiyano_ayame

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