敦賀の水島エメラルド
寛ぎ鯛
浅草×パリス~敦賀の水島エメラルド~
今年も夏は連日の猛暑日だった。すっかり梅雨も明けて毎日じりじりと太陽の光が照り付けている。
さて、今日は熊次郎とパリスはどこへやって来ているかというと、福井県は敦賀市の色浜へ小旅行をしているのであった。
夏と言えば海水浴、ということであまり気乗りしていないパリスを熊次郎が強引に引っ張りだしてきたというのが正しいところだ。正確に言えば、海水浴を提示したところさらりと拒否されたのだが、むすっとしている浅草の機嫌を宥めるためにパリスが仕方なく根負けしたと言うのが正しいだろう。
福井県敦賀市には七月と八月に渡し舟でしか行けない水島という無人島がある。ここは海水浴場としてその名を馳せている名所なのだ。エメラルドグリーンの遠浅の海で、島には簡易トイレしかなく、BBQなども禁止されていることもあって自然がしっかりと保たれている。何もよりも透明度が高く美しい海が売りだ。
今、二人はその水島へ向かう渡し舟に乗船すべく、桟橋の上に並んでいるところであった。
熊「俺、こういう船に乗って無人島とかって初めてかも!」
パ「たいていの人がそうだよ。」
熊「なんだよ~、もうちょっと気分出せよ~!」
パ「にしてもここまで日差しがきついんじゃね。」
熊次郎は海水浴が快晴に恵まれて大はしゃぎだ。一方のパリスは、長袖のシャツにぴしっとしたパンツ、サングラスに日傘とこれから海水浴に行く者とは思えない徹底した日焼け対策ぶりだった。相変わらず絵になる男なのだが、ここでのドレスコードはアロハシャツに短パンでサンダルを履いている熊次郎の方が適しているようにも思われた。
小さな船に幾人かが乗り込んでいざ水島に向けて出発だ。こんなに人が上陸するのであれば、もはや無人島とは呼べないが、それでも普段は人が入ることのできない島だ。熊次郎は綺麗な海で海水浴を楽しめることにワクワクしていた。パリスは船内に掲示されている運行情報を確認し、だいたいの帰り支度の時間などを再確認していた。
乗船時間はそこまで長くもないが、船が水面を切って走っていくのは爽快であった。時折散ってくる水しぶきや、流れる風が心地よい。パリスは被っている帽子が飛ばされないように手で押さえながら、掛けていたサングラスを少しずらした。目に突き刺さるような反射光と美しい海の色が眩しかった。
熊「そういえば、水着とか持ってきてんのか?」
パ「いや、私は海に入らないよ。木陰で読書でもと思ってね。」
熊「せっかくこんな綺麗な海なのに入らないともったいないぞ。」
パ「こんな綺麗な海を見ながら読書なんて最高に贅沢じゃないか。
ちょうど海辺を舞台にした小説でね。気分が味わえそうだなと思って。」
相変わらずパリスはお洒落なひと時を過ごそうとしている。こういうのはもはや演じるのではなく、自然とそうした振る舞いがなされているだけのようだ。むしろこの男が行えばなんでもお洒落に見えるのではないだろうか。
熊次郎はそれ以上パリスを誘うこともせず、持参した浜遊びグッズをがさがさ再確認していた。実はパリスと遊ぶためにビーチボールを持参していたのだが、それを見つからないように奥にごそっと押し込んだ。
船はすぐに水島に到着した。船でしか来られないだけあって人は疎らだ。これくらい少人数の方が遊びやすくていいものだ。パリスはさっそくちょうど良さげな木陰を発見し陣取っている。熊次郎もその近くに荷物を置いて、わたわたと海に向かう準備を始めた。
パ「あまり遠くへ行きすぎるなよ。
普段から泳いでるわけじゃないんだから。」
熊「わかってるわかってる。」
パ「あと、どんな流れがあるかわからないから気をつけて。」
熊「わかってるよ~。」
熊次郎は眼前に広がるエメラルドグリーンにテンションが上がりっぱなしで、パリスの話も話半分だ。パリスもやれやれと思いながら、ここは遠浅の海水浴場、よっぽどのことがない限り大丈夫だろうとさっそく持参した小説の頁を捲っていた。
水島の海の中はとても美しかった。普段人の出入りがないため、人工物が基本的になく、そのままの自然が残っている。それゆえ岩などもそのままだが、そこさえ注意すれば最高のロケーションであった。
熊次郎は自分の身体が水に浸かるくらいの深さまで進んで、海の中の景色を堪能していた。冷たい海の水と、綺麗な色の魚たち、異世界をふわふわ旅しているようななんとも言えない気持ちの良さを味わいながら、海中を漂っていた。
息継ぎのたびに陸のパリスを見ていたが、いつ見てもパリスがこちらを見ているような気がしていた。太陽もすっかり上り、頭上からは強い太陽光がじりじりと照らしていた。「あいつ、暑くねぇのかな。」と少し心配しながらも、しつこく誘っても嫌がられるだけかもしれないと思い、そのまま一人海中散歩を続けていた。
小一時間ほど顔を海面につけて、海の中を見ていたが、どうにも太陽光が背中や後頭部を照り付けているようだった。じりじりと焼けていくのが分かる。これはしばらく日焼けに苦しみそうだと思いながら、一度陸に戻ろうと身体を起こした時だった。
熊次郎は視界がぐるっと回転し、意図せず自分が海中に倒れるのを感じた。「あれ?なんでだ?」と思うのも束の間、起き上がろうにもどちらが上なのか下なのか分からない状態であった。普段あまりしない水泳による全身運動で血流が良くなったところで、急に身体を起こしたことによる、いわゆる立ち眩みだった。しかし、炎天下で太陽光に照らされていたという状況と、立ち眩みが起こった場所が海というのが災いした。
バシャバシャともがいても、そこまで深くないところで溺れているとはだれも思わず、単純に水しぶきが上がるだけだった。だんだんと視界が狭窄して、意識が遠のいていく。助けを呼ぼうにも海水が口の中に流れ込んできて、それどころではない。「苦しい…」と思いつつ、熊次郎は気を失った。
ばっと目を覚ますと、横でパリスが小説の頁を捲っていた。熊次郎は自分のおでこに乗っていたハンカチにくるまれた保冷剤を片手に、状況を整理しようと努めた。
熊「お、俺…?」
パ「やぁ、おはよう。なんともなさそうだね。」
熊「あれ?俺、海の中でずっこけて。それから起き上がれなくて。」
パ「まぁ、いわゆる立ち眩みだろうね。
普段から泳いでないのに、急に泳ぐから血流が良くなってたんだろう。
そこで上体を急に起こしたことで血が一気に落ちたんだろうね。」
パリスが何やら小難しい分析をしてくれている。未だにぽかんと状況を飲み込もうとしているところへ、周囲の海水浴客たちが声を掛けてきた。
「あ、兄ちゃん目覚ましたんか~!災難やったな~。」
「そこの兄ちゃんが気づくのが早くて助かったな~。」
「私たちなんて近くにいたのに気付いてなかったのよ。パリスさんったら
ものすごい血相変えて海の中まで走ってきたんだから。」
「小柄な兄ちゃんが、でっけぇ兄ちゃん抱えて陸に向かってるの見てみんなで
助けたんだぜ。」
「小綺麗な兄ちゃんの応急処置の手際の良さったら感動したぜ。」
「気道確保やら、人工呼吸やら。本職の方、顔負けだったのよ。」
周囲の人々が口々に言うことを聞きながら少しずつ状況を飲み込めてきた。
どうやら自分は海中で気を失い、それにいち早く気づいたパリスに救助され、目を覚ますまでここで様子を見てもらっていたということのようだ。よく見ると、パリスは裸足になっており、履いていた靴は傍で干されている。デニムのパンツと上に着ていたシャツも下半分がまだやや濡れているようだった。
熊「皆さん、ご迷惑をおかけしたようで。すいません。
助けてくれてありがとうございます。パリスも、ありがとう。」
「いいってことよ!」
「大事にならなくてよかったわ!」
「よかったよかった。」
周囲の人々は優しい言葉を掛けてくれた。パリスも熊次郎の方を見ながらやさしく微笑んでいた。
パ「さてと…、少し日も傾いて、この辺も影になってきたし。」
パリスは読んでいた小説をぱたんと閉じ、立ち上がって伸びをした。
熊「どうした?」
パ「するんだろ?ビーチバレー。」
熊「え?」
パ「しないのかい?」
熊次郎はゆっくりと起き上がって、少し頬を赤くしながらこくんと頷いた。
敦賀の水島エメラルド 寛ぎ鯛 @kutsurogi_bream
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